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なんとなく朧げだけど大切なこと…

やさしさ
と聞いて皆さんはどんなことを思い,感じますか?

心温かく、思いやりがあること。 または、おだやかでおとなしいこと。

自分に対する見返りを求めなく、相手のことだけを思いやり損得勘定無く行動を進めていく。

辞書で調べると上記の意味が出てきます。

noteに出会い、早8カ月経過していつもより毎日が更に速く経過していくようになりました。これはきっといい意味で時間泥棒が私の周りを徘徊しているのかと感じる訳で😁

さて今回はやさしさについての考察です。

受け取り方は人それぞれ

上記辞書にも記載されていましたが、”やさしさは見返りを求めない”とあります。本当にそうなのかと思います。そう思っていても心の何処かに…

”あの人に好きになってもらいたい”
”何か貰えるかも?”
”良く思われたい…” 
など何だか自分の中で他者に対して迎合し忖度していると感じ
これを書きながら”いやらしい”なーと思う自分がいます😓

自分以外の人と接する中で、
”あ!この人凄い人だなー是非お友達になりたいなー”
”親切な方!何かお礼を!”
”あれ!私のこと気にしているのかな?(いい意味で)”

などを感じると、自然とこのやさしさからの感情が湧いてきます。
今までは何のことはない事だと受け流していましたが、よくよく考えてみると”これらの気持ちや感情の源泉は何処からくるの?”と思いました。



情動と言う言葉でググってみると以下の言葉の意味が出てきました

感覚刺激への評価に基づく生理反応、行動反応、主観的情動体験から成る短期的反応のこと。中長期的にゆるやかに持続する強度の弱い気分(mood)とは区別される。情動は、齧歯類から共通する怒り・恐怖・不安から、霊長類に特徴的な高次の社会的感情までの多岐に渡り、思考や推論といった高次の認知過程にも影響しうる。情動の基盤となる神経回路は、扁桃体や視床下部をはじめ、島、腹内側前頭前野などの脳領域、および上向系の伝達経路より脳に入力される身体情報との関わりが注目されている。

ウィキぺデアより

改めて脳機能の一つなのかと脳科学分野では数多くの研究が日夜なされているのかと思います。

感情についてよく”脳と心どちらからくるの?”と議論なされます。


心?やはり脳?…

昔ある心理学系の本を読んで書かれていたと記憶していますが、人間の
各臓器にも心が宿る”とのことです。
正確には、思いや感情と言うのでしょうか。


例えば手足に対して
”いつも頑張ってくれてありがとう”とかを思ったり口に出して手足をさすると何だか痛みが薄れていくような感覚。ただの思い込みや暗示だったりしますが、痛みなどで辛い思いをしている中、このように労り(やさしさ)を持って接すると体の部位(パーツ)にも関わらず応えてくれる気がします。
経験談なので、万人に対してどうなのかは分かりません😛

無償の愛

親子関係、友人関係、師弟関係など対人関係の中で良くこの言葉を聞きます。自分に対して損得勘定を無く接します。


子供が生まれて子育てすることになります。子供は親の思惑とはお構えなく、日々の生活の中でいたずらしたり突然病気に罹ります。
”どうしてこんなことするの!!😠”と子供との攻防戦
”すごい熱!こんな夜更けにどうしよー!😱”とかまあ様々です。

子供はまあこんなものだと割り切ると、怒る気は無くなりますが、子育てまっ最中の方々にしてみれば”本当に他人事なんだから!”とお叱りの言葉が寄せられるでしょうね。
ただ、当事者以外はやはり他人事なのですね😁
その分子育ては各家々での思い出になり、子育てから当人たちは親としての成長に繋がります。

子供が成長してやがて巣立つと、また夫婦2人だけの生活が戻ります。その頃には年を取る訳ですが、この時やさしさの関係性が築けていれば良いと思います。

地域を見ていくと、それこそ昭和は戦後の混乱期を経て、成長期から低成長へと時間軸が移行する中、都市部へ人の流入が始まり、それまであった地域コミュニティは人口流失により衰退していきます。
隣近所にはかつては、日々の挨拶以外にも、困った時には助け合ったり、自分の子供以外の子供達についても、地域の大人が見守っていました。
四季折々に行事があり、災害時の共助も機能していたと思います。
そこには無償の愛と言うか、地域愛的なものが存在し郷土愛と言う言葉に表されるのかと思います。

初めての友達は、近所の年が違う子供だったのではないでしょうか?
もちろん同い年の友達もいるでしょうが、同世代の子供達で遊ぶことで社会ルールを学び、生きていく上での知恵や経験を積んでいくことになります。
そこにもきっと無償の愛は有ったのでしょうね。

しかし、近年いじめ問題が大きな社会問題としてクローズアップされ、家庭内暴力、子供への虐待、子供だけに留まらず社会においてもいじめ問題は存在し、力の強い者、権力をかざしたり、とにかくマウンティングを取りたい輩が非常に多いです。
そこには社会が抱える問題が、形を変えながら私達に襲いかかり、生きずらい住みずらい社会、地域を作っています。

ここで問われるのはきっと”やさしさ”なのかと考えます。

生きにくさの源流とは

今共働きが標準化されている?のかと思いますが、かつての家庭モデルとして夫が働き、妻が家事全般を行うことが主流(昭和40~50年代頃)だった時代、いわゆる専業主婦たる地位は保証され、夫の収入だけで一家の収支は賄えていた時代がありました。
まさに日本における戦後経済成長が右肩上がり時代。夫婦の役割について上記の関係性で成立していました。

経済が上向き一方では戦後のベビーブームにより人口増加により、競争社会がもたらされ、子供たちの世界から社会が変わっていきます。
いわゆる受験戦争からの競争社会の到来。
俗に言う”いい学校に入って、良い企業に就職する”
更に就職すればまだ競争は続き、出世することで良い老後が待っている。とまあこんなサクセスストーリから、私達はこのモデルに人生を費やしてきました。

経済成長が世界第二位まで上り詰め、日本の成功モデルは世界から見ても羨望の対象だった時代が有りました。
しかし、羨望は瞬く間に変わり、80年後半から90年初めのバブル経済から、その後のバブル経済の終焉により、いわゆる失われた30年の到来。

それ以降社会システムが劇的に変わっていきます。

賃金上昇が鈍化し雇用体系も変わり、業種の規制改革も進んだ中で雇用についても、これまでの日本型とされていた”終身雇用”は終わり、かつての夫一人で稼いだ収入では一家を養うことが厳しくなります。
また働き方も多様になり、男女雇用機会均等法成立を皮切りに女性の社会進出も進んで、あれよあれよとしている間に、今度は経済のグローバル化により、ヨーロッパではEUが誕生し、中国、アジア諸国が経済発展を遂げる中、日本の経済成長率は年々低下し諸外国との経済環境も一変します。


そんなこの数年を振り返った中でも人、モノ、価値観、政治、文化、教育、ジェンダー、環境問題など随分様変わりしています。

”生きにくさの源流”
経済成長と共に
競争社会と言う名で芽生え、そこから脱落していくものを尻目に、ひたすら社会全体が邁進していく過程で、人間関係の歪みが生じストレスと言う名の下で強者が弱者を傷つけていく…
そんな構図が出来上がり、源流からやがて大きな支流へと発展し進んで行ったのかと思います。

成熟した社会は時として、残酷な一面も生み出してしまうのか?

これを成熟と言うなら、成熟ではなく”腐敗”だと感じます。熟れ過ぎた果実は食べ頃を過ぎると腐り、やがて一つの腐った果実が周りの果実を腐らせていく。人間社会も同様なのかと、歴史から学ぶ諸行無常な過程なのかと感じます。

まとめ

今回はやさしさについての考察でした。一言やさしさについて考えたとしても、なかなか難しい世の中になっており、本当に生きづらさを感じます。
だけど、シンプルに考えると他者に対してやさしさを行使する前に、先ずは”自分に対してやさしさを考えてみる必要があります”。

自分に対するやさしさとは…?

これまでの生い立ち、生活環境、人間関係を振り返ってみると見えてきます。
①自分を愛していたか?
②他者を愛していたか?
③周り(環境、社会など)を愛していたか?

など…

これらが全て当てはまる人いますか?
全ては当てはまらないけど、きっと一つは当てはまるのかと希望します。

自分について私はぞんざいにしてきました。いつのころからでしょうか?
少なくとも幼児期は違うのかと思いますが、小学低学年の時期からは有ったのでしょう。
理由は自分には出来ないと思うことが出始めてからだと。

「小さい頃の夢はな~に?」と大人に聞かれ、
「僕はね…なんだよ」と無邪気に言えなくなっていく過程からきっと
ぞんざいになったのでしょう。

これを書いていて何だか悲しくなってきます。
なぜでしょう…😥

これからはもっと自分を愛してあげたいですね。余りにも自己肯定感が低すぎました。これではとても他者に対してやさしさを伝えることなんて出来ません。
今回の記事を書きながら改めて痛感したことでした。

これからの時代は、テクノロジーがこれまでの進化速度とは異なる加速度的な進化を遂げていくでしょう。すると時代についていける人、そうでない人が出てきます。
今よく聞くワードにSDGsが有ります。誰も取り残さない社会の構築を目指す目標です。日本は今後人口推移は減少していくと推計されいます。

出典:総務省「日本の統計2018」より

現在日本の総人口は1億人弱はいますが、やがて6千万人の頃になると予想されています。
大正時代頃の日本は欧米列強と経済格差が著しく劣り、とにかく追い付き追い越せを国の命題として進んできました。二度の大戦、震災などを経て、この国は国民一人一人の働きにより奇跡的に目的は達成されました。
しかし、急激な成長に伴う反動が、今生きている私達の生活、心身に様々な問題として顕在させています。

この時代に生きていく私達
改めてやさしさとは?
その答えは…
一人一人が考えていく大切な問題と私は思います。

今回はこれまでです。

最後まで読んでいただきありがとうございます。

それでは次の記事でお会いしましょう。





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