【ショートショート】透明人間
「成功だ……。遂にやったよ、塚本くん。ようやく完成した」
ショーケース内の実験用マウスがゆっくりと消えて、ホイールを回す音だけが聞こえる。
50年間費やした私の実験はようやく完成した。
人類の夢、透明人間。
研究仲間と呼べるものは、所詮絵空事だと、皆いなくなってしまった。
いまや残ったのは私を師と仰いでくれている助手の塚本くんだけだ。
塚本くんと二人で祝杯を上げるために用意したとっておきの酒を持って来よう。
「塚本……くん?」
振り返ると、私に銃口を向けた塚本くんが笑っていた。
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「塚本くん……?」
こちらに振り返った上峰博士が俺の名前を呼んだ。
俺は声を出せないように、銃口を上峰博士の口の中に入れる。
この時を待っていた。
上峰博士の熱意は凄まじかった。
女風呂を覗きたい、というただただ純粋な気持ち一つで50年間をその研究に費やした。
奥さんと子供に逃げられ、大勢いた研究仲間までが博士の元を去った。
気が付けば、博士の元には、若い頃に得た莫大な財産と俺一人だけになった。
助手といっても大してやることはない。上峰博士の指示通りに動くだけだ。それで生活に困らないだけの給料を貰えるのだからありがたかった。
詳しくは知らないが、若い頃に何かの発明をしたらしいが、俺はその頃まだ生まれてもいない。
50年間遊んで暮らせるほどなのだから、相当な発明だったのだろう。
世の中には出ていないことから、どこかの国がその発明を買い取った事は明白だ。
だが、俺は金などどうでもいい。上峰博士が作る薬、つまり透明人間になる事が俺の真の狙いだ。
上峰博士の元で働き出して丸10年が経った。
諦めかけた希望がいま形になったのだ。
ようやく完成したそれはどう見ても人間一人分しか残っていなかった。
上峰博士はおそらく、完成したものを自ら飲んだあと、もう一度作るつもりはない筈だ。
研究ノートはおろか、メモもないのがその証拠だ。一つ完成すればそれでいい。そう思っているのだろう。
仕方がない。上峰博士には申し訳ないが、俺にはどうしてもやらなければならない事があるんだ。
俺も……女風呂を覗きたいんだ。
何かを言いたげな上峰博士を無視して、俺は引き金を引いた。
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女風呂を覗きたい。
たしか、塚本くんには理由をそう話していた。
理由はどうあれ人類の夢です。お手伝いさせてください、と塚本くんが返したのを覚えている。
だが、この歳になると女風呂などどうでもいい。まるで性欲など湧かないし、私にはもう実験以外の楽しみなどないのだ。
それよりも長い間実験を重ねた結果、私は人間というものに興味が出てきた。
人間の欲望は時に人を狂わせる。
私はそれを見たいのだ。
この薬を塚本くんに飲んでもらうつもりだった。
彼自身、それを望んでいることだろう。
だからあえて、塚本くん、一人分しか作らなかった。
透明になれた人間の行動を観察したい、心理を知りたい。
そう思うようになっていたのだが、なるほど。
透明人間になる前に君は欲望を爆発させてしまったか。愚かな……。
塚本くんが引き金を引いた。
鋭い銃声が鳴り響き、カメラに映る私のクローンが床に崩れ落ちた。
身体は透明にできても、人の心までは透けて見る事はできない。
所詮は塚本くんも、薬目当てだったということか。
私は深く溜息をついて、二人分の酒を注いだ。
グラスを傾ける。
一人でした乾杯はあまりにも味気なかった。
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