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挿絵を描かせていただきました。

「あめしき@02文庫」さん
こちらの作品の挿絵を描かせていただきました。

今回このような素晴らしい機会をいただき
本当にありがとうございました。

また挿絵を描かせていただくにあたり
作品の原文の使用も快く承諾して下さいました。
あめしきさん
心より感謝しております。

ここからは挿絵を添えた「絵本」として
読んでいただけたらとても嬉しいです。
ではよろしくお願い致します。


***


「雨の日のあとには」

文 あめしき@02文庫さん
絵 ねじり


「僕ら、もうすぐ消えるらしいよ」
 となりの雨が、言いました。空から降る雨つぶの、そのいっぱいの中の一粒は、黒っぽい雲を映して笑います。

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「いきなり何を言うんだい、僕らさっき産まれたばっかりなのに」
「本当さ、聞いたんだ」
「だれにさ」
「となりのとなりのまたとなり、先に雲から出て行って、しとしと降ってた雨つぶさ」
 となりの雨はいつしか雲じゃなく、高い建物のてっぺんを映していました。
「ほら、地面が見えるだろ、あそこに落ちて僕らは消えるんだ」
 そう言ったとなりの雨は、だけど、黒い傘の上に落ちて消えました。

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「毎日毎日、雨ばっかりで嫌になるなぁ」
 となりの雨が消えたあと、雨は男の人がつぶやく声を聞きました。それから地面に落ちて消えるとき、ようやく思い出すのです。
 それは初めてのことじゃなく、何度も繰り返されていることでした。


「僕ら、もうすぐ消えるらしいよ」
 となりの雨が、言いました。その日、雨は野球のグラウンドに落ちました。
「この雨じゃ試合は中止だなぁ」

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 お父さんが子供に言いました。あとからあとから、他の雨粒がグラウンドをぬらします。ぐちゃぐちゃになった土では、野球の試合はできません。
「楽しみにしてたのに」
 雨は、子供が泣きそうな顔で言う声を聞きました。


「僕ら、もうすぐ消えるらしいよ」
 となりの雨が、言いました。その日、雨は赤いもみじに落ちました。
「この雨じゃ、すぐに散ってしまうな」

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 傘を差しながら、もみじを見ていたおじいさんが、となりのおばあさんに言いました。しとしと降ってくる雨に、もみじは時々、枝から離れていってしまいます。
「さびしいですねぇ」
 雨は、おばあさんが目を細めて言う声を聞きました。


「僕ら、もうすぐ消えるらしいよ」
 となりの雨が言いました。その日、雨は子猫の背中に落ちました。

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 ダンボールの中でうずくまる子猫は、ぬれた体をふるわせながら、いっしょうけんめい、誰かを呼ぶように鳴いていました。
 冷たく降ってくる雨は、温かかった子猫の体をだんだん、だんだん、冷やしていきました。
 雨は、目をとじて動かなくなる直前の、子猫の小さな泣き声を聞きました。

 それは何度も何度も、繰り返されることでした。雨は産まれては落ち、落ちては消えていきました。

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「僕ら、もうすぐ消えるらしいよ」
 となりの雨が言いました。その日、雨は女の子の頬に落ちました。
「パパ、どこか行っちゃったの?」
 女の子が、ママに聞きました。
「そうね、行っちゃったね。ずっととおくに行っちゃって、もう会えない、かもしれないね」
 黒い服を着たママは、黒い服を着た女の子の手をひきながら言いました。
「やだ、パパに会いたい」

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 女の子の頬に、涙が流れました。

「やあ、雨。なんだか君まで泣きそうな顔をしているね」
 雨に話かけたのは、女の子の頬を流れる涙でした。
「雨はなんで降るんだろうね」
 雨は涙に聞きました。
「暗い気分にさせたり、野球の試合をできなくしたり、もみじを落としたり、子猫を冷たく動かなくしたり。みんないやがらせて、降り注いだらすぐ消える。雨は何のために降るんだろう」

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 雨は、今までの雨の日を思い出していました。雨が降ると、みんないやな顔をするのです。そんなこと、望んでいないのに。何を望むか考える間もなく落ちて、消えるのに。
「意味があるから降るんだよ」
 涙はしっとり言いました。
「雨が降って消えるまで、確かにみんな笑顔ではないかもね。でも続きがあるんだよ。雨が降らなきゃ生き物は生きられないし、ほら」
 涙に言われて、雨は空を見上げました。

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他の雨はだんだん、だんだんと少なくなり、雲の間から光が射しはじめています。
「空を見ていてごらん」
 涙はそれだけ言うと、女の子のママの手でぬぐわれて、消えました。

「泣かないで」
 ママは女の子に言いました。

「パパはとおくに行っちゃったけど、もう会えないけど、それで終わりじゃないの。パパがいなくなっても、あなたがいる。あなたが幸せになれば、パパも幸せになるよ」
 女の子は、きょとんとした顔で聞いていました。
「だから、笑顔でいなきゃ」
 だれかが居なくなっても終わりじゃない。雨が降って消えたあとの、続き。雨は、それが幸せな笑顔だったらいいなと思いました。
「ほら、見てごらん」
 ママが空を指差して、女の子は顔を上げました。

 雲の合間の光は、雨上がりの空に、大きな大きな虹を作っていました。

 頬を伝って、地面に落ちて消える前。
 雨は、女の子が「わぁ」と言って、虹に向かって駆け出す、その一歩目の足音を聞きました。

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(了)


***


最後まで読んでいただきありがとうございました。

こちらを読んで、様々な感想や意見をもった方も
多くいらっしゃったと思います。
折角の素敵な文章に絵が合っていないとか
解釈が違うのではないか…などなど。
しかし、まずは最後まで読んでいただけたことが
とにかくとても嬉しいのです。
本当にありがとうございます。

ここからはねじりが考えるこのお話の解釈について書いており
少々長くなります。
ですので、もしお付き合いしていただける方がいましたら
ぜひこの先も読んでいただけたら幸いです。
よろしくお願いします🐨

絵についての説明

今回の挿絵について少しご説明させていただきたいと思います。
まずはこの主人公である「雨」の捉え方です。
今回は雨の妖精というイメージで描かせていただきました。
雨の妖精は青を基調としたものにして、帽子の先には雫をつけました。
そして今回は、妖精の表情はあえて
あまりしっかり出さないことにしました。
お話の中では雨の始めの印象は、あまり良いイメージでは表現されておらず
そこを強く出すためには顔をはっきりさせないことにしました。
なので表情がない分、できる限り雰囲気で表現するよう気を付けました。
また対象内容が変わる毎にその場面場面には
必ず小さく存在させることにしました。
そっと隠れていたり…といった感じにですね。

最後の絵の解釈

恐らく最後の絵が一番わかりにくかったのではないかと思います。
これは雨の妖精が「赤ん坊にもどる」ようなイメージで描きました。
なぜここで「戻る」なのか…?

一番最初の絵では雨の妖精は「妖精らしい」姿をしています。
しかし最初の絵も最後の絵も
雨として既に生まれていること自体は一緒です。
そして「あとはもう落ちて消えていくだけ」という立場も
何も変わらなず同じ状況のはず…
けれど一枚目の絵のおしゃべりしている妖精の姿と
最後の絵の雨の雫に包まれている赤ん坊の姿では
その意味するところは違うのではないかと思い
その感じたことをそのまま描いてみたいと思いました。

なぜこう思ったのか…それは
最後の文章の直前にあった「地面に落ちて消える前」を読んだ時に
これは「全く別の姿」として描いた方がいいような気がしたからです。

雨として生まれ、既に存在している姿としては同じ状況でも
最後の場面では自分の存在が消えようとしているその事実が
より濃く描かれています。
そして消える本当の直前になった時にこそ
雨は生まれたての赤ちゃんの姿にもどりながら消えていく…
そんな感じだったらどうだろうか?と考えたのです。
(ねじりの勝手な考えですが…)

私たちも年をとると身体や見た目に変化がおき
寿命がつきたらこの世から消えていくのでしょう。
つまりそれは自分本来の姿へと戻ることになるのではないか…と。
雨の妖精も最後は生まれた姿に戻り
そこからまた新たな雨としての命を繰り返す…
「消える直前」という言葉のイメージを
そのように考えてみました。

意味がわかりにくくて大変申し訳ない部分もありますが
最後の絵については
「雨の雫に包まれながら生まれたばかりの雨本来の姿にもどる」
そんな絵にさせていただきました。
ちなみにこの絵の色については、虹の七色を使い
そこも併せて表現してみました。

そして雨が消える前。
女の子が虹に向かって駆け出したその一歩目の足音を
雨は生まれたての赤ん坊に戻ったその耳で、しっかりと聞いていた…
ねじりにはそんな情景が浮かびました。

題名について

挿絵を描くにあたり
題名の「雨の日のあとには」についても考えていました。
先程も書きましたがこの中でまず雨は、最初はみんなから少し
嫌がられているような感じに表現されています。
しかし最後には反対に、雨の大切さが
じんわりと伝わってくるように書かれてあります。
パパを亡くした親子のやりとりの場面でも

「パパはとおくに行っちゃったけど、もう会えないけど、それで終わりじゃないの。パパがいなくなっても、あなたがいる。」(本文より)

出来事には必ず続きがあるんだよ、繋がっているんだよという
題名に込められた意味にも通じるメッセージが
ここではより強調されているような気がしました。

お話の中にもありましたが、自然を含め私たち生きもの全てにとって
雨は生きていくために必要不可欠なものです。
それなのにこちらの勝手な都合により嫌ってしまっていることも多い…
でもそこで改めてその大切さに気づいてほしいという作者の思いから
もしかしたら最後に「虹」という存在で、そのことを表現したのかなと。
これは全てねじりの想像でしかないので
本当のところはわかりませんが…

空にかかる虹にはいつでも出会えるわけではありません。
晴れているなか突如として現れるわけでもありません。
虹は雨粒に反射した太陽の光。
雨がなければ空にかかる虹を見ることはできないわけです。
つまり雨と太陽の光がなければ、虹は現れない。
雨が降ったあとには虹ができるように、何事にも続きがある。
見えるもの、見えないものなど…そこには色んな「続き」が隠れている。
色んな出来事を大きな視点で捉えてみれば、その中には
これまた大きな生命の繋がりがあるように思いました。

だれかが居なくなっても終わりじゃない。雨が降って消えたあとの、続き。(本文より)

この言葉は、このお話の本当に伝えたいことを
とてもよく表している部分なのではないでしょうか。
だからこそ「雨の日のあとには」という題名だったのかな…
と、考えられるような気がします。

そして雨は最後に優しく願うのです。

雨は、それが幸せな笑顔だったらいいなと思いました。(本文より)



***


あとがきとして
なぜこの挿絵を描くことになったのか
またそこに至ったきっかけや創作中の思いなども
次回お話したいと思っております。
ぜひそちらも読んでいただけると嬉しいです。

長くなりましたが最後まで読んで下さった皆さま
本当にありがとうございました🐨!


ではまた。

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