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牡丹餅じゃなくて、豆大福がいいな。

「棚から牡丹餅」

「思いがけない好運を得ること」
「労せずしてよいものを得ること」のたとえ。

牡丹餅とは「おはぎ」のことで
昔は甘いお菓子というのは非常に贅沢な品だったということから
この諺の中では「良いもの・幸運」の意味を持ちます。

《棚から牡丹餅の由来》
棚の下で口を開けて寝ていたら棚にあった牡丹餅が
何かの拍子で落ちてきて口の中に入った
…という出来事からなんだそう。

ただしこちら、諸説あるみたいでして。
棚から落ちてきたわけではないとか、棚に入っていただけとか。
さらに言えば、頑張って探しまくって見つけたのか
落ちてきそうな牡丹餅を忍耐強く横になって待っていたのか。笑
それについてはわかりません。
しかしです、これ…
とにかくラッキーな出来事が起こっていることには間違いない!!

些細なものから大きなものまで幸運の度合いに関わらず
みなさん「たなぼた」の経験ってあると思うんです。

ふむ。

これ、日常でいっぱい使いたくないですか?

全てを「たなぼた」精神で捉えてみるのはどうでしょう?
つまり、自分が努力したことでも結果が良かったことについては
「これは運が良かったんだ。ラッキーなことが起こったぞ。」と思う。
そうすれば、努力して結果がでない時でも
「今回は運が悪かっただけだな。じゃまたやってみるかな。」
と思って、淡々と受け止められるかもしれない。
努力してもしうまくいかなくても「運で決まるならまぁしょうがない」と
当たり前のことのように受け止められるかもしれない。

いい結果が出れば「運がいい」
いい結果じゃなかったら「今回はちょっと運が悪かったかな」
こう考えられれば少し楽になれるかもしれない。
真面目な人は特に、全てを自分の責任・能力の無さなどに
原因があるとして自分に失望して落ち込んでしまいます。

でも「運が悪いな」ってことなら
みんな誰しも結構よくあると思うんです。

努力しても思うような結果が出ないことが続くと
決まってみんな自分を責め始めます。
でも実は、自分に合わないことをやり続けているだけなのかも。 
それってつまり「運が悪い」だけなのかもしれない。

努力しても報われないことがあることは
みんな承知の上で生きている。
それはもはや、ほぼほぼ「合う合わないの問題」なのかもしれない。
でもそれってなかなか気づくことがでできないんですよね。
そこで落ち込んで、努力することが嫌になってくる。
頑張ることが窮屈になってくる。
やりたいことをやれなくなってくる。
いつもできていたことすら、できなくなってくる…

それで「自分はできないダメな人間だ」と自分自身に対して
諦めてしまうことの方がよっぽど良くないのではないでしょうか。
ものすごーくもったいない。

「自分は運がいいラッキーな人間だ」と思うだけで
この危険な思想から抜け出せるのであれば
やってみる価値はあるのではないでしょうか?

「たなぼた」精神でいったら
ちょこっとだけハッピーになれるかもしれない。
でもこの「ちょこっと」が実は大事。
「ちょこっと」を集めて集めていーっぱい集めて…
こうして自分の中に染みこませて
大変な世の中を進んでいく。

そうすればなんとかなるかも。

うん、なんとかしたいですね。

あ、でも私は牡丹餅じゃなくて豆大福がいいな~。
ということでさっそく私の中では
「棚から豆大福」にさせていただきます。
ってことは「たなまめ」か…
ふふふ。
これで私はご機嫌です♬


ではまた。


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