見出し画像

世界が回るのを初めて止めたいと思った。

なんのこっちゃという題名。

これはちょうど一年前に私の身に起こった出来事だ。

私は去年の今頃「良性発作性頭位めまい症」になった。

これは耳の中にある「耳石」というものが剥がれて浮遊し
それが三半規管の中に入り込むことでめまいを生じる病気である。
頭の位置を変える度にめまいが起こるという
なんとも厄介なものになってしまった。
これは本当にしんどかった。

何がしんどいって、めまいが起こる度に
決まってものすごい吐き気に襲われるからだ。
程度の差があるので、このめまい症になったからといって
みんながみんなここまで苦しむわけではないし
すぐに治る人もいる。

だが私の場合そのレベルが少し重いということで
治るのに少し時間がかかってしまった。
時間がかかったといっても一か月弱だったので
大したことないじゃん、と思う方もいるかもしれない。
いやしかし、私にはしんどかった…しんどかったんだー!

とにかく少し頭の位置を変えるだけでも目が回る。

この回転性めまい、すごい速さでグルグルグルグル…
それに伴いとにかくすごく気持ちが悪い。
吐き気が治まるまで一時間近くかかっていた。

だから簡単に横にもなれない。

夜寝る為に横になる時だって、少し頭の位置を下げるだけで
そこからはもう簡単には起き上がれない。
暫しめまいと吐き気でノックダウン。
しかも「すぐ起き上がってトイレに行く」が簡単にできないので
全て準備を終わらせて絶対もう起きないぞってとこまで
用意してから、覚悟して横になる。
それでも横になった直後はまためまいと吐き気で
眠るまでしんどい。

そして朝になれば体を起こさなければいけない為
また頭の位置が変わる。
つまり、めまいと吐き気でまたしばらく動けなくなるわけだ。
起きてしまえばまだマシなのだが
その起き上がる行動にも覚悟がいるのだ。
ただ…ただ起き上がりたいだけなのに…

この病気の間は、簡単に下を向くことすらできなかった。

頭の位置が少しでも変わる度にめまいが起きてフラッとする。
幸いその時は仕事をしていなかったので
家事をする以外は無理せず生活することができていた。
これで仕事なんてしていたら確実に「お休みさせて下さい」だ。
なんせこんな状態ではほとんど何もできない。

この時の治療はこうだ。
まず私はめまい専門クリニックにかかった。
ここで行ってもらったのは、三半規管に入り込んだ耳石を
体外へ排出する「頭位治療」である。
つまり、入り込んでいた耳石を三半規管から取り除くことができれば
めまい発作は改善するわけだ。
これは医師がゆっくりと頭を上下左右に動かし、三半規管の中に
入り込んだ耳石を移動させ三半規管から排出できるよう導くというもの。

しかしこれがまた辛かった。

なんせ頭を動かせばめまいと吐き気が出ることを承知の上で
頭を特定の順番で特定の方向に傾けていくのだから
相当にキツイ。
眼に特殊な装置をつけながら行うその治療は
めまいと吐き気との戦いだった。
実際治療中に吐くかと思ったし、辛くて涙が出た。
吐き気に対し極度に弱い私は、気がおかしくなりそうだった。

(他にはめまい体操というものも行った。これは体操のやり方が個々で
異なる為、医師による指導を受けた後に自己で行う体操である。)

しかしこの耳石が三半規管に入り込む現象。
これは残念ながら、誰にでも起こる可能性があるのだ。
いくつか原因として言われているものもあるが
それでもまだはっきりわかっていない部分も多いらしい。
現に私はそのいくつかある原因に、自分としては
当てはまっている感じがしなかった。
ただし、長時間同じ姿勢でいたり頭をあまり動かさずにいることが
原因の多くであるということは考えられており
デスクワーク従事者がなりやすいというデータもあるみたいだ。
皆さんには絶対になってほしくないな…と、心から思った。

しかし発症一か月弱程で落ち着いたこのめまい症。
私の中ではすごく長かったと感じたが
それでもちゃんと「治った」わけだし
もっと他の病気で苦しんでいる方々からすると
全く比べものにならない程軽いものだ。

しかし、だからこそこの経験により
普段いかにこの生活が幸せであり恵まれているか
ということを思い知った出来事でもあった。

少しでもめまいの様なものを感じると未だにその時の記憶が蘇り
とても恐くなるが、それでも以前のその時の経験を忘れたくないし
大切にしたいと思った。
こんな風にわざわざ経験しないと、普段の生活が本当に恵まれたもの
であると感じられないのは、全くもってダメだなとも思うが
なかなか日々の中で気づくことは難しい。

しかしそれではいけない。

毎日普通にしているこの生活が
いかに幸せであり奇跡なのかということは
実際に何かを感じた人間がこうして書き留めていくことが
大事なのかもしれないと思ったのだ。

読まれないかもしれない。
でも、読んでもらえるかもしれない。
それでいい。

その読んでくれた方が少しでも
何かを思ったり感じたりしてくれたら
私はそれが嬉しい。


そんな思いで書きました。


なにやらねじりが色々言っていますが
これにて終わりとなります。


最後まで読んでくださりありがとうございました!


ではまた。

最後まで読んでいただきありがとうございます🐨! いただいたサポートは創作の為に大切に使わせていただきます🍀