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【パリの日々】秋雨の間に

神無月も残すところ2週間弱、パリの夜明けは8時15分をまわるようになってきた。
東の空のずっと先には日本があるから、日の出には国を思う。

私には、メモ帳以上日記以下のとりとめのないノートに言葉を紡いでいた時期があり、それらは秋の夜の残片であることが多い。
今日は、秋雨の合間に思い出すことなどを。

プーシキン、マルセイユオペラ座での「エヴゲーニイ・オネーギン」

2009年11月21日(土)
「ひとの世のなべてのものはつかのまに流れ去る。
流れ去るものはやがてなつかしいものとなる。」
(プーシキン)

ロシアの小説家・劇作家・詩人の中で私はプーシキンが最も好きだ。
『大尉の娘』で度肝を抜かれ、『ベールキン物語』中でも『その一発』には息を呑み、詩『青銅の騎士』、『ピョートル大帝のエチオピア人』に愛着を覚える。
寒さの増す秋に夏が恋しくなり、夜肝試しに出かけたい気分になったら『スペードの女王』。

そして何と言っても『エヴゲーニイ・オネーギン』。筋書きは単純で、オネーギンのこれまた単純な心情変化に呆れる瞬間もあるのだが、不完全で束の間の存在でしかない人間の、しかしながら重い苦悩と憂鬱が軽やかに、美しく奏でられていて(原語でなく日本語とフランス語でしか読んでいないが)、何度でも立ち戻って来たい煌びやかな韻文世界だ。

2020年の初め、コロナウイルスが拡大する直前に、マルセイユのオペラ座でこの作品(チャイコフスキー作曲)を観劇した。

パリのオペラ座のような絢爛さもなければ、大きさもオデオン座より小さいくらいかな? という印象。
観客の年齢層も様々、普段着で、とても親しみやすい場所だなと感じた。

壁や天井も「目を奪う」ようなものでなく、どことなく馴染める。

半年前にチケットを取り、2階の最前列、バルコニー席で観ることができた。

舞台のみならずオーケストラもよく見える。

いざ、演目の『エヴゲーニイ・オネーギン』。フランス語では『Eugène Onéguine(ウージェーヌ・オネギン)』。

前述のようにもともと話の筋がシンプルなこともあるが、全体的にすごくまとまり成功している演出だった。3幕それぞれで異なる人物に焦点が置かれ、見せ場のバランスが取れていた。最後のオネーギン、タチヤーナ二人の場面は頂点で、迫るものがあった。Bravo !

原作の印象は消えないもので、私はやはりタチヤーナに感情移入して、そのソプラノ歌手さんが最も良かったと思った。オネーギン役のバリトンさんもさすがの存在感、また、タチヤーナの乳母役も記憶に残る役回りをされていた。

歌手の方々はほぼ皆フランス人だったが、ロシアオペラいいなあと惹かれた。チャイコフスキーの音楽とロシア語が綺麗だった。ワーグナーのようなド迫力、大盛り上がりする瞬間、突然の静寂や切り替わりはなく、でも始終聴く者の心を引き留めて離さない。決して驚かすことはないのに、印象を刻む。

「ここがこうだったらもっと良かった」という不足が一切ない、完璧な3時間だった。

霧雨の中、セーヌ河岸のブキニスト

2012年10月28日(日)。
泣いた。
髪をばっさり切った。
神保町の古本まつりを、閉店時間まで歩いた。霧雨の中、セーヌ河岸のブキニストたちを思い出しながら。
一日は長い。
毎日生まれようと思った。

休日に何を泣いたのか、髪をばっさり切って何を発散したかったのか、捨てたかったのか、覚えていない。単なる秋の雨の日のメランコリーだったかもしれない。

当時、そのひと月前に旅行をしたフランスの、パリのことを四六時中考えていた。

日付を見て思い出したけれど、私がフランス語を習い始めたのはこの翌日。2012年10月29日だった。
言ってみれば、私はフランスから帰れないままフランス語学校に足を踏み入れ、移住して、たぶんその同じエンジンでずっと今日まで来ている。
私の日常にフランス語という言語が入るようになって、もうすぐ10年。ちょっとした記念だ。

アンヴァリッド廃兵院

タイトル上の写真は、先日散歩中に通りかかったアンヴァリッド(Invalides、廃兵院)。invalideは傷痍軍人の意味で、主に30年戦争の傷病兵を受け入れる病院・施設としてルイ14世の命により1670年に建設が開始された。

ドームにはナポレオンのお墓があることでも有名。天頂、黄金の十字架が秋空に映えて美しい。
今は軍事博物館にもなっており、こちらは見学したことがあるのだがドームに入ったことがないので、いずれ訪れようと思っている。

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