見出し画像

「メタ思考」について考える

こんにちは、ねぎっつ@negittsです。

今回は「メタ思考」について考えていきます。

1%の人に刺さったら良いと考えて書きました。ボリュームが大きいですが、最後まで読んでいただけると幸いです。

有料設定ですが、全て無料で読めます。気に入った人だけ缶コーヒー代下さい。後で有料エリアになにか追記するかも!

 →有料エリア追記しました!すみません!でも8割以上無料だよー

0.この記事を読む価値・メリット

 メタ思考とは何なのか?より俯瞰的視点に立ち、「自分という主体を離れ、任意の意識・視点・価値基準を切り替えること」が、多くの人にとって最も有効なメタ思考の効果であり真髄です。通底するこの考え方は同じですが、その応用方法は多岐にわたり、このnoteはそれらのヒントを与えるものです。メタ思考の有用性を広めるため、このnoteを書こうと決意しました。

▼主体を離れる...メタ思考の真髄をお教えします!

画像47

 主体を離れるとは、自分を客観視するということです。後に詳述しますが、多くの人にとって最もわかりやすく、大きいメリットは、"アンガーマネジメント"に代表されるような、自らの意思をコントロールする効果であると思います。しかし私は、自分という主体の「痛み」を何も感じないわけではありません。怒りの感情はある程度制御できるようになってきましたが、頭痛のようなありふれた痛みに対しても無力ですし、日曜日の夕方に感じる抑うつ感もなかなか解消できません。ですが、これらの感情に対して、気持ちを切り替えるような一定の効果を感じています。

 また、後述する自己批判的思考は、現在社会問題化しつつある、偏った政治思想を増幅するエコーチェンバー現象に対し、人類が持ちえる唯一の武器であると考えます。今後、テレビ・新聞らに代表される受動型情報獲得手段の衰退と、SNSのような選択型情報獲得手段の流行は進む一方で、今後よりいっそうエコーチェンバーの深刻化は進むでしょうから、それに伴って重要性を増してくる思考であると考えます。

 またメタ思考は、ポジティブな応用方法として、クリエイティブなことにも活用できます。これによってアイデアが湯水のように湧き出てくる、というものではありませんが、煮詰まった思考を打破するのには有効です。メタ思考は、ある物事について他者に一緒に考えてもらい、発想を借りることと、本質的には同じなのです。疑似的に外発的な(自分の外で起きる物事をトリガーとする)発想を得られることは、創作やものづくりに携わる方々にはなんとなくご理解いただけるかと思います。

 また、多くの人にとっては、この記事に書いてあることは普段から、当たり前のように行っていることかもしれません。しかしそのような人の中でも、改めてその方法論を棚卸ししている人は少ないのではないでしょうか?

 また、このnoteではよくある「主体⇔客体」や「抽象⇔具体」の二元論だけにフォーカスしません。更に深堀りし、より抽象的に、「異なる物事や概念の間の飛躍」について考えます。

 また私が、私の定義する「メタ思考」について、私が最も使いこなしているのである、とは思っていません。むしろ私よりももっと上手く使える人がいるのではないか?と思うからこそ、こうして公開できる形にまとめています。有効性は感じているので、もっと上手く使える人に使いこなしてもらいたいと思います。

 似たようなことを考えたことがある方々は少なくないとは思いますし、これらから何か感じるところがあるならば、このnoteが”刺さる”可能性が高いと思われます!非常に長いですが目を通していただけると幸いです。

---注記---

 ※「メタ認知」はともかく、「メタ思考」という単語は、正式な定義が決まっている言葉ではないようです。だからと言って、本来は、それを言い訳にして、個人が言葉の定義を扇動するような「ミーム戦争」を仕掛けるべきではありません。言葉は個人の利害によって定義されるものでなく、大きな流れのなかで、大衆の集合意識の中で定義されるのが最も妥当であると、私は考えています。ただ、このnoteを発端に「メタ思考」の定義が決定されるということは、常識的に考えてあり得ません。であれば、これはこのnoteの中だけの、一種の言葉遊びのようなものであると思って、大目に見ていただきたいです!

 ※この思考方法は、メンタルの問題をなんでもかんでも解決できるものではありません。強いストレスに対しては、ストレッサーを直接的に取り除くことが一番の近道であり、気の持ちようでこれを軽減しようという取り組みは、場合によっては逆効果になることをご承知おきください。仕事のミスなら上司に報告しましょう。パワハラであれば通報しましょう。原因不明な重度の抑うつ感はカウンセラーか精神科に掛かりましょう。

 ※文中の細かい用語は精査していません。専門用語などの用法に誤りがありましたらごめんなさい。

 ※特に文中に記載していないように、文中の主張に医学的なエビデンスはありません。私が感じたことをベースに書いています。きっと大丈夫だろうとは思っていますが、これらがあなたのメンタルヘルスに悪影響を及ぼす可能性を100%否定できず、またそれによる責任はとれません。

---注記終---


1.「メタ思考」ってなに?

 1-1.発端

 私はこれまで、「任意の基準を切り替える様々な思考」に、現代人にとって有効な特徴を感じていました。

 人類の性質の中で最も大きな欠点だと思うのは、自分本意の思考に囚われがちであることです。これは利益の絡むことだけに限定されず、ただ漠然と今の思考から動けないということも含めます。この特徴は、その人の知識レベルや、社会的階級に限定せず、共通して持っているように見受けられます。

 私は、「この性質を俯瞰視しよう」という後天的な脳内回路によってこれを軽減する努力をしていますが、私にももちろん、常に存在する性質です。私は、自分と異なる意見を目にした時、これが強く脳内で働くのを感じます。完全な克服はおそらくできないと思います。

 この人類の原罪とも言えるような性質は、特にSNSを見ているとわかる通り、強固で有害性の高いものです。だから、これを軽減することは、人類にとってとても意義が大きいのです。故に、「任意の何かを切り替える様々な思考」は、人類にとって大きな武器であり、全ての人が身に着けるべき思考法です。「メタ思考」という言葉は、これに最も近い言葉であると思っています。メタ(高次の)という言葉の意味を考えたときに、「メタ思考」が前述のような内容を含むとしても、何ら齟齬はなく、問題はないと思います。

 これらのような人類の武器が、「メタ思考」というコンパクトな”言霊”になることによって、多くの人に浸透するのはとても有益なことであると思います。

▼メタ思考は人類の原罪に対する武器である

画像50

 しかし世間の「メタ思考」は、「ビジネスにおいて~」とか、「自分を俯瞰視すること」とか、ものすごく具体的なことに限定して、矮小化されているように見受けられます。

 「メタ思考」には、もっと適切な捉えられ方があると思います。そのように思い、これを改めて可視化しようと思ったのが、今回の発端です。

 1-2.世の中の定義

 世間ではメタ思考ってどのようにとらえられているのでしょうか?正しい定義があるのでしょうか?と思ってひとまず辞書。「メタ思考」はなかったのですが、「メタ認知」はありました。

◆メタ‐にんち【メタ認知】
《metaは、より高次の、の意》認知心理学の用語。自分の行動・考え方・性格などを別の立場から見て認識する活動をいう。(小学館、デジタル大辞泉より)

 これは、私のイメージにちょっと近いです。ただ私は、多くの人が、もっともっと広い思考の枠組みを、単語から直観できるようにしたいんですよね...。また、世間ではどのようにとらえられているのか、ググって大まかに確認。

▼「メタ思考」の検索結果 うーん...?

スクリーンショット 2021-07-11 145256

 なんか...コレジャナイ。これはもっと違っていて、「一つ上の視点」とか「客観視」だけでは、メタ思考の本当の姿がとらえられないと思います。

 1-3.私の定義...「一つ上の視点」だけではない

 私が有効性を認めているのは、「自分という主体を離れ、任意の意識・視点・価値基準を切り替えるような思考」です。単純な「一つ上の視点」や「客観視」だけではないのです。次章ではより具体的に、それらを明らかにし、しかるべき「メタ思考」の姿を再定義していきたいと思います。

▼主体を離れる...これにより得られる効果とは?

画像2


2.「メタ思考」のあるべき姿とは?

 2-1.俯瞰的思考-主体とは別視点の獲得-

 「俯瞰的思考」は、おそらく一般に最も広く、メタ思考の定義として考えられているもので、典型的な用いられ方であると思います。私個人としても、メタ思考の最も有効な使用例の一つであると感じています。いわば定石であり、私が議論したいメタ思考の基礎になるものです。

 自分を俯瞰するとはどういうことか?イメージは下記の通りです。

▼自分視点のイメージ

画像39

▼メタ視点のイメージ

画像40

 また、このように表現されることもあります。

▼喜怒哀楽を俯瞰視する

画像50

 この効果はやはり、自分の主観から抜け出すことにあります。具体的には...感情(喜怒哀楽)から離れることです。

 典型例は"怒り"です。次のように言う人もいるかもしれません。「いやいや、なぜ怒りを抜け出す必要があるの?別にそのままでよくない?」もちろんそれは一つの考え方ではあります。怒って怒って怒りつくしたい人は、そのままのあなたでいてください。

 ただ、世間には「アンガーマネジメント」という概念がありますね。これが有料のセミナーになるくらいには、「怒り」を抜け出せずに悩んでいる人がいる訳で、本当にそれを軽減できるならば、この思考は有益であるといえるわけです。ここからは、非常に怒りっぽく、自分の怒りっぽさをなんとかしたいと考えているタケシ君の例で考えていきます。タケシ君が持つべき視点は、下記のようなイメージです。

▼メタ思考の典型的な応用例:アンガーマネジメント

画像49

 では「怒る自分」を俯瞰視する、とは、脳の使い方のイメージ(あくまでイメージですよ)としてはどうなるのでしょうか?これは一言で言えば、メタ視点のための脳内領域を確保した状態です。例として、ここでは怒りっぽいタケシ君と、怒りっぽいけどメタ思考を獲得したタケシ君を考えてみましょう。

▼感情(主体)だけの、怒りっぽいタケシ君

感情100

▼怒りっぽいけど、冷静なメタ視点(メタタケシ君)も併せ持つタケシ君

画像49

 「自分を抜け出す」というのは、つまり、別の脳内領域を確保する、もっというと、俯瞰視する別人格を脳内に作るということなんですよね。この別人格、メタタケシ君を作り出すことが、ここでのメタ思考です。

 ここで大事なことは、主体とその他で明確に役割分担をすることです。主体タケシ君は怒りにリソースをつぎ込んでいるので、主体タケシ君がそのまま自分の行動を分析するのはなかなか難しいです。マルチコア化して、別のコアは分析を担うという”イメージ”を持つことにより、意識がしやすくなりますね。ちなみにこれは、基本的には喜怒哀楽、苦しみ、憎しみ、無気力 などの感情全てに共通する思考の枠組みであると思います。

 念のために説明しておきます。これはあくまでイメージや考え方に過ぎず、前述もしている通り、これがあるからといって喜怒哀楽が全てキャンセルできる訳ではないです。

▼よくある誤り”完全なるメタ思考” つまり、”悟り”

画像44

 私は、完全なるメタ思考の獲得は、現状の人間のハードウェアでは不可能であると考えています。感情とは本来、脳の物質的な働きであって、メタ思考はこれをソフトウェアで制御しているに過ぎないからです。これを完全に克服するには、ハードウェア(脳)を直接いじるなり物理的な作用を効かせるしかないわけです。簡単に思いつくのは向精神薬とか、ロボトミー手術とか...多分それでも完全には難しいんでしょうけど。

 強い感情を無理やり抑え込むのは、難しいです。当然のことながら、感情が強ければ強いほど、です。身も蓋もないことですが、メタ思考でなんでもかんでも解決しようとしないでください。また、感情が強いほど、メタ視点を維持するのは難しくなります。トリガーになるものから、強い感情の発露(強いセンサー出力)によって主体への割り振りが強くなってしまうようなイメージです。これは私が運用する中で得たひとつのやり方ですが、強い感情に対しては下記のイメージが多少有効です。

 主体にある程度自由にさせてやることです。当然ですが、これは怒りの感情(脳内での働き)を阻害しようとしないということで、人に危害を加えることも止めるな、というわけではないですよ。行動は止めますが、怒りが湧き出てくるのは抑えない、ということです。無理に抑え込むとか分析するとか、まず考えずに、主体がおちつくまで待ちましょう。

▼強い感情の制御のコツ

画像49


 2-2.整理したい"主体"と"メタ"

 ここで一度、文中で用いている言葉について整理したいです。いきなり主体とかメタとか言ってすみませんでした。言葉の説明の前に、大まかなイメージをつかんでいただきたく、この順序になりました。

実体:体です。実際に駆動しているハードウェア。体、脳、感覚、、神経、体のセンサー、五感。

主体:実体(ハードウェア)による出力されるものです。五感(センサー)からの出力されるアナログ値、それによる感情、喜怒哀楽、主観、主人格。

メタ:ハードウェア上でエミュレーションする思考や視点。思考、メタ視点、神視点、別人格、メタ人格、客観。実体とは独立している(ことを目指す)思考のこと。センサー出力に左右されず動く。

 ここまで読んでいただければなんとなくつかめますよね?

▼主体とメタの構造

画像51


 2-3.ビジネスパーソンに向けたメタ思考

 個人的にはあまり好きではないのですが、ビジネスの文脈では「メタ思考とは”そもそも論”である」とよく言われているようです。もちろんこれもメタ思考の有効な利用法であるとは私も思いますので、こちらで触れておきます。

 よく書かれているのは、例えば上司から指示を受けたときに、そもそもその指示は正しいのか?と問い直すこと、そのような考え方の枠組みのようです。つまり一つ上の次元(上司の視点)に立って考えるということ。例えば下記のケースです。上司から、棚のハサミをとってくるように言われました。画像に、普通の考え方と、メタ化した考え方を、それぞれ示します。

▼上司はなぜハサミが必要だったのか

画像44

▼メタ思考で、上司視点から考える

無題のプレゼンテーション (6)jjjj

 メタ視点を用意すると、上司の立場での視点が出てきます。たしかにこれは大事ですよね。上司も人間で完全なる存在ではないので、上司の考える[趣旨]から[指示] つまりコミュニケーションの段階で、趣旨の中の重要な要因が何かしら抜け落ちてしまう可能性がありますよね。これを見越して、後付けのメタ思考でこれを補おうという訳です。

 今回は、「私が個人で持っているものがありますのでどうぞ、また先ほどの会議資料を切り分けるつもりでしたら、私がやりますよ」。上司の想像以上の結果につながるのであれば、(上司が狭量な人間でなければ)これはとても良いですよね。

 しかし、ビジネスにおけるメタ思考は"そもそも論"だけで済ませるようなものでしょうか?私はもう少し拡張して考えることによって、さらなる可能性を引き出すことができると思います。

▼「切る」という前提を外して考える

無題のプレゼンテーション (8)

 本質的には、目的は情報を分離して配れるようにすればいいんだよね?じゃあちぎればええやん。

 な、なんて迷惑な部下なんだ...絶対に下についてほしくない...。というのはおいておいて、このような、徹底的な目的主義の思考によって、上司が期待する以上の結果が出ることも、なくはないですよね。だって、ハサミ使うより手で破る方が早いもんね。既存の自分の「しかるべき大きさで、見栄えが悪くない程度に整った切り方で分離する」という思考、常識に囚われていると、良くも悪くも、こういう発想は出てこない訳です。恐らく普通の会社では、この"資料xxx-xxはA4サイズで印刷したものをハサミで8分割し誤差3%以内で..."という規定はないでしょうが、"人に見せる資料は綺麗に切る"という暗黙の了解が存在するはずです。ここでは、そのようないわば"業務の枠組み"を破ったわけです。最も大事なことなのですが、実際にやるかどうかはおいておいて、こういう視座が、自分の中にひとつはあっても良いですよね。考えるだけならノーリスクなんですから。

 業務の枠組みを破るって、あり得ない、ダメなことのように思えます。しかしそもそも考えてみてほしいのですが、業務に”正しい形”など存在するのでしょうか?企業に勤めていると、その「会社の中での正しい業務」というのはもちろん存在しますし、たいていの場合、それを破らないのが良いこととされます。(強固に洗練された業務フレームワークを持ち、一部の天才に頼らない経営を是とする企業もあります。※後述2-5参照)

 しかし、例えばその企業の中で絶対だとしても、同業他社と並列的に比べてみるとどうでしょう?例えば同じ”自動車を売る”メーカーをとってみても、仕事の枠組みは異なってくるでしょう。もし、他社の方が圧倒的に利益率が高いとすれば、もちろん要因の分析は必要ですが、自社の枠組みが正しいという根拠も薄くなってくるのではないでしょうか。そうなってくると、そもそも自社のフレームワークにこだわらず、業務の種別や業界などあらゆる枠組みを超えて考えることも、一つの正解と言えるでしょう。業務フレームワークなんて、ちょくちょく更新して手入れしていったとしても、いずれ陳腐化しますしね。

 2-4.多視点のいいとこどりをしよう

 とはいえ、あまりにも既存の枠組みを破壊して、先人の知恵を無碍にするのも不利益なわけです。

 ではどうするか?先ほどの2-1の喜怒哀楽の話で述べたように、メタ思考によって各視点を並列化しましょう。既存の、"フレームワーク従属的な視点"を持つ一方で、"フレームワーク破壊的なメタ視点"を持つ。さらには、業務に合わせて、これらの割合を制御する"マネジメントメタ視点(俯瞰視)"を、並列的に考えてみましょう。

 ▼3+1種類の自分を並列化

画像51

 本当にこれが制御できるならば、これはいわば良いとこどりですよね?最強では? ここで難しいのは、これらを制御するマネジメントメタ視点です。最適に割り振りするには、最適に制御するための指標感を持っていなければできない訳です。ここは経験が最も効くところだと思います。ひとまず並列化ができるようになれば...つまり今あなたの中にマネジメントメタ視点が生まれたなら、これからドンドン経験を積んでいってくれるでしょう。

 2-5.フレームワークの使いよう-トヨタ「天才に頼らない経営」-

 少し話が変わってしまいますが、ここで少し脱線させてください。私は今、「メタ思考を使って、とにかく常識を打ち破りまくれ!」ということを伝えたい訳ではないのです。そのために、日本一の自動車メーカーであるトヨタの経営方針について紹介させてください。

 「天才の超絶アウトプットに頼るよりも、何万人もの多くの社員たちからベターなアウトプットを安定して得る方が、企業として強くなる」のはほとんど自明であると考えられます。トヨタは、一部の天才に頼らない経営を標榜しており、多くの従業員からベターなアウトプットを得るため、業務のフレームワークを磨くことに注力しているそうです。

 仮に天才が、1000人に3人の外れ値として存在するとしましょう。0.3%の天才は枠組みをぶっ壊しがちなため、業務フレームワークの洗練化が阻害され、その他の社員のアウトプットを3%減らしてしまうとします。すると...

 3.0*0.003 + 0.8*0.997 ≒ 0.768  社員全力の 76.8% のアウトプット

 3.0*0.000 + 0.8*1.000 = 0.800 社員全力の 80.0% のアウトプット WIN!

 愚直に式で表すまでもないかもしれませんね.... あくまで例えばですが、このアウトプットの差が利益率に直結するとしたらどうでしょう? 利益率5%のメーカーが3.2%減ったら...。(ちょっと簡単化しすぎですかね。。。)

 これに加えて、天才の出現確率は社員数の多い大企業ほど統計に従います。例えば社員10人のベンチャー企業で、そのうち3人天才を集めることは、できなくもない。一方の大企業では、10万人リクルートしたうちの3万人が天才なんて、ほぼあり得ないですよね?(逆に言うとこのへんをなんとかするのが人事の力の見せ所かもしれませんが、限界がありますね)基本的には、大企業は存続を是としており、このようなブレ(外れ値)を好まないのは当然ともいえるかもしれません。

 ...と、ここまで言っておいて、難しいところは、フレームワークをぶっ壊すことで爆発的に改善される可能性もあるんですよね。妥当なのはやはり、要求される能力に合わせて部署という枠組みで囲い込み、運用を変えるのが良いのでしょう。例えば定型の存在しないような分野の研究開発に天才を集めると、300%どころか30000%のアウトプットにつながるかもしれません。前述のトヨタも、自動車運転開発子会社のToyota Reserch Institute や、トヨタ中央研究所にはそのような尖った人材を集めているのではないでしょうか。そして、部署や会社で囲っておけば、わざわざ道場破りしてヨソの業務フレームワークをぶっ壊しに行くようなヤツは、まぁ、そうはいないですよね...いや少しはいるかもしれませんが...。 

 2-6.本来あるべき「メタ思考」

 どうでしょうか?ここまで読んでいただければ、なんとなく私の定義する「メタ思考」が、世間で言われるような"そもそも論"とか"俯瞰視"というような単純なメタ思考とは、若干異なっていることが掴めてきたのではないでしょうか。そう思ってくれたなら、ありがとうございます。

 最も簡単に表すとすれば、メタ思考は、さまざまな"次元"を飛び越えることです。

 ざわ...ざわ...。またなんか全然違うことを言い出したぞ....。というのは、別に異世界転生することではありませんよ。目の前のあらゆる事象に対して、様々な次元(簡単には単位)や指標、物差し、パラメータ、概念などを持ち出してきて、それを切り替えて考えること、です。メタ思考が高度に成熟している人は、これを無意識に、瞬時にたくさん取り出して、色々あてはめて、それらを持ち替えたり、数値を切り替えたりすることがものすごく高速でできます。そしてひとつのポイントとして、これを感情抜き(理性で)にできる。持ち合わせる物差しをしっかり定義できていたら、それを持ち替えるのも、事象にあてがうのも、究極的には思考はいらないんですよ。高速でできるなら、順序とか考えずに、右から並んでいる順に差しをあてがっていけばいいんです。

▼高度にメタ思考が成熟している人は、様々な価値基準etc...を持っている

画像51

 メタ思考には、目の前の物事に、一つの物差しを充てることが正解だと思わない、という態度が大事です。例えば目の前にリンゴがあるとして、これを理解するときに、まずそれの持つ情報をつまびらかにしようとしますよね。例えば大きさは、メジャーを充てるなり物差しを充てるなりすればよいです。しかしそのリンゴの持つ情報は大きさだけじゃないですね。大きさ、色、密度、糖度、熟度、位置情報、だけでなく、時間軸でみると、それまで存在していた座標、銘柄は王林かふじか、物質的意味、誰が所有していたか、どの農家からきたか、農家のおじいちゃんがどのようにもぎとったか、さらに言うと、ニュートンが万有引力を発見した時のリンゴだったとしたら、特別な価値を持つものだし、いやいやそこらのス-パーで売ってたリンゴかもしれないし...。私の未熟なメタ思考によりかなり偏ってしまいましたが、リンゴというものを理解するにも様々な"ものさし"を持ち替えて考えることができますよ、というのはなんとなく理解いただけましたか?情報は大きさだけだと思って、長さだけを測るものさしをあてがっても、長さしか測れないんですよ。

 ▼長さしか測れないんですよ

画像31

 "ものさし"は、人格とも言えます。自分の価値基準とも言えます。メタ思考とは、価値基準の多様な様々な自分を、自分の中に飼い、反復横跳びのように瞬時に切り替えることなのです。

 ▼メタ思考とは、思想・価値基準・あらゆる次元 の反復横跳びである

無題のプレゼンテーション (1)


3.メタ思考のさらなる応用

 ここまで私の定義するメタ思考について、詳しく書いてきました。ここから、私が有益と考える、さらなる応用方法について考えていきます。

 3-1.自己批判的思考

 やっとここまでたどり着いた...。私が最も伝えたかったのは、この自己批判的思考なのです。情報爆発の加速する時代に、これは最も価値の高まっているメタ思考の応用です。もちろんながら、9割の方々はメタ思考という文脈以外でもこれが大切だと感じておられるとは思います。ここでは、批判的思考の重要性、次に批判的思考を維持するため(これが意外と難しい)にメタ思考がいかに重要かを述べていきます。また逆に、自己批判や自省が強い人たちに向けた、自己支援的思考についても述べます。

 3-1-1.批判的思考の重要性-エコーチェンバーに抗う-

 SNS時代の、オピニオンによる人類の分断について考えたことがありますか?今般、SNSによる分断は世界中で深刻な問題として捉えられています。SNSでは、人々は自分の信じるオピニオンを持つ人同士でかたまり、エコーチェンバー現象により自分の信じる"正義"をより強化し、その磨き上げた正義の剣によって、その外にいる人間を傷つける。このようなことが世界中で起きていて、SNSプラットフォーマーによる統制は、まるで意味をなしていないように感じます。(だいたいが自由の国🗽発だからね...。) これは単に政治思想にかぎらず、本当にいろんな物事で起きています。

▼SNSによって加速するエコーチェンバー現象

画像52

 ただこの問題を難しくしているのは、政治思想などの考え方・意見(オピニオン)には正解がないことです。いくら考えても、絶対に画一的な真理には至らないのです。(任意の課題を設定する場合を除けば)正解がないため、批判的思考の成熟した(たいてい知識階級の高い)人ほど、自分の正義を人に押し付けず、個々の信じる正義が加速します。

 もちろん、この状態(様々な正義が群雄割拠する状態)自体は問題ではありません。むしろいろんな考え方があるのは健全であるともいえます。ただし、カオスであり、そのような世界は、統制をとるためのハンドリングが本当に難しいのですよね。カオスでもよいけれど、最も問題であり明らかに罪なのは、これらの正義が必ずしもよくよく突き詰めて考えられたものではないことです。今の世界には、誤ったファクトをチェリーピッキングして、それらの上に建てられたオピニンがたくさん存在しています。またこれらは言論の世界だけの話ならまだ良いですが、自分の正義のためには暴力もいとわない集団もたしかに存在するため、これらが含まれた思想的カオスというのは、最も危うい状態でしょう。

 トップダウン的な上からの統制では、これを抑制するのには限界がある、というのがもういい加減経験的にわかってきているんですよね。そもそも法を疑う人々はいますし、多数決に依拠し必ずしも正しくない 法 に疑いをかける態度自体はむしろ善に近づく手段であるため、トップダウンでの抑制は、既に論理的に破綻しているんですよね。

 ではどうするか?個々が自己批判的な態度を持って、正解がないことを自覚しつつ、それでも善に近い形を追い求め続けるしかないですね。ちなみにこれはめちゃめちゃ理想論で、私個人としては、人類滅亡までに全人類がこれを獲得できることはあり得ないような気すらします。それでも、それを目指していく態度は、人類のリテラシー向上には間違いなく有効でしょう。

 以上が、自己批判的態度の重要性でした。次に、メタ思考がこれに有効とは、いったいどういうことでしょうか?

 3-1-2.自己批判的なメタ視点を持つ

 2章の、タケシ君を思い出してください。怒りっぽいタケシ君ですが、前章にて無事に新しいメタ視点「メタタケシ君」を獲得したのでした。ところで実はタケシ君、熱心な自民党支持者です。彼の趣味は、立憲民主党支持者をSNSでサーチして見つけ出しては、引用RTで彼の多数のフォロワーに晒し上げ、袋叩きにすることです。彼は承認欲求がとても強く、異なる政治思想への集中砲火は、彼のライフワークなのであります。

(念のため書き添えておくと、私はいちおう自民党支持です。またこれはフィクションなので、怒らないで読んでね...。)

 ある日、立憲民主党の議員のこんなニュースが流れました。

 これを見たタケシ君は大激怒しました。

主体タケシ君「小さな子供を食い物にするなんて...この意見を擁護する、立憲民主党の議員はやはり卑劣だ!全員同じような思想を持っているに違いない...まとめて血祭りにあげてやらねばなるまい!」

 タケシ君は自らの正義感が高ぶるのを感じました!やらねばなるまい!正義を執行せねばなるまい!盛り上がるタケシ君の中で、せっかく獲得したメタタケシ君は、主体タケシ君に吸収されつつありました....。

▼主体タケシ君(怒)に吸収されつつあるメタタケシ君

画像30

------

 ここで一度考えてみましょう。主体タケシ君の意見は本当に正しいのでしょうか?いったん、意見をブレークダウンしてみましょう。そして、考えうる批判的意見を併記しました。

 ①子供との恋愛は、子供を食い物にすることと同じだ

  →本当にそう?子供との恋愛は本当に許されるべきではないのか?その根拠は?では何歳ならOKなのか?

 ②この意見を擁護するやつは同じ考えだ

  →本当にそう?異なる意見を持ちながら、「議論の余地がないとは言えない」という擁護をしている人もいるのでは?

 ③立憲民主党員は全員同じ思想を持っている

  →本当に?これを批判している立憲民主党員が、タケシ君の観測範囲内にいなかっただけでは?

 ④この思想を持っている人間は全員血祭りにすべきだ

  →本当?百歩進んで危険思想だとして、それを持つ人々を全員血祭にあげるべき?

 タケシ君のメタ思考がもう少し成熟していれば、メタタケシ君が主体タケシ君にこれらの反論をできたかもしれない....。メタタケシ君!がんばれメタタケシ君!!!!

----

メタタケシ君「それはちがう!」

主体タケシ君「お前は...メタタケシ!そんなわけない!お前は子供たちがどうなってもいいのか!」

メタタケシ君「(~中略~)で主体タケシ君の考えには思い込みが含まれている!もう少し話し合って考えよう!」

主体タケシ君「メタタケシ....!」

▼話し合うタケシ君

----

 なんとタケシ君、短い間にこれだけ成熟した、自己批判的なメタタケシ君を獲得していたのです。素晴らしい成長ですね。

----

(自己批判的な態度、一時間のタケシ脳内会議....)

 タケシ君の結論は....。

 「やっぱり児童との交際は容認できないな。なぜなら、未成年児童はまだ人格が未成熟で、その恋愛によって将来後悔するかもしれないから。ただ、その年齢や、また年の差という指標にすれば、これは議論の余地があるかもしれない」

 「思想が危険だとしても袋叩きにするような態度は良くないよね。相手に伝わらなきゃ相手も考え方を改めることはないからね。」

----

 考えた末に、タケシ君はやっぱり児童との成人との交際は容認できないという意見に落ち着いたんですね。いやいやこれでいいんです、考えた結果なら、これは素晴らしいことです。ちなみに@negittsの意見はタケシ君とは違っていて、未成年の交際は未成年同士だけOKにすべき、という意見です。年の差で考えるのもあまり意味はないと思います。だって高校生→大学生の間で、ものすごく考え方って変容するじゃないですか。世の中の高校生は知りませんが、高校生の私なんて本当に何も考えてませんでしたから。

----

 理想的な思想的カオスというのは、思想それぞれが十分な議論、もちろん類似思想との間だけでなく、"多次元的な指標において"異なる意見との議論により、洗練されたものであるによって、初めて成り立つのです。人類全員がタケシ君のように、自説を否定しうるリテラシーを持つようになることはあり得ないでしょう。100%はあり得ないことは承知の上で、個々が努力を続けることでしか、リテラシーの向上はあり得ないでしょう。

 3-2.並列思考 -自分と他者の並列化-

 ここまでは主に、自分の中に複数の人格を作りだすような思考方法について書いてきました。ここからは、「自他を並列化する」という思考方法について考えていきます。これは突き詰めて言えば、自分と他人は、本質的には何も変わらないよ、と考えることです。

 ▼自分と他者を等しく俯瞰する

画像29

 冒頭で書いた自分を俯瞰視するメタ思考にも近いですが、自分を群衆の中の個体の一つとして見ている点が大きく異なります。とはいえ、自分は自分の視点しか持てないんだから、自分を特別視する(自他を区別する)のは、普通に考えれば当たり前のことですよね?もちろん、それは極々当然で一般的な考え方です。むしろ、それが当然だからこそ、自他を区別しないマインドセットを選択肢として持つことが、優位性を与えるのです。

 ではこれは、例えばどんなシーンで役に立つのでしょうか?

 3-2-1.自己管理への応用

 皆さんは、例えば自分の仕事のスケジュールを考える時、後から考えてみると明らかに無理な仕事量を詰め込んで、オーバーワークに陥ってしまった、なんていう経験はありませんか?まぁなんとかなるだろう、という甘い思考で、あるいは詳細検討の面倒さから、バーッと仕事量を決めてしまう...。

 なぜでしょう?「自分はできる」という全能感からでしょうか?私の場合は、微妙に違うんですよね。私の場合の、同じケースでの思考を示します。

 A.やらなきゃいけないことがまずある

 B.完了ありきで締め切りからあてはめていく

 C.過去の(数少ない)エイヤーでやりきった記憶を思い出す

 D.あの時出来たし、気合でなんとかなるだろう

 E.不可能なスケジュールの完成!!!

 ▼ワンチャンス、土壇場で100%の力が...?多くの場合、出ない。

画像28

 多くの人は同じではないでしょうか?「俺なら絶対にできる」という全能感からではなく、「やらなきゃなぁ」というネガティブな考えから始まり、それに引きずられてスケジュールが決定してしまう、というイメージです。

 一方で、自他を並列化すると↓のようになります。

 A.やらなきゃいけないことがまずある

 B.完了ありきで締め切りからあてはめていく

 C.一般的な能力で実現可能であろうか?(自分の能力なら ではなく)

 D.(時間・業務量 V.S. 一般的能力を検討...。)

 E.これはちょっと難しいな、業務を減らす方向でいこう

 ...というような思考の流れになります。ここでは、自他の能力を区別せずに考えました。ビジネスにおいてよく言われるのは、「自分の能力を考えて仕事を受けよう」なのですが、実はこのアドバイスって半落ちなんですよね。なぜなら、多くの人は自分の能力を正しく見積もれていないから。また、多くの場合、締め切りは先に決まっているのに、それに対する思慮も足りていないアドバイスだと思います。

▼自分は"一般人"である可能性が高い

画像26

 自"他"でピンとこない人は、自分とロボットにしてしまいましょう。ロボットに性能以上の仕事を期待する人っていないですよね?あなたは”7日中2日のクールタイムが必要”という仕様のロボットです。稼働中、性能以上の出力は出ません。また、1日しかクールタイムとらなかったらどうなるでしょうか?どこかがおかしくなりますよね?ロボットで考えると自然とあきらめがつきますよね。

 科学的にはどちらも適切な休養(ダウンタイム)と補給が必要なことが明らかなのに、人間相手だとなぜか「ワンチャンやり遂げられる」という謎のバイアスが挟まってしまう。自他の並列化とは、一面としてみれば"無知の知"と呼ばれるものです。つまり"あきらめ"です。統計的には、高い可能性であなたは外れ値ではなく、人類のボリューム層が持つ能力しか持ちえないのです。

 さて、ここでもう少し深堀りしてみます。このような、自分への過剰な期待、というのはなぜ起きてしまうのでしょうか?私はこの原因は、「実は人間は、自分が思う以上に、自分の内面を観測できないから」だと思います。いやそれって逆じゃね?と思われるかもしれませんが、いえいえ逆ではないです。自分の内面が見えていないブラックボックスからこそ、その時その時、自分の都合の良いように解釈して、良いパフォーマンスが出ることを期待してしまうのです。つまりこれは、サイコロを振るのと同じです。メタ化して示してみましょう。ギャンブルにおいて、ここぞの場面で、サイコロの出目が6になることを期待すること。仕事において、ここぞの場面で、自分が最高のパフォーマンスをたたき出すのを期待すること。これって同じですよね。自分はサイコロ。自分の期待値以上を期待しない、というあきらめを持ちましょう。ここから、本当の意味での自己管理が始まると思います。

 ▼自分の能力とサイコロは、本質的に同じ

画像27

 もっと拡張して考えましょう。これは経営やマネジメントにも有効利用できます。

 3-2-2.他者の管理=マネジメントへの応用

 前述の内容は自己の管理でした。自他が同じと捉えるなら、これは他者の管理、つまりマネジメントにも応用できるはずです。具体的に見ていきましょう。

 有名ベンチャー企業のプロジェクトマネージャーを務めるヒロシさんのケースを考えます。ヒロシさんは、来週までにXXXソフトというソフトウェアを完成しなければなりません。数値化すると、8000ポイント必要だとします。これは開発ハードルの非常に高いものです。しかし彼には、有名なIT企業から引き抜いた優秀かつ熱心な部下たちがいます。彼らのアウトプット100%なら、この不可能なミッションも、やり遂げられるかも...?

 結果としては...ダメでした。なぜでしょう?ヒロシさんは、部下の能力と工期を[理想]のように見積もっていました。実際は[現実]のようになりました。

▼理想

画像23

▼現実

画像24

 ヒロシさんは、熱心な部下たちなので、意思の強さで7日間100%のアウトプットを出してくれるかもと思っていましたが、大きな勘違いでした。統計的には、100%のアウトプットを再現性良く出し続けられる人間は、ほぼ存在しないですよね。

 しかし一回やってみて、たまたまみんな調子が良くて、たまたま実力以上のアウトプットを得られてしまう可能性もありますよね。しかし、回数を重ねてみるとどうでしょう?試行回数を増やすほど、個々のアウトプットの平均値に近づいていくのではないでしょうか。下記、ご参考ください。

「母平均がμ(ミュー)である集団から標本を抽出する場合、サンプルサイズ(=標本の大きさ)が大きくなるにつれて、標本平均は母平均μに近づく」

 なるほど...標本が大きいほど、平均値(母平均)に近づくそう。別の軸で考えてみましょう。人数のもっと多いプロジェクト、人数の多い会社ではこのようなパターンもあります。集団から、選ばれし救世主が現れるかも、という期待です。たしかに、人数が多いほど、高い能力を持つ救世主が現れる確率は高いと言えるでしょう。ただし...皮肉なことに、むしろ人数が多いほど、アウトプットの平均値は偏りづらいのです。つまり、「人数が多いほど、その中から天才が現れて何とかしてくれる(実力以上のアウトプットが出る)」ような気がするけど、「人数が多いほど、天才が現れて"も"なんともならない(平均化されて全体では実力通りのアウトプットしか出ない)」のですよね。

▼規格外の救世主が現れてなんとかする図、なんともならないです

画像25

 人間が再現性よく出せるパフォーマンスって、せいぜい60%くらいではないでしょうか。また、100%がたまたま一回出たとしても、それって再現性があるのでしょうか?人間はサイコロと一緒です。100回サイコロを振って、100回6が出ますか?人間だと、期待値以上のパフォーマンスが出る気がしないでもない、と思ってしまうのはなぜなのでしょう?曖昧な、とびぬけたパフォーマンスに賭けることはやめることです。再現性よく出せるパフォーマンスがせいぜいこのくらい、を考えることによって、初めて妥当な選択肢が検討できるようになってくるでしょう。

 もちろん、優秀な人事部門が優秀な人材を集めてきている企業ならば、一般的な人間のボリューム層の持つ能力基準で考えることが必ずしも正しいとは限りません。ただしこの場合、必要なことは部下の個々の能力を客観的に、数字で捉えられている必要があります。部下の能力に応じた期待値、というのもまた存在しますよね。これを把握して初めて、「標準以上のパフォーマンスに賭ける」ということができるようになります。一般平均以上の能力をアテにするのは、きっちり部下の能力を把握しているなら問題ありませんが、あくまで一般的な能力をベースにまず考えましょう。

 3-2-3.自己肯定への応用-アスリートと自分-

 ここまでは、どちらかというと少しネガティブなことについて書いてしまいました。ここからは、ポジティブな方向性の並列化について書いてみましょう。

 本当に突然ですが、あなたはウサイン・ボルトの走りを見たことがありますか?ジャマイカ代表、短距離走連続三冠、地球で最も速い男、ウサイン・セント・レオ・ボルトです。あなたがもしも、幼少期から彼と同じ量の走り込みを行ったとしたら、あなたは彼に短距離走で勝てるでしょうか?ボルトとあなたを並列化して考えてみましょう。

 あなたは「絶対に無理」と答えるかもしれません。なぜでしょうか?「黒人と日本人では、生まれ持った体幹が圧倒的に違うから。」なるほど、確かに黒人と日本人の速度の差は、長年のスポーツの歴史によって証明されているものです。であったとしても、絶対に無理なのでしょうか?ボルトとあなたの比較って、後天的要因を全く等しく揃えたものではありませんよね?食べたものは?浴びた日射量は?吸った空気は?読んだ本の数がもしかしたら影響するかも...。そのあたりを揃えたらどうなるでしょう?また、あなたはもしかしたら、日本人の中でも特に稀少な才能を持っている人かもしれません。今速くなくても、実は今から鍛えたら伸びるかも...。物理的に無理、というのを証明するのは、意外に難しいことに気づきます。また、ボルトがどうしても考えづらいというなら、パリ五輪100m銅メダルを獲得した、末續慎吾選手ではどうでしょうか?絶対に勝てないのでしょうか?先ほどのような、統計的に証明された人種的な体幹の差はありません。広く「同じ人間である」と考えると、ボルトも末續もあなたも同じ枠組の中に入ります。となると、もしかしたら、今からあなたが短距離走で五輪を目指すことは、無駄なことではないかもしれません。

 ここでは、あえて極端な例を持ち出しました。もっと身近な例ではどうでしょう?例えば、あなたが"絶対に"なれないと思っている憧れの人物を思い浮かべたときに、人間という同じ枠組みの中で、どんな手段をもってしても絶対にその人(に近い自分)になれないということは、ないのです。これは言い換えれば、適当な手段をもってすれば、どんなあなたにでもなれるということであります。これは、過剰な才能原理主義に走りがちな日本人に特に刺さる考え方だと思っていて、あなたとその人を絶対的に区別する先天的要因(=才能)を科学的に証明するのは、かなり困難なのです。これは、3-2-1、3-2-2で言った"無知の知"と、ちょうど対極にある考え方です。こうして「絶対できないという思考」、つまり過剰な才能原理主義を取り除くことによって、初めて検討できることもあるでしょう。目指したい場所がある時に、無意識に自分から土俵を降りてしまったら、土俵に残り続けている人に負けるのは当たり前です。

▼所詮は全て同じ人類  "無知の知"と対極の思考

画像22

 3-2-1、3-2-2と真逆のことを言っていることにお気づきでしょうか?ここで言っていることは、それまで言っていたことと矛盾しているのでしょうか?たしかに、捉えようによっては矛盾しているのかもしれません。しかし、メタ思考はそもそも"マインドセット"でしかないのです。悪く言えば屁理屈にも近いものです。都合の良い価値基準、ものさし、考え方を取り出せばよい。価値基準を切り替えて考えてみましょう。複数の価値基準を同時に、欲張って全部持ってみたらよいのです。

 3-3.リーマンとオタク-趣味の獲得について-

 ここからは、また自分の内面を見つめることに立ち戻りましょう。話が大きく飛びますが、皆さんは趣味って多いですか?現代は、4人に1人が無趣味の時代だそうです。いやいや、趣味が多い方が善なのかよ?...ということは今は考えないでいただいて、趣味を増やす方法について、一緒に考えてもらえると幸いです。

 なぜ突然趣味の話を出したかというと、メタ思考が趣味の獲得に非常に有用だからです。@negittsの一番の取り柄といってもいいところなのですが、私は一般的な人よりたくさん趣味を持っています。趣味ってとりあえずエイヤーでやってみる必要があって、いざやってみたら合っていた、そこから本格的に始めるという人も多いと思います。このようなことに、メタ思考が有効とはどういうことでしょうか?ここでもう一度、極端な例を考えてみましょう。例えば優秀なエリートサラリーマンが、地下アイドルの沼にはまり込む...というようなケース。

▼異なる人格を同一に扱うと、齟齬が生じる

画像20

 これだとなかなか難しいのはわかります!エリートサラリーマンの振る舞いと、地下アイドルの追っかけとしての振る舞いが相いれないのは当たり前のことです。目的が全く違いますし、脳みそがエラーを起こすのも当然です。ではメタ思考で、このように考えるといかがでしょうか?

▼異なる人格を並列化 俯瞰視するメタ視点

画像21

 ここでは、従来の自分と、追っかけとしての自分は明確に区別されており、それらを俯瞰視するイメージになっています。これだと、それぞれの振る舞いははっきり区別されているので、より自然に考えることができるような気がしてきます。

 とはいえ、追っかけの人格それ自体で違和感を感じてしまう人もいるかもしれません。この時、前述3-2-3で述べた自他並列化・自己肯定 のマインドセットを持ち出してみましょう。もしも、アイドル追っかけとしての自分が、例えばストレス解消に有益な効果があったとして、どうしてもその自分を獲得したい。ではその時、その自分には絶対になれないのでしょうか?答えはNOです。心の持ちようが何とかなればよいのです。また、ほかのアイドル追っかけたちを考えた時、それらとあなたを絶対的に区別するものは何もありません。先天的な"オタクの才能"を科学的に証明するのは難しい、だから後天的にあなたがオタクになることもできるのです!

 始める趣味はなんでも良いです。料理でも良いし、スポーツでも良いし、登山でも良いし、カフェ巡りでも良いし、フリースタイルラップバトルでも良いです。「キャラじゃない」、あなたはそう言うかもしれません。でも、自分に合った趣味を獲得することは有益なことで、これは科学的に証明されているそうです。であれば、その果実を得るために、壁になっているのはあなたの心理的障壁だけ。"自分らしさ"を俯瞰視しましょう。あなたは自分らしくあっても良いし、自分らしくなくても良いのです。

 また、上達できる自信がないという人に。前述③の考え方で言うと、何回も言いますが、その道の第一人者とあなたを絶対的に区別する"才能"を科学的に証明するのは難しい。これはメンタル面でも技術面でも等しくそうです。正しい手段をもってすれば、できないことはない!

▼あなたは自分らしくあっても良いし、自分らしくなくても良い

画像19

 3ー4.犠牲人格について

 次にあなたに、メタ思考をお手軽に実践できる、とっておきの方法をお教えします。これが、"犠牲人格"です。どういうこと?簡単にいうと、リアルの自分とは完全に切り離して、個々の活動する場所、例えばネット上に別人格を創るのです。

 私@negittsは、もちろん本名ではありません。リアルの自分は別にあって、ネット上の人格として@negittsを脳内にエミュレーションして、キャラロールしている訳です。これって完全に、これまでに述べてきたメタ思考、そのものですよね。@negittsと私本人は同人格ではありません。脳内では別人格として動かしているのです。※この効果について述べる前に、実名で活動することそれ自体を否定したい訳ではないことを、先に述べておきます。

 "犠牲人格"というのは、もちろん世間で定義されている言葉ではなく、私がこの概念を定義するために用意した言葉です。コンプライアンスが叫ばれるこの時代、実名で活動することはかなり制限が大きいです。その活動によって受けるダメージは、実社会で活動する自分に直接受けることになります。最悪、会社を辞めることになってしまう...。ネット上でキャラクターを用意する一番のメリットは、この裏返しです。実社会でダメージを受けないこと、もちろんこれは一番大きい効果です。

▼炎上する自分を俯瞰視する自分

犠牲人格

 ですが、丁寧に分析すると、実はメリットは「実社会への影響」という実利的なことだけではないことに気が付きます。どのようなことでしょうか?簡単に言えば、メタ化がお手軽にできて、さらにより高い効果を得られることです。例えばキャラクターを犠牲にすることで、主体へのメンタルダメージを軽減することができます。わかりやすいように3パターンで図解します。(3)のパターンは少し特殊ですが、実際このように活動している人たちも、世間にはいらっしゃいますよね。

 (1)本名で活動する場合

無題のプレゼンテーション (4)

 (2)キャラクタを完全分離して活動する場合

無題のプレゼンテーション (2)

 (3)キャラクタと自分が紐づいている場合(キャラクタはあるが、実名を公表している)

無題のプレゼンテーション (3)

 (1)と(3)って、実質的な扱いは近いですよね?(1)と(3)、どちらも炎上するとリアルの自分は大変なことになる、という点は変わらないですよね。しかし、自分自身のメンタルに対する効果は大きく異なります。なんとなく感覚がわかりますか?

 メタ思考によって(3)のように人格を区別して考える場合は、リアルと紐づいていたとしても、キャラクタがあることそれ自体が人格の並列化の助けになり、(1)の場合よりダメージを受けづらいのです。(3)で効果があるということは、キャラクターを用意するメリットは、実社会的なダメージは置いておいて、それ以外にも、メンタルへのダメージの"シェル"のような働きを持ちうるのです。これをもって、私は"犠牲人格"と呼称しています。呼称していきたい。多分この効果って、キャラクターまでいかずとも、ネット上でハンドルネームをもっている方々ならなんとなく感じていることだと思います。

 では、犠牲人格の効果があるのは、上記のような"炎上"に対してだけなのでしょうか?それはNOです。いうなれば、ここで述べてきた全ての応用法に対して効果があります。キャラクタを作り出すというのはメタ思考そのもので、それをよりお手軽に強化するようなイメージに近いです。例えば何かに挑戦する際には、それには様々な障壁やリスクがあります。自分らしくないとか、炎上したらどうしようとか、自分にできるはずないとか、元々自分がいるポジションに左右される様々なことです。新しいことへ挑戦することにおいて、心理的障壁は実は結構大きな部分を占めます。これらに左右されないということは、より自由に動けるし、より広い範囲にリーチできます。

 今私はこんな怪文書を書いている訳ですが...実名で書いて、例えば勤め先にばれたとしても、これが原因でクビになるということはないでしょう。つまり社会的な実害は恐らくないです。でも実名で、とてもこんな文章は書けません。気の置けない友人に読まれるのは良いとして、微妙な関係の同僚とかに読まれるの、なんか嫌ですし...。私は@negittsをぶっ飛んだ人格としてエミュレーションしているので、こういう文章が書けますし、彼の思考からこそ出る発想です(と自分では思っています)し、彼がこういう事を書くと認知されることには、何の違和感も抱かないのです。むしろ、こういう人であると知っていただきたいと思っているくらい。

 また、私はあまりやっていませんが、仕事場では専用の別人格を運用するという方も、世間にはいらっしゃいますよね。あれも一種の、メタ思考・犠牲人格ではないでしょうか。創り出した犠牲人格を挟むことで、主体へのメンタルダメージを防ぐだけでなく、より挑戦的に動くことができるようになるのでしょう。

 3ー5.過去-現在-未来 の並列化

 これまでとは少し毛色の異なる話になります。ここで述べるのは、時間軸のメタ思考です。

 皆さんは、仕事をするときに、タスクの優先順位ってつけますか?実は私はすごく苦手なんですこれ。仕事の優先度って、シンプルにその仕事の報酬を評価するなら難しくないんですけど、タスクそれぞれにいろんな人のいろんな思惑が載ってくるものであって、それらって人の感情ドリブンなものだから、評価指標にするのって難しいですよね。そしてこういう話において特に難しいといわれるのって、[重要度は高いが締め切りの遠い(無い)タスク]  V.S.  [重要度は低いが締め切りの近いタスク]です。

▼よくある図:タスクは重要度と時間軸で分けよう!と言うコンサル屋

画像17

 激務さんって、大抵の場合、常に時間って足りてないんですよ。上の二つの象限の重要度を見積もるには、それらのタスクの報酬と所要時間(と頼んだ人物の地位や政治的状況など...)を個別的に評価しなきゃならないんですけど、それにはそのための時間を追加で拠出しなきゃならない訳です。「いやいや時間足りてないから優先度つけるのであって、そんなこと余計にやってる時間はないのよ」、いやーほんとにその通りです※。多くの場合は仕事を振る上職がタスクを判断して、振る相手ができるかどうかが見積もりされていて、自分もタスク管理しているダブルチェック体制があってしかるべきなのですが、まぁみんながみんなそんなに有能ではないですね。つまり簡単に言えば、大抵の場合、優先度づけが必要な時点で軽度に"詰み"なんですよね。「優先度をつける」というのは、「やる順番を決める」ではなくて、多くの場合、「捨てるタスクを決める」に近いのです。

 ※実務上の話をすると、経験的にはこういう時は、少しでも時間をとってタスクを整理すべきだと思いますよ。

▼おお勇者よ....

画像53

 勤勉な日本人には、「タスクを捨てる」ことは心理的障壁が非常に大きいです。日本人ってべき論が強くて、他人の怠けに対する義憤や猜疑心が過剰で、同調圧力が強くて、これらのせいで、仕事の不完遂に対する懲罰感情がものすごく強い。だからみんな仕事を捨てられない、だから[重要度は高いが締め切りの遠い(無い)タスク]  V.S.  [重要度は低いが締め切りの近いタスク]では、後者を選ぶ心理的プレッシャが強いです。これにより、前者のタスク(多くの場合業務改善)は永遠に後回しになっていき、フレームワークが劣化し、業務の効率は落ち、さらに時間が足りなくなる負のスパイラルに落ちていく...。激務な、負荷を考えずに仕事が"降って"くる環境とか、なんとなくでオーバーフローする仕事を受けてしまった時点で詰み、という側面があります。

 そしてこれ、全体として考えると、今やるべきタスクをこなし続けること、いっそタスクを捨てて「エイヤー」で業務改善などを行っていくことって、後々どちらが会社の利益につながるでしょう?後者をやっていく方が、より良い場合もあるのではないでしょうか?

 これを個人に当てはめる場合、二軸のメタ化が考えられます。一つは(1)個人⇔会社全体 というメタ化、もう一つは(2)現在⇔過去/未来というメタ化です。

▼会社全体を俯瞰視する自分

画像14

▼自分だけの世界に囚われた視点

画像15

▼時間軸を俯瞰視する自分

スクリーンショット 2021-07-25 185648

▼現在だけの視点に囚われた自分

画像16

 私が思うに、これは多くの人々に刺さるのではないでしょうか。このようなジレンマに強く囚われている方々は本当にかわいそうですし、大なり小なり@negitts自身もその一人です。裁量が少なく、失敗が認められず、ドラスティックな意思決定が尊重されない、日本企業に共通した病ではないでしょうか。これが刺さったあなた!これはあなたに原因があるのではないです!企業や社会の構造的な歪みに挟まれているあなたは、被害者以外の何物でもないのです。

 これらをメタ化して、現在の自分だけの視点に依拠する自分を解きほぐす(視点・人格をそのポジションから外す)ことによって、[重要度は低いが締め切りの近いタスク]にかかっている心理的プレッシャを、改めて見つめなおすことができ、これが数字ドリブンな評価をするための心理的基礎になります。何度も述べていますが、メタ思考は本来はたかが"マインドセット"であり、自分の心の内だけの主観的なものではあります。そして、結局正しい判断をするためには、しっかり現状をリサーチしての定量的な判断が必要であることは、メタ思考をしてもしなくても同じです。しかし、心理的障壁によって失われている客体的な損失は、大抵の場合存在します。これを取り戻すことが、メタ思考による客観的成果です。

 3ー6.完全なるメタ思考-BMIは人類の救世主たるか?-

 ところで、ここまで読んでいただいた皆様の中で、次のようなことを考えた方もいらっしゃるのではないでしょうか。「完全なるメタ思考」...つまり、主体的な意識を完全に消し去り、並列的な意識で全てを駆動するようなイメージだったり、メタ意識を完全に隔絶して、つながりを完全に断つことで主体へのメンタルダメージを完全に断つとか、また意思を完全にゼロにするような完全なる無意識(いわば悟り)に至る...このようなことは可能なのか?悟りについては冒頭でも少し述べましたね。私は「完全なるメタ思考」とは下記の3パターンだと考えています。

 ①完全並列思考(アカシックレコード)

画像8

 ②メタ意識の完全独立(実体・主体との完全分離)

画像53

 ③主体の完全排除(悟り)

画像46

 これらはメタ思考の究極の姿と言えそうです。これまで述べてきたのはこれらを目指す取り組みだった訳ですが、実際には疑似的にしかできないと思われます。つまり、主体意識をできるだけ小さく小さくして、目立たないようにするようなイメージです。これらを実現するためには、おそらく現状の、脳みそという肉体的ハードウェアでドライブする仕組みを変えねばならないでしょう。

 ①はいわば、全ての価値基準において全ポジションを持っている訳なので、考えられる全ての選択肢を知っているということですよね。全ての選択肢をエミュレーションできるということですよね。これってまさにアカシックレコードを獲得するということなんですよね。人類の感情全てを理解できる、超越存在です。

アカシックレコード(英: akashic records)は、元始からのすべての事象、想念、感情が記録されているという世界記憶の概念

 また例えば②で簡単に思いつく応用は例えば、5感のシャットアウトですよね。例えば大けがをした時や手術の際、メタ意識に完全に意識を移し、痛覚をシャットアウトすれば麻酔はいりませんよね。痛みやかゆみなどの不快感をカジュアルにシャットアウトできれば、便利だと思いませんか。また、食欲をシャットアウトしてダイエットとか。アルコール依存症の対策とか。鬱病患者の悲しみをシャットアウトとか。

 でもこんなの、これらのことって、普通に考えてできませんよね。じゃあどうすれば可能になるでしょうか?

 現在、BMI(Brain Machine Interface)という学術分野において、大きなイノベーションが起きつつあることをご存じでしょうか?(当分野はあまり詳しくないので、専門の方のツッコミはご容赦願いますw)

 二つのニュースを紹介します。EVの世界的トップ企業Teslaや、ロケットの再利用を何十回も実現しているSpaceX、これらのCEOであるイーロン・マスク。二つのうち一つは、彼が同じくCEOを務めるBMIの技術開発企業、Neuralinkからの報告です。Neuralinkは、サルの脳内にチップを埋め込み(ブレインインプラントチップといいます)、その脳の活動を読み取り、脳からの直接操作によるピンボールゲームのプレイを実現しました。Neuralinkはこのほかにも、ブタの脳内へのブレインインプラントチップによって、脳の活動を読み取って可視化するデモも実施しています。ちなみにこのチップは、ロボットによって無人で埋め込みが可能だそう。

 残り一つはFacebookからのニュース。FacebookはかねてからBMI(主に非侵襲、つまり埋め込みでない方向を目指す予定でしたが、今回は侵襲型のようです)について開発していることを発表していましたが、今回、言語能力を失った患者さんの意思を読み取って表示することを実現しました。単に読み取るだけでなく、「言語能力を喪失している」患者さんであることがポイントで、これは世界初とのことです。

 これらの研究では、脳からのアウトプットを読み取ることはできています。これでも素晴らしい進歩であるとは思うのですが、ここで議論したいのはやはり、脳へのインプットを含む、思考の直接制御です。前述したような、メタ思考の3つの究極の姿は、そのような技術開発が叶った先に初めて実現するように感じます。まぁでもこれができたら、意識の外部化、つまり肉体を抜け出して"不老不死"もできてしまいますねきっと...。私たちが生きているうちにできるでしょうか。ザッカーバーグとイーロンマスクに期待!


4.メタ思考を身に着けよう!

 ここまでズラリとメタ思考の効果と用途について述べてきました。ではそのような便利なメタ思考ですが、どうやってトレーニングすれば良いのでしょうか?私が効果を実感したものについて書いていきます。

 4-1.明確にしておきたいこと

 まず前提として明らかにしておきたいのは、①目指すのはどういう状態なのか、また②そのために何が必要なのか、です。まず①はこれまでに書いてきました。たくさんの意識を並列化するようなイメージです。

 ②はこれまで繰り返しては書いてこなかったので、改めて述べます。まず、現在主体だと思っている意識を抜け出すことですね。いわばこれは俯瞰視です。自分をほかの視点から見下ろすこと。次に、新たな意識の創造と、それらの切り替えですよね。また、新たなものさし(価値基準)を自分の中に持つこと、それらの持ち替え。メタ思考は次元の飛び越えるようなイメージということも書きました。

 これらに共通するイメージは、跳躍力と瞬発力でしょう。これが②のメタ思考に必要な能力です。人格・次元・価値基準を飛び越える距離(跳躍力)と、速度です(瞬発力)。ひとところにとどまらず、大きなストライドで速く、長い距離を飛び越えられる能力、これがメタ思考力です。人は「これが自分らしさ」「私の価値基準である」という呪縛があるせいで、そうやって生きてきたせいで、これを飛び越えるのに心理的障壁があります。実はそれ、飛び越えてもいいんです。元の場所にいつでも帰れるので。この障壁を取り除くことが、メタ思考のトレーニングです。  

①目指すところ:超並列意識

画像8

 ②メタ思考力に必要なのは、人格・次元・価値基準を飛び越える跳躍力と、瞬発力である

画像12

 4-2.自己理解:自分を見つめなおし俯瞰視する

 まずはやはり自己理解です。前述したとおり、自分の中で大きすぎる領域を占める自意識・自分らしさが、最も大きな心理的障壁になると述べました。まずはコイツを客観視することです。これまで自分である故に見えていなかった、自意識・自己主体のシルエットを明らかにしましょう。

 そのためにはどうすればよいでしょうか?今の自分の座標をはっきりさせるためには、自分だけの観察では無理です。ごめんなさい矛盾していますね。いわばこれまでは自分が原点だったわけですが、それを座標系から変えてしまうわけです。自分が原点ではないのなら、他者や他のオブジェクトの位置関係の中に、自分のポジションは存在するのですから。そのためには、自己を観察することに加えて、他者の観察(相手がどういう位置にあるのか)が必要です。これは、単一の軸ではありません。ありとあらゆる軸、価値基準において、その軸上の、他者と自分の位置関係を明らかにするのです。このイメージを持つ時、少なくともその軸に関しては、自然と観測者である第三者の神視点が生まれていますよね?俯瞰視するのはそういうことです。

 自意識を抜け出し、メタ化した意識の中では、自己と他者を観察し、徹底的に相対化するのです。このためには、やはり他人の考え方を学ぶしかありません。具体的には、次章で述べます。

 4-3.他者理解:他人の価値基準を取り入れる

 他人の考え方を学ぶことが必要であることを、前章で示しました。これは、ただ単なる相対化ではありません。相手視点になってみることも重要です。つまり、自意識から他意識への跳躍です。これができないと、人格を新しく脳にエミュレーション、つまりメタ意識の創造が難しくなります。

 他意識への跳躍は、どうすれば可能でしょうか。まず、彼我の思想の違いを理解して、思考のロジックをたどっていくしかありません。これによって、彼我の意見を分ける分岐点までたどりつけば、あちらのポジションに至ったロジックを初めて理解できる訳です。これにより思考のトレースが可能になるので、彼のポジションを手に入れることができ、ここへの跳躍が可能になります。つまり、このポジションに立って考えることができるようになる。

 ちなみに、これは本当に重要なことなのですが、この時に彼のポジションに"共感"できる必要は全くありません。理解と共感は全く別なのです。この切り分けができていないために、他者のポジションを理解できない、他者への無理解が発生してしまうのです。例えば、殺人鬼の思考に共感はできなくても、それに至った論理を理解することは、"論理的に"可能です。なぜなら、分かれたところ、理解できない分岐こそがポジションの違いを生むから。共感はできなくとも、そこまでの分岐するルートを理解はできるはずです。

 ▼"人を殺害する"軸での論理の分岐マップ 

思想的距離

 これは、彼我のポジションが遠いほど難しくなってきます。あまりに違いすぎる思想は、道徳、つまり人類の根本的な思想に近いところで分岐しているためです。道徳に近い問いは、疑うのが難しいため。ただ、相手が大量殺人鬼で、人類を滅ぼすべきと思っていたとしても、その思考をトレースすることは他者理解につながります。到底わかりあえないであろう、ということを理解できるからです。ここから、ではどの程度の距離をとれば共存できるのか、また彼の思想が論理的に誤った事実に基づくもので、それを正せば考えを変えられるのか、もしくは逆に自分の思想が論理的に誤った事実に基づいていて、それを確認するのはどうすれば...などとるべき選択肢を検討することができるようになります。なぜその考えに至ったかがわからない(無理解)の状態では、この検討すらできませんから。

 4-4.ダイバーシティの容認:より遠いポジションへの理解

 他者の人格、ポジション、メタ意識を取り入れるためには、他者の思考をトレースすることが必要だと書きました。具体的にこれに最も有効なのは、やはり他者の思考回路をトレースできる文書などに触れることです。これは本でも良いですし、SNSでも、直接の対話でも良いです。重要なのは、月並みですが、相手の意見を否定せず、丁寧にそのロジックをたどっていくことです。逆に、否定したくなるような意見に触れたときほど、むしろチャンスです。自分と同じような意見というのは、自分と同じようなポジションにたどり着く可能性が高いですが、異なる意見ほど新しい気づきが得られる場合が多いです。だから、異なる意見こそ、積極的に取り入れていきましょう。それに多く触れられる環境に身を置きましょう※。私もできない時はありますが、みんなで頑張りましょう。(※もちろんこれは異なる思想の政治団体に身を置こうというとでなく、より多様な思想を内包する、ダイバーシティ豊かな団体が良いということです。ダイバーシティが豊かな事は、それが良いアウトプットを出すことに直接つながるわけではないですが、内包する人材の他者理解を促進するのです。この微妙な違い、わかるでしょうか?)

 このようなことを繰り返すうちに、自然と他者の意見は否定せずにトレースしてみるという考え方が身に付きます。異なるポジションの他者と対話できるようになり、結果的に、浅い階層で理解を放棄せず、より深く思考の論理を掘り下げられるようになります。これにより、より遠いポジションを得られ、そこにたどり着く跳躍力を獲得できることになります。

▼意識の跳躍

画像7

 ちなみに私が思うに、最も情報価値が高いのは、自分以上により思考を突き詰めていて、かつ自分と異なるポジションに至っている意見です。これを追いかける時に、自分の出会っていない、自分の意見を変えるような事実や考え方、発想にたどり着くことが多いです。このような人を見かけたら、積極的にフォローしていくようにしましょう。

 4-5.ゴミ拾いをしよう

 急に話が変わってすみません。ゴミ拾い、とはどういうことでしょうか?跳躍力の獲得については、前章で述べました。では、瞬発力はどうでしょうか...このポイントがゴミ拾いです。わかりませんよね。以下に説明します。

 前述したように、異なるポジションに立って考えることを阻害していた心理的障壁は、「自分らしさ」にこだわることであると述べました。しかし、自分らしさを完全に捨て去ることが、そのまま瞬発力につながるのでもないのです。いわば自意識と他意識の切り替え、跳躍ですから、戻るところも必要なのです。自意識は持ちながら、他意識もエミュレーションすること。ではこの練習には、どうすれば良いでしょうか?

 話が飛びます、すみません。さらにここにきて、そもそも論になってしまい恐縮ですが...。自意識とは、自分の中だけに存在するものなのでしょうか?私はそうではないと思っています。自意識は、実は他者との関係の中で存在するものであると感じます。なぜなら、多くの場合、社会との対話の方法を含めて自意識であるから。これがわかりやすい例でいうと、皆さん、相手によってキャラクターが自然と変わる感覚ってわかりますか?人との付き合い方って、全員に対して同じではないですよね?環境が変わると新しい自分を発見したりとか、そういう経験がありませんか?私はこれらのような自覚がものすごくあります。これはやはり、自意識とは他者ありきのものであるから、と思います。

▼自意識とは他者ありきのものである

他者とのやりとり

 自意識とは、他者との関係性の中で成り立つものである。であるとしたら、一人だけでもがいても、あまり効果がない訳です。ではどうすれば良いでしょうか?他者との関係において、自己を離れるような取り組みをしてみるのです。つまり、「キャラじゃない」ことを他人の目のあるところでやってみましょう。知り合い相手には、これはなかなか難しいものです。もちろんやること自体は否定しませんし、むしろ効果は高いとは思いますが、急にその段階までステップアップしてもあまり持続的ではないような気がします。最もやりやすいのは、知らない人相手だとか、初めて接する相手にキャラクターを変えて接してみることです。しかし、例えば悪人になってみるというのは、これはちょっと...損失が大きいし、今後色々大変でしょう。最も楽で有益なのは、善人になってみることです。

 つまり、衆人環視の下でゴミ拾いをしましょう。駅で落ちてるゴミをパッと拾うくらいでもいいです。これが最も簡単な方法で、今日か明日すぐできます。他者の視線を感じながらこれをすることで、自意識に強いフィードバックがかかります。普段は「ゴミ拾いは、面倒くさいとかではないけど、"良いことしてやった"感が出るのが嫌でできない」という人は結構多いと思います。これこそ自意識ですよね。「言われたらやるけど、積極的な善行をするような聖人君子ではない」という自意識ですよね。これを変えましょう。瞬発的にできるようになりましょう。「キャラじゃない」ことを瞬発的にできるようになることが、メタ視点への瞬発力につながります。私はそうでした。「こういう自分もアリだな」という受け入れができるようになってきます。

▼まずは、人の目のあるところで良いことをしてみよう!

ゴミ拾い

 ほかにも、もう少しハードルが高いですが、知り合いとの間で実施する方法もありますよ。あなたは積極的な人ですか?例えば、仕事で会議に出席した時に「あんまり知らないし、馬鹿なことを言うのは恥ずかしいからしゃべらないようにしよう...」というようなことを思ったことがありませんか?これは、瞬発力をつけるチャンスです。積極的でない自己から切り替えて、積極的に発言や質問をしてみましょう。「キャラじゃないことをした」と思うとき、また、「キャラじゃないことをしているな」とという視線を感じる時、自意識に強いフィードバックがかかります。いわばこれは痛みなのですが、筋トレをした後の筋肉痛みたいなものだと思ってください。

 4-6.何者でもない何かになろう

 さらに高度なことを言います。これは、3章の最後の、完全なるメタ思考のトレーニングに近いです。自分もまだまだ練習途上ですし、あまり意識できていませんが。自分は何者でもなく、主体を離れられ、かつ、何にでもなれる、と受け入れる、このようなマインドセットを常に持ち続けることが、メタ思考すべての基本として通底する考え方です。優しい自分があっても良い、怒る自分があっても良い。無気力な自分があっても良いし、この一方で、意識の高い自分があっても良いのです。これらすべてが、自分の中に林立していることは、何の矛盾もなく成り立つのです。そして、意識や価値基準の跳躍の訓練は、発想を様々に切り替えることにもつながると思います。一つ一つの意識が、個々別々の発想を持っていて良いのです。

 ※何回か言っていますが、自意識を完全に消し去ることは不可能であると思われます。だから、隅の方に小さいスペースを与えてもよいし、意識の林の中に混ぜてしまってもよいです。

▼すべてのメタ意識が林立し得る。そしてその全てが、異なる考え方や発想を持ちうる

林立


5.まとめ

 ここでは、私の定義するメタ思考について書かせていただきました。世間で定義されるメタ思考とは異なる可能性についてはご留意ください。私があえてここで述べるように定義するのは、これらの思考方法やマインドセットが人類にとってとても有用だと思うからです。

 また、私が定義するメタ思考について、その活用法を述べました。思いつく限り列挙しましたので、皆さんの身近にも、有効に活用できるケースがあるのではないかと思いますので、ぜひ個別に参考になさっていただけたらと思います。

 最後に、メタ思考を身に着けるために必要な能力は、意識や価値基準をより主体からより遠くに切り替える能力(跳躍力)と、より速く切り替える能力(瞬発力)であると述べ、そのトレーニング方法を述べました。明日からでもできますので、騙されたつもりで試してみてもらえると幸いです。


---注記---

 ※改めて述べますが、この思考方法は、メンタルの問題をなんでもかんでも解決できるものではありません。強いストレスに対しては、ストレッサーを直接的に取り除くことが一番の近道であり、気の持ちようでこれを軽減しようという取り組みは、場合によっては逆効果になることをご承知おきください。仕事のミスなら上司に報告しましょう。パワハラであれば通報しましょう。原因不明な抑うつ感はカウンセラーか精神科に掛かりましょう。

 ※文中の細かい用語は精査していません。専門用語などの用法に誤りがありましたらごめんなさい。

 ※特に示していない通り、文中の主張に医学的なエビデンスはありません。私が感じたことをベースに書いています。きっと大丈夫だろうとは思っていますが、これらがあなたのメンタルヘルスに及ぼす悪影響を及ぼす可能性を100%否定できず、またこれによる保障はできません。


ここから先は

3,528字 / 6画像

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?