【超短編小説】渡せなかった花束
「花束がほしい」
ゆかりが唐突に呟いた。
「花とか好きだったっけ?」
僕が訝しげに訊ねると、彼女は首を横に振った。
長く伸びた髪が左右に揺れて、シャンプーの香りがふわりと浮いた。
「花が欲しいんじゃなくて、花束が欲しいの」
彼女の薄い唇に髪の毛が重なる。
彼女の心中が見えなくて、あの時の僕はただ閉口した。
ゆかりがイギリスに一年間留学すると聞かされた日のことだった。
止める事もできなければ、ただの幼馴染みである僕にそんな権利もなかった。
せめて、彼女が欲しいものを贈って送り出してやろうと思ったのだ。
「寂しくなるね」
早朝の駅のホームはあまりにも静かで、僕たち以外の人は見当たらない。
ゆかりはこれから電車に乗って空港に向かう。
「そうだな」
花束を持つ後ろ手に力が入る。
昨日、初めて近くの花屋に行った。
花の知識がない僕は店員さんに、事情を伝えて、この場にふさわしい花を何本か見繕ってもらい花束にしてもらった。
花束はとても綺麗で、花に興味のない僕でも美しさに感動したほどだ。
この花束を見れば彼女もきっと喜ぶはずだ。
「最後に一つ聞いていいか?」
僕の問い掛けに、彼女は目で続きを促した。
「なんで花束なんだ?」
「ああ……」
彼女は得心したような顔持ちで、こちらを見る。
「なんでもよかったの花束じゃなくても」
「どういうことだよ?」
「私の事を考えて選んでくれた物ならなんでも。花束だったらいろいろ調べたりしてさ、達也が私の事を考えてくれる時間が増えるかなって思って……」
「なんだよそれ……」
僕はとんでもない失敗をしてしまった。
ゆかりへの大切な贈り物を見ず知らずの他人に任せるなんて、どうかしている。
彼女の門出を汚してしまった。
「それで? 花束買ってきてくれたんでしょ? 早く渡してよ。丸見えだよさっきから」
「いや、これは渡せない」
これを渡す訳にはいかない。
「なんでよ」
「一年待ってくれ」
「えっ……?」
「ゆかりが日本に帰って来た時、花束を持って迎えに行くから」
真っ直ぐに見つめて僕がそう言うと彼女は少し照れて俯いた。
「わかった。待っててあげる。だからその代わり……」
彼女が顔をゆっくりと上げた。
「達也も私が帰ってくるのを待ってて?」
言い終わった後、彼女は頬を染めた。
「ああ……わかった」
絡み合った視線が、ゆっくりと近付いてぶつかった。
彼女の顔が消えて、朝日の眩しさだけが目に飛び込んだ。
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