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ノーヒットノーランに魅せられて~甲子園で達成のむずかしさ~

記事画像はブレておりますが。

2024年5月24日(金)
日本のプロ野球界において、驚異的な偉業が達成されました。
読売ジャイアンツのエース
戸郷翔征投手がノーヒットノーランを達成し、
日本中がお祝いムードに包まれました。

この歴史的瞬間は、野球ファンのみならず、
たくさんの人にとっても喜びと感動をもたらしました。


ノーヒットノーランとは


ノーヒットノーランとは、投手が一人もヒットを許さずに
試合を完封することを指します。
この記録は、単に優れた投球技術だけでなく、
集中力や精神力、チーム全体の守備力も求められる
非常に難易度の高い偉業です。


戸郷選手の偉業


戸郷選手は5月24日(金)の試合で完璧なピッチングを披露し、
対戦相手に一度もチャンスを与えませんでした。

この日は甲子園で試合がおこなわれていたので、
いわばアウェイゲーム。
※アウェーでもどちらでも正解なんだそう。

巨人の投手が阪神相手に甲子園で
ノーヒット・ノーランは
1936年9月25日の沢村栄治以来、88年ぶり。

なお、甲子園球場だと1992年の湯舟投手以来
32年ぶりの達成となった。


なぜ甲子園でノーヒットノーランが難しいのか


甲子園球場でノーヒットノーランを達成することは、
特に難しいとされています。

多くのファンが詰めかけるから

甲子園は日本の中でも屈指の観客動員数を誇る球場であり、
常に大勢の観客が詰めかけます。
観客の熱気と声援が選手に与えるプレッシャーは計り知れず、
(プレッシャーであり、怖いということではない。たぶん。)
これが集中力を保つのを難しくする一因となります。


思い入れがある


甲子園球場は「高校野球」の聖地とも呼ばれ、
多くのプロ野球選手が高校時代に
ここでプレーした経験を持っています。

戸郷選手もその一人。
聖心ウルスラ学園高等学校在学時代に
甲子園で敗れた際、
涙を流しながら悔しさを胸に
グラウンドの砂をかき集めて持ち帰っていた。

甲子園は単なる球場ではなく、
過去の挫折と成長の象徴なのであります。
その悔しさを乗り越えた証を示すかのように、
プロとして再び甲子園に立つということは、
彼を奮い立たせる原動力となったことであろう。

甲子園で高校球児として出場をしても、
そこからプロ野球選手になれる人は
ほんのわずか。
彼の心には過去の涙が報われたという感動と
夢を叶えた達成感が入り混じっていたことでしょう。


屋根が無い


甲子園球場は屋外にあり屋根がないため、
浜風が吹くことも達成するのが難しい理由の一つ。
この風は球場内の環境を変動させ、
ピッチングや打球の飛び方に影響を与えます。

さらに、屋外球場であるため、
太陽の位置が季節によって変化し、
照明条件も試合に影響を与えることがあります。

夏場には虫が飛び回ることもあり、
これらの要素が投手にとって一層の困難をもたらします。

そのため、投手は集中力を保ちながら
これらの環境変化に対応することが求められ、
難易度がさらに高まると考えられます。

ちなみに、投手だけでなくファンも同条件。
場所によっては太陽がめっちゃまぶしくて全然見えないし、
蜂も飛んでくるし、小っちゃい虫はずっと飛んでるし、
とにかく暑いし、怖いし、(何がかは言えない)
結構、観戦することも大変なのです。
(特に阪神の対戦チームのファンはものすごく神経使います)
※経験済み


戸郷選手のノーヒットノーラン達成により、
日本中の野球ファンはチームの垣根を越えて歓喜に沸きました。
また、普段は野球にあまり関心がない人々も、
今回の快挙には心を動かされ、日本中がお祝いムードに。

スポーツは、人々を一つにする力がある。
プロ野球のみならず、
スポーツ選手のさらなる活躍を楽しみにしています。

ここまで記事をご覧いただきありがとうございます。
やばいなあ、戸郷メジャー行っちゃうかなあ。

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