著作者_PublicDomainPictures

8-3.ミクロのイノベーション

ねぎぽんです。ワークショップのデザイナーとファシリテーターをしています。

このテキストの全体像は「目次」をご用意しましたのでご覧ください。


ここまで場を拘束する権力の関係性について書いてきました。畢竟、権力とは場に張り巡らされた文脈です。誰が文脈をその手に握るかが権力のゲームとなって駆け引きを生みだします。

場を拘束する文脈が固定化すれば、その場に関わる人間はみな規格化され等質なものへと化していきます。そこに差異を生みだす能力こそ身体に宿る力であることを見てきました。


さて、イノベーションを場の変容と定義するならば、イノベーションの仕事は場を拘束する権力の関係を解きほぐし変えてしまうことにほかなりません。個人の変容が学習であるように、場の変容もまた学習です。

学習とイノベーションを等価において考えるためにパウロ・フレイレの業績に触れることからイノベーションへの問いを始めていきたいと思います。

パウロ・フレイレはブラジル東部のペルナンブコ州の州都レシフェにおいて低所得層の農民に対して識字教育を続けてきた人です。彼の仕事は国の援助も大企業の援助もあったわけではなく、ただ彼の熱意から生まれてきたものでした。いまでは社会的起業(ソーシャルエンタープライズ)の先駆けとして数多く引用される事例です。

フレイレに学びながら、イノベーションを文脈の変容としてとらえていきます。フレイレが農民たちを拘束する文脈をどのように変えていったのか、それを考えていきます。そこから「エンパワーメント」「世界を名づける」といったフレイレファンには馴染みの言葉を取り上げていきます。


フレイレのイノベーションもリフレーミング技法の一変種だと考えます。リフレーミングである以上、ここまでの流れに即せば、フレイレの果たした「わざ」にはその身体に宿ったスタイルが介在しているはずです。

革命や政権交代のように社会全体を変革しようとするマクロのイノベーションではなく、フレイレがしたように目の前に苦しむ誰かのために一歩を踏み出す決断をミクロのイノベーションとして捉えていきます。ミクロであればこそ、そこには他者応答の様式としてのスタイルが輝きでるのです。


以下7100字です。


8-3. ミクロのイノベーション


8-3-1. Name the World!

人間は投げこまれた状況(家庭や職場、地域や組織)に拘束され、束縛され、限定づけられる。状況とは場であり、社会や世界であり、共同体である。人間は場と無縁ではいられない。場と相関する人間主体は場から影響を受けることを避けられない。しかし、反対に場へと影響を与えることも不可能ではない。状況の変容が主体を変えることもあれば、反対に、主体の変容が状況の変容を導くこともある。

 「イノベーション」は場の変容を生みだす事件である。イノベーションの起こるとき、主体を拘束する周囲環境は根底から変容を遂げていく。もしイノベーションの源泉が状況に変化を生みださんとする個人の内面に燃える情熱や信念にあるとき、その個人の役割や仕事は「ミッション」と呼ぶべきものとなる。

 貧しい人の運命を変えたいとひとり教育を自分のミッションと定めたパウロ・フレイレの業績からイノベーションをめぐる考えを始めたい。



エンパワーメント

社会を根底から変えるイノベーティブな出来事と言えばフランス革命や明治維新といった大事件が思い浮ぶものかもしれない。政治的な体制が大きく変容する歴史的な大きな出来事だ。しかし、真に社会を変えるためには政治制度の変更だけをしても十分ではない。政治体制が変わっても構成員の思考のリフレーミングが起きなければ社会は旧態依然としたままである。反対に、政治という大きな枠組みに変わるところがなくとも人々の意識に変化があれば、それに応じて徐々に社会そのものも変わっていくはずだ。

 社会を変えるためには人々の意識に変化をもたらすことが近道なき正道である。だからこそ、教育には価値がある。

 ブラジルの教育学者パウロ・フレイレはブラジル東部のペルナンブコ州の州都レシフェにおいて低所得層の農民に対して識字教育を続けてきた人だ。社会的起業やソーシャルビジネスと呼ばれる運動の先駆けでとなった業績だ。彼は自身の実践を『被抑圧者の教育学』の一冊にまとめている。いまや同書は世界的に読者を獲得していて、いまなお社会変革の教科書として世界各地のソーシャル・イノベーターに愛されている本である。


フレイレはレシフェに生まれ育った人だった。彼自身は公務員の家庭という中産階級の生まれで比較的裕福な幼少期を過ごした。当時のペルナンブコ州はブラジルのなかでもきわめて貧しい地域で、巨大な土地を保有した地主が小作人を奴隷のようにして収益を上げていた。植民地時代からの階級社会も色濃く残る地域のため農民たちの教育水準も低いままに留まっており、文字も読めない農民もごく当たり前に暮らしていた。

 1930年の世界恐慌はペルナンブコ州の主要産業である砂糖キビ農業に壊滅的な打撃を与えた。そのあおりを受けてフレイレの家庭も崩壊してしまう。11歳のフレイレは食べるものにも苦労する生活を経験し、学校に行けない時期もあったそうだ。

 貧しさの経験がフレイレに大きなトランジションを導いた。貧しさの惨憺たる現状をわが身に経験したことで、知らずにいた農民たちの世界があることに気づいたのだった。そのときフレイレは飢餓との闘いに生涯を捧げる誓いをしたそうだ。いちどは弁護士を志すものの教育活動へと身を転じた後はレシフェの地で貧しい人たちへの識字教育に長く携わることになる。


フレイレは「被抑圧者」という言葉を用いる。その言葉だけを聞くと権力によって抑圧された弱い人たちというイメージが思い浮かぶ。けれど、フレイレによれば「被抑圧者」の最大の問題は心に「抑圧者」を宿してしまっていることにある。被抑圧者と抑圧者を単純に二分して抑圧者が悪だと断ずる安易さはフレイレには露ほどもない。

 実際にレシフェの貧しい農民たちは貧しい境遇に苦しんでいたとしても、富める者を抑圧者として憎むようなことはなかった。「金も学もない自分たちが貧しいのは当然だ」「運命なのだから変えることなどできるはずもない」と当然の運命として受け入れてしまっていたのである。ひどい暮らしでも最低限生きることはできているから、あえてそれを変えることにも不安を感じてしまう。結局、閉塞しつつも安定したサイクルのなかを出口なく周りつづけていたのだった。

 「被抑圧者」という印象の強い言葉を使うことでフレイレは農民たちに気づきを促しているのである。すなわち、自分たちが実は抑圧された存在であるということへの気づきである。「これが当たり前」という無意識の思いこみに光を当てて、一石を投じる。そして「当り前ではないのでは?」「変えられるのでは?」と別様に問いなおしていく可能性を投げかけているのだ。

 畢竟「被抑圧者」とは社会を変えるためにフレイレが用意した新しい文脈にほかならない。そうして既存の文脈の循環を停止させ、切断して、別様の循環を生みだそうとしたのである。


現在の日本ではマタニティハラスメントがしばしば問題になる。マタニティハラスメントを黙認している社会の価値観も問題ではあるが、妊産婦自身がその暗黙の価値を受容してしまって「迷惑をかける存在である」というハビトゥスを身に着けてしまうことはより大きな問題である。

 結果「周囲に迷惑をかけている」という顔をする術を周囲との軋轢を避ける現実的な身の処し方として選んでしまう。そうすればするほど妊産婦が迷惑をかける存在であることを認めてしまうことになり、その境遇を強化してしまう。それこそ抑圧者の心を宿した被抑圧者の振る舞いにほかならない。だから「迷惑をかけている」という文脈をはずして、別の文脈を用意することが必要なのだ。

 フレイレには「世界を名づける」(name the world)という有名な言葉がある。世界のいまある現状を別の名に名づけかえることは、新たな文脈へと繋ぎなおすことである。「貧しい小作農」ではない。「被抑圧者」なのだ。文脈を「名づけなおす」ことで、いままで「見えないもの」の世界に押し込められていた存在が「見えるもの」へと浮上してくる。これはまさに一次変化を二次変化へと変容させるリフレーミングの「わざ」である。

 抑圧者と被抑圧者の差異は文脈の差異でしかない。ここを取り違えてしまうと被抑圧者の世界を脱して権力を手にした被抑圧者が今度は他者を抑圧する抑圧者になってしまうことさえ起こりえる。残念なことにそれは実に頻繁に起こることなのだ。被抑圧者が抑圧者より優れているわけでないことを、フレイレは深く自覚していた。

 だから、被抑圧者の解放は抑圧者を被抑圧者に追い落とすことでも被抑圧者を抑圧者にすることでもなく、被抑圧者の解放は抑圧者もまた解放するものでなければならない。抑圧者と被抑圧者が分離する世界の定義を抑圧者も被抑圧者もない新たな世界の定義へと「名づけなおす」のである。


   ***


地主たちは「父」として農民たちを支配するとともに保護していた。農民たちは学も能力もない存在、地主が守ってやらないと満足に暮らしてもいけない存在、すなわち、弱い存在で愚かな存在と見なされていた。だから、フレイレの努力は弱い存在や愚かな存在という歪んだ文脈を外すことに注がれていたのである。

 ただ、そこにはジレンマもあった。フレイレの提供する教育を身に着けて農民たちが強い存在や賢い存在へと変容することができたとしたら、それは「父」たる地主の庇護から脱することを意味する。「父」からすれば裏切りでしかない。そして、農民たちからすれば怖れを覚えることにちがいない。それくらいなら守られていたいと農民たちが思っても不思議ではない。

 しかし、ここで地主という「父」の文脈から離脱したとき、フレイレが新たな「父」として彼らを守り導くようでは、支配と服従、抑圧と被抑圧の構造は何も変わらない。暮らしの形が変わっても意識が変わらなければ真の変化とはならない。大切なことは誰かに依存する心の有り方を変えることにあった。誰かに頼らずとも自分の考えと意志で人生を切り開いていくことのできる自律した強さと賢さを身に着けることが、フレイレの教育の目的だった。


フレイレは自身の実践に対話的な手法を取りいれた。対話の力は当たり前のことが実は当たり前ではなく、文脈が違えばまるで違った様相に変容することへの気づきを導くのに大変効果のある手法だ。

 対話を通じてフレイレは自身の言葉もまた完全ではなく、変容するものであることを農民の前で認めてみせた。自身もまた「正しいこと」を知る存在ではないこと、誤ることのある存在であること、自分の弱さを示してみせたのだった。フレイレは支配する存在でなければ導く存在でもなく、共に学ぶ存在として農民たちに関わったのだった。

 答えは誰も教えてくれないこと、自力で見つけるほかはないこと、運命は自分たちの手で変えていかなければならないことを対話を通じて農民たちは学んでいった。もっとも、それだけの変容を受けいれることはとても大きな不安を覚えることであっただろう。だから、フレイレは農民たちが不安を乗り越えて自分で運命を切り開いていけるように、いつも寄り添って支えつづけた。これこそフレイレ教育理論の象徴ともされる「エンパワーメント」である。


フレイレの考えによれば抑圧者の教育はゴールが明確である。社会の文脈を握った抑圧者自身にとって「利」に適う人間へと変えることだ。そのような教育をフレイレは「銀行型教育」と呼んでいる。裕福な人間が貧しい人間に金を貸すように蓄えてある教育を与えてやるのだ。貧しい人は返済のためにコツコツと利息=借りを返す存在へと変えられてしまう。

 しかし、対話によって当たり前を問い直し、新しい文脈の設定を模索する被抑圧者の教育学にゴールはない。それを「問題解決型学習」とフレイレは呼ぶ。問題は当たり前のなかにこそ潜んでいる。当り前にまぎれた問題に気づき、問題を明るみに出す。そして、対話を通じて問題を解決しようとする学習である。銀行型学習は世界の仕組みを変えずにその蓄えだけを増やす学習だが、問題解決型学習は世界の仕組みを変えることを第一の目標とする学習である。



8-3-2. ささやかなミッション

フレイレをエンパワーメントの道へと進めたきっかけは世界恐慌だった。フレイレ自身貧しい暮らしを強いられた。そこではじめて貧しい人たちの苦しい暮らしがあることを知った。そのとき、自身の生きる意味「ミッション」を見いだしたのだった。

 たしかに出会いは偶然だった。恐慌がなければ貧しさを知らぬまま生きていたかもしれない。貧しい人たちと対話することもなかっただろう。しかし、大きな偶然であったからこそ人生を一転させるだけの力をもちえたとも考えられる。

 いずれにしてもフレイレはその偶然を逃さなかった。偶然を必然のものとして自身の人生に引き受けたのだった。あの時見た貧しい人たちの暮しはレシフェのどこにでも転がっている当たり前の光景でしかなかった。しかし、彼にはもはや当たり前ではなくなったのだ。どうしても関わらなければいられないものとなった。フレイレだけにしか見えない「徴し(シーニュ)=アフォーダンス」だったのだ。

 しかし、ミッションを受けいれた後の道は決して平坦ではなかった。社会の当たり前を変えようとして当たり前に逆らうことになったフレイレはブラジル政府から追われる境遇さえ経験することになる。それでも、見てしまった人間としての責任を果たすために彼は生涯を捧げたのだった。


   ***


ただしフレイレの偉業は決して「偉大」な仕事ではない。彼は政治家でもなければ、ましてや革命家でもない。社会の仕組みを変える仕事をしたわけではない。ただ貧しい人たちのそばにいて彼らの学習をエンパワーメントしつづけただけである。それはとてもささやかな挑戦だった。しかし、貧しさに暮らす人たちにとってはとても大きな影響を与えた仕事だった。フレイレの仕事の現代性は、ここにある。

 かつて社会を変えようとすることはとても「大きな」ことだと思われていた。革命が信じられていた時代もあった。つい最近まで社会を変えるには政治家や国家官僚を志すのが当然の道筋だとも考えられていた。しかし、現在の社会は変わりつつある。

 社会を変えようとして活動している人が僕の友人にもいる。ある女性は自身の妊娠と出産の経験を通じて産後うつに苦しむ女性のサポートに携わる仕事を始めた。ある人は障碍をもって生まれたことやがんに罹患した経験を糧にして患者が自身の病の経験を語れる場を作る仕事をはじめた。ある人はスーパーマーケットでひとり寂しく時間をつぶしている高齢者の姿に心を打たれて高齢者の集えるカフェを始めた。

 そういった活動はすべて個人的な経験から生まれてきたものだった。社会そのものを変えようとするにはとてもささやかで小さな気づきである。しかし「社会」という匿名でつかみどころのない曖昧模糊とした言葉とは違って、小さくとも具体的で当事者として関われる問題でもある。彼ら/彼女らは具体的に関わることのできる誰かのために責任=応答可能性を果たした結果、現在その道を歩きつづけている。その姿を救いや希望と思う人は数知れない。

 ヴァルター・ベンヤミンは、歴史家としてのメシアについて語った件で、歴史のなかで起きたことはすべて大事件と小事件の別なく記録することができる歴史家こそメシア的な存在であるとしていた。フレイレも彼に続くソーシャルイノベーターたちも決して大事件を起こそうとしたわけではなかった。自身の目に映る小さな人たちの小さな事件に関わろうとして一歩を重ねてきたのだ、でも、その歩みの小ささを嗤うことは誰にもできまい。その小ささゆえに救われた人も無数いるはずだからだ。


大きな物語が信じられていた時代は社会を丸ごと変えようとする革命の大きな物語が信じられていた。しかし、大きな物語の消失した現在では「私」が「私」のこととして、当事者として関われるアフォーダンスを見いだしていくことが、社会を少しずつでも変えていく道筋にもなる。この感覚が徐々に共有されてきている。

 世界は多様で複雑だ。それだけに世界に見いだすアフォーダンスは人によって様々だ。身体に根づいた記憶がスタイルの差異となって、アフォーダンスの知覚に差異を生みだしていくのである。

 妊娠の経験がある人は妊産婦の姿に目が行くし、病になった人は病気に関わるニュースが自然と耳に入ってくる。もちろんはじめは自覚などない。さきほどの高齢者のためのカフェを始めた友人は、スーパーマーケットで高齢者の姿を見るまでは高齢者のことなど気にかけたこともなかったそうだ。でも、それが目に入ってしまった瞬間、それが彼の運命になった。


ミッションはどこからか自然に湧いてくるものではない。世界の内で他者と共に関わりあうなかで次第と見えてくるものなのだ。そして、見ようとして見られるものでもなく、偶然に、思わぬところで、つい見てしまうものでもある。アフォーダンスとして受信してしまうメッセージは、意識的なものでも意志的なものでもなく、無意識的で非意志的に身体を触発してくるのだ。

 すこしでも運命めいたものを感じたとしたら、そこに自身の認知のスタイルが現れていることを自覚すればよい。何に興味や関心があるのかという無意識的な認知のスタイルを意識化してみることが次への大きな道しるべにもなる。

 大多数の人が無関心にしてきた当たり前、その当たり前の陰に隠れた小さな違和感に敏感になることで自分がどこに行きたいのかも見えてくるだろう。耳を澄ませば、どこからか呼ぶ声も聞こえてくるかもしれない。そうした微細な「徴」(シーニュ)が「ミッション」、すなわち「私」の存在する意味を教えてくれるのだ。

 混沌として不定形な世界に自身の関わるべきアフォーダンスの形を見いだしていく。そのプロセスはやはり身体的な「わざ」と根を同じくするものではないだろうか。一流のプロフェッショナルが混沌とした状況の「地」に臨んで独自の「わざ」で「図」を切りだしていくように、ミッションもまたその人だけに見える世界の姿として立ち現れてくる。

 ドナルド・ショーンがプロフェッショナルの「わざ」の力の秘密を「名前をつける」ことに措いたのは決して偶然ではない。そこにはフレイレの業績の亡霊が宿っている。フレイレはレシフェの貧困という「沼地」に自分だけのアフォーダンスを見て取った。そこに新たな形を与え未来と希望に続くリフレーミングを施したのである。


   ***


ある日、偶然目にしてしまったものがミッションとなる。そこにインプロ的なモーメントを見ずにはいられない。どんな偶然であっても一度「イエス」と言ってしまったからにはインプロバイザーは「アンド」せずにはいられない。イエス・アンドとはそういうものである。ぼくの友人たちは思わず「イエス」してしまったメッセージに「アンド」をしつづけて彼ら/彼女ら唯一の道を進むようになったのだ。

 レヴィナスが教えてくれたように他者の呼びかけに応答することが意味の唯一性を生みだしていく。だから、ミッションとは呼びかけへの責任=応答可能性にほかならない。「私」が唯一の「私」へと変容する意味の生成なのだ。

 この世界には無数の他者の呼びかけが谺している。どの呼びかけをキャッチしてしまうかは「私」の身体に染みついたスタイルが導いていく。すなわち「私」を「私」にしてきた身体の記憶、過去の偶然の出会いがその文脈を用意するのである。「私」の身体が世界をどのような眼差しで見るのかを運命づけるのだ。

 インプロバイザーは変化の力を身体に秘めた存在だ。自分自身を変容させ、他者を変容させ、場を変容させることができる。この三つの変容を「イエス・アンド」というただ一つのアクションでしてみせるのだ。だから、フレイレのようなミッションを見いだすためにインプロの教えてくれる感覚はすぐれたナビゲーションになると信じている。


【了】

画像著作者:PublicDomainPictures
画像は著作権フリーのものを使用しています

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?