ザ・シークレット・ライフ・オブ・アンガー(怒りの知られざる素顔)nickwignall.comのThe Secret Life of Angerという記事の翻訳


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この記事の著者であるNick Wignallは臨床心理士、ライター、講師、ポッドキャスター。ダラスにあるテキサス南西メディカルセンター大学で臨床心理の博士課程、シカゴ大の社会科学で修士号取得、ダラス大の英文学で学士号を取得。American Board of Professional Psychology(ABPP、アメリカ専門心理士認定機関)の認定を受けている。the Academy of Cognitive Therapy(認知療法・行動認知療法家国際認定組織)の認定取得。Association for Behavioral and Cognitive Therapies(アメリカ行動療法認知療法学会)とニューメキシコ心理学会の会員。北カリフォルニア出身、現在は妻と3人の娘とジャーマンシェパードと一緒にアルバカーキで暮らしている。
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ザ・シークレット・ライフ・オブ・アンガー(怒りの知られざる素顔)


振り返れば、誰でも、怒りが、まずい判断や、後悔する行動、傷付いた気持ちに結び付いたことがあるだろう。だが、怒りがより重大な結果に結び付く人たちもいる、拗れた人間関係、失職、慢性的なストレス、裁判沙汰。

 メモ:この記事は怒りについての三部作の第一部である、二部と三部はこちら、「10 Healthy Ways to Manage Anger Issues(怒りを管理する健康的な10の方法)」、「How to Handle Other People's Anger Like a Pro(プロのように他人の怒りを扱う方法)


怒りが、あなたの人生で担っている役割り(時々の苛立ちから、投獄に至るまで)が何であれ、自分の怒りに、より上手に対処するための鍵は、その仕組みを理解することにある。残念なことに、ほとんどの人が、怒りの基本的なメカニクス(機構)を誤解している。

ここからの記事では、我々皆が持つ怒りについての、一般的な迷信と誤解を考察する。その中で、怒りの心理学に関して、要点となる八つの鍵をハイライトし、最後にそれらをまとめたい。

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皆が見逃している、怒りについての最も重要な事実

怒り、もしくは、怒りのマネジメント(管理)に関する議論においては、早急に、指摘されるべき大事な区別が存在する、これが怒りに関する要点の一つ目となる:

怒りの要点(その1):怒り(anger、アンガー)と、強要(aggression、アグレッション)は異なる

心理学的には、怒りは感情であり、強要は行動である。この二つの言葉は、ほとんど類義語のように見えるが、これらはある重要な点(コントロール)において完全に異なる。

技術的な話になるが、あなたは、(怒りを含む)感情に対して直接のコントロール(制御)を行使することはできない:あなたは、楽しいという感情をただ降って湧かせるという決定ができないように、悲しみや恐れという感情を拒否することもできない。

そして、自分の感情を直接コントロールすることはできないので、あなたにはその責任の取りようがない。事実、この区別は、我々の法体系にも組み込まれている:自分が感じたことによって投獄されることはない(どんなに怒り、または、憤慨していたとしても)。その代わりに、我々は自分がしたこと(他人に対して強要的な行動をとるなど)を基準として、処罰される。

あなたは、自分の感情に、考え方や態度を通して、間接的にしか影響を与えられない。例えば、あなたが、頭の中で、自分の街のドライバー全体の酷さについて回想・反芻するなら、あなたの怒りは増大するだろう。一方で、Spotifyでお気に入りの曲をかけ、今まで重大な車の事故に巻き込まれたことがないのは有り難いことだと考えるなら、あなたの怒りは弱まるかもしれない。

怒りの要点(その2):あなたは怒りを、直接コントロールすることはできない

あなたは、自分の感情、もしくは、怒りの感情に、直接のコントロールを持たない、だが、あなたは自分の強要(aggression、アグレッション)に関してはコントロールを持つ、強要とは、自分の怒りに従って、(精神的に、もしくは、物理的に)行動し表現するという決断である。

例えば:妻があなたの洗濯物のたたみ方について批判をした、あなたは怒りを感じた、あなたは彼女のたたみ方について皮肉で言い返す、もしくは、彼女は自分に対し批判的すぎると、過去の代表例を挙げる。あなたの、皮肉を込めて話す、頭の中で回想する、という決断は、強要の行為であり、あなたのコントロール下にある、たとえ、それらが衝動的、もしくは癖・習慣に感じられるとしても。

怒りの要点(その3):あなたは、自分の強要(aggression、アグレッション)をコントロールできる

我々のほとんどが、遥かに必要以上に、怒りと強要に苦しむのは、我々が怒りと強要の間にある基本的な違い、そしてコントロールとの関係性を、誤解しているからである。特に、ほとんどの人たちが、自分の怒りを自分は管理できるはずだ、と思い込んでいる(結局のところ、誰も彼もが「アンガー」・マネジメント(「怒り」の管理)について話しをしている!)。だが、彼らがそれを試みて、不可避なこととして、そうすることに失敗をする時、不幸なことが起きてしまう:

 1.彼らは、自分自身に対して、怒りと失望を感じる

 2.彼らは、とても価値のある心理学的な資源を無駄にする、それは自分の強要(aggression、アグレッション)を管理するためにもっと有効に使えたかもしれない

言い換えるなら、自分の怒りをコントロールしようとした機会費用(opportunity cost、あなたが選ばなかった方の選択肢の価値、*代償)とは、自分の強要へのコントロールを失うこと。

怒りの要点(その4):自分の怒りをコントロールしようとする試みは、自分の強要のコントロールを難しくさせる

自分の怒りのコントロールを試みることが、怒りを強め、あなたに強要的な行動を取らせやすくすることにしかならない場合、解決策は、その関係性を逆にする、もしくは、裏返すこと:自分の怒りを、あるがままに、認め、受容し、強要のコントロールに労力を向ける。

そして、覚えておいてほしい、強要(aggression、アグレッション)とは、大きな暴力行為だけではない。頭の中で、誰かのことを過度に批判したり、すぐに決めつけることは、強要の行為である。皮肉を込めた返事をすること、または、誰かに向けて目を回すこと(*馬鹿じゃないの?的な表現)などは強要の行為である。

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ほとんどの人が信じている怒りに関する二つの迷信

この記事の前半では、ほとんどの人が知らない怒りと強要の違いについて、そして、その二つがどのように異なるのかを理解することが、特にコントローラビリティ(制御可能性)において、なぜ鍵となるのかについて話をした。

ここでは、ほとんどの人が持つが実際には真実ではない、怒りに関する二つの信念について考察する。これらの怒りの迷信を忘れることが、我々の人生における怒りの働きを理解し、怒りに影響されすぎないために必要なステップの第ニ歩目となる。


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怒りについての迷信(その1):怒りを「リリース(解放)」するためには、自分の怒りを表現する必要がある

怒りは、表現する、解き放つ、もしくは、ぶちまける必要がある、そうしなければ、怒りは破滅的なものになる、とフロイトの時代から言われてきた、これは大衆の文化とイメージにまで広まるに十分過ぎる時間である。唯一の問題は、それが真実ではないこと。

研究では(リンク)、一貫して、怒りのカタルシス・セオリー(怒りを解放するために、怒りを発散、もしくは回想・反芻する)は、怒りの激しさを弱めるようなことは何もしていない。事実、それは、実際には、怒りを強める!一方で、何もしないか、単に気を逸らすことは、怒りを弱め、強要行為をする可能性を下げることに結び付く傾向にある。

怒りの要点(その5):回想・反芻と発散は、怒りを強めるだけ

とは言うものの、感情の怒りと、怒りの背景にある問題の間には重大な差異がある。もし、あなたが、同僚からの月次報告が遅れていることに苛立っている場合、またか!、と友人と飲みながらそのことについて発散するのは、役に立たない。しかし、同僚と、この問題について、敬意のある、だが率直な会話をすることは、役に立つだろう。

言うなれば、怒り自体ではなく、怒りの源泉・原因に対処する。


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怒りの迷信(その2):怒りは、ネガティブな感情である

怒っている人は、よくネガティブなことをするので、我々は、誤って、怒りをネガティブな感情に分類する:

 ・ゴルフで、60cmのパットを外して勝ちを逃した、あなたはホールの向こうに向かってクラブを60メートルぶん投げた、2、3打のペナルティと恥の上塗りが保証される。

 ・フリーウェイで、高速のコルベットがあなたの前に割り込んできた、あなたはカッとなって速度を上げ、この犯罪者を「捕まえてやる」という、よくわからない試みをし、速度違反で自分が警察に止められただけだった。

だが、考えてみれば、何かをそれに続くものの性質で定義するというのは馬鹿げたことだ。

 ・コンロの上の熱されたフライパンは、あなたがうっかり親指を置いてしまったら痛みを生じさせることになるという理由だけで、悪いとかネガティブであるとはならない。ここでは、結果(火傷)は不快なものである、だが現実には、それは良いことである、(あなたの体の痛みの信号があなたに危険を知らせていなければ、あなたの火傷はもっと酷いものになっていた)。

 ・同様に、批判されたと感じ、怒りを感じた後、感謝祭のディナーの席で、家族の一人に向かって敬意のないブチ切れをした、という理由だけで、怒りがネガティブな感情であるとはならない。あなたのブチ切れるという行動は、実際に、間違っているし、敬意を欠いている。だが、それに先行した感情は、その家族が後押していたあからさまな不公平に対する自然な反応である。

怒りに対する文化的態度について話すなら、我々は感情という赤子を行動という風呂水と一緒に捨ててしまった(*感情という大事なものを不要な行動を捨てるのと一緒に捨ててしまった、慣用表現のもじり)。我々は、社会として、強要的な「行動」を抑制したいという理由で、それに先行することがよくある「感情」に、ネガティブというレッテルを貼ってしまった、これはこの「感情」自体が悪いものである、もしくは間違っている、ということを暗示している。

怒りの要点(その6):怒りを、それに続く行動の道徳的性質で、定義してはならない

おさらいをする、我々が怒りをネガティブな感情として考える第一の理由は、怒りが、ネガティブな行動に先だって生じることがよくあるから。だが、行動が、悪い、もしくはネガティブであるからと言って、それに先立つ怒りも、悪い、間違っている、とはならない。

そして、我々が、怒りをネガティブな感情であると考えてしまいがちな二つ目の理由:怒りは、たびたび、悪い行動に先だって生じるので、我々は、怒りを感じ体験することは、嫌悪感を催す、不快なものであると思い込む。

ほとんどの人が、喜びと興奮は快く感じられると言うだろうが、悲しみと罪悪感は不快に感じられると言うだろう。そして、ほとんどの人が、怒りを、後者の不快な感情のカテゴリーに投げ捨てるだろう。少なくとも、それが彼らが言うことだろう、事実が明らかになった後では…、

(*ところがどっこい)明らかになるのは、その瞬間、怒りという体験が、実際には、不快とは大きく異なるということ(事実、それは、極めて心地よい場合が多い)。以下、怒りが、悪いことではなく、良いことに感じられる一般的な事例:

 ・怒りは、あなたに道徳的な優越感を感じさせてくれる。あなたが、誰か、もしくは、何かを批判する時は常に、自分の方が優れている、という言葉にされない仄めかしがある:彼はなんて馬鹿なの…(私はとても賢いけどね)。ゴッド、彼女のファッションセンスは酷いよ…(僕はとんでもなく趣味がいいけどね)。誰々に投票する奴らは道徳的に破綻しているよ…(そして、私は正しいモラル・コンパス(道徳的指針、良心)を持っているけどね)。

 ・怒りは、あなたがコントロールを握っていると感じさせてくれる:ニュースを見て、世界情勢に恐ろしくなって無力感を感じた時、ある人物、もしくは、あるグループに怒りの矛先を向けることは、あなたにコントロールの幻想を与える、自分が実際に何か行動をして、そして何か変化を生み出しているかのような幻想を。事実、ニュース産業は人々に、人々自身の怒りと凶暴性を売っている。

 ・怒りは、あなたを思慮深い被害者のように感じさせてくれる。他の人たちのせいで、自分がいかに不当な扱いを受けてきたかについて終わりなき回想・反芻をすることは、頭の中に、自分は被害者であるという説得力のある物語を作り出す、不当に軽んじられてきた、そして(願わくば)、いつかその人たちに正義が執行されることを望む人物として。

 ・怒りは、よりつらい感情から、あなたの気を逸してくれる。こんなにも多くの人が、四六時中、こんなにも怒っているのは、自分を怒らせることが、別のつらい感情、を避ける、もしくは、「面倒をみる」ために、彼らが学習した方法だからだ。これは、男性にとって、恐怖や悲しみや罪悪感と違い、怒りは「適切」な感情であると考えられている文化圏において、特に真である。なぜなら、怒りは、A)とても強い、B)自我を高揚させる、C)手っ取り早い、ので、別のつらい感情を一時的に避ける凄い道具となる。このプロセスは習慣的に(依存症的にさえ)なりうる、あらゆるつらい感情に対し、デフォルトの反応として、怒りを生じさせる人たちもいるほどである。これは、実際には、怒りは偉大な抗うつ薬である、と言われてきたように、一般的な現象である。

怒りの要点(その7):怒りは気持ち良い、これが意味するのは、我々は、たびたび、怒りを探し求め、それを持続させようとする、ということ。

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怒りのたくさんのフレーバー(*類似する種類)

まとめに入る前に、怒りが様々な形をとることを理解することは重要である。もちろん、我々皆が想像するような分かりやすい漫画のような怒りの描写もある、それは、通常、叫んだり、大声を出す、顔を赤らめて、耳から湯気が出ている、など。

だが、実際には、怒りがとる形は、もっと広範で多様である、(技術的には、怒りが、一つの感情であるとするかどうかについては議論がある)。そして重要なのは、これらの、時に、微妙な(わかり難い)の形態だったり変種だったりする怒りに気付くこと、なぜなら、(多くの人が自分自身のことを怒っている人だと思っていない、としても)、その人たちの人生において、より秘密裏にではあるが、怒りが強い役割りを担っている可能性は高いからだ。

怒りの、微妙な(わかり難い)形と、それらが我々の人生で、どのような働きをしうるのかという例:

 ・短気(impatience)。短気は時間という次元に伴う怒りである。我々は、何かのためにある特定の予定を頭に描いている時、その予定が他者によって忘れられ無視されると短気になる。結果として、起こっていはずのことに対する自分の期待は、侵害され、我々は、急がなければという衝動を伴う短気という形の怒りを感じる。

 ・パッシブ・アグレッシブ・コミュニケーション(受動的強要コミュニケーション)。受動的強要コミュニケーションは、我々が、チクリと一言言いたい、もしくは、誰かの気分を害したいが、同時に、良い人を装っていたい時に、起きる。最も一般的な形は、皮肉である(これは冗談を装った、ただの悪口である)。究極的には、我々は、会話において、パッシブ・アグレッシブである、なぜなら、我々は、その責任をとることなく、誰かに向かって強要的になることを欲する。

 ・苛立ち(irritability)。慢性的な苛立ちは、怒りが放置されている兆候である場合が多い。あなたが、常に、何かに対し怒り、腹を立てているが、そのことをより深く理解すること、もしくは、今ある問題に着手することができない、もしくは、その意志がない、場合、あなたは、周りの人に対し気付かずに短気や言葉足らずになっていることが多いかもしれない、もしくは、多くの時間を単に気難しくしているか。

 ・恨み(resentment)。苛立ちのように、恨みは、認知されていない、もしくは、処置をされていない、怒りである。だが、恨みの場合は、特に、他人へと向けられる。恨みは、人と人の間で作られる(特に、カップル)、一方が他方の何かを欲しがるが、その頼み方を知らないか、自分の意見を率直に言うことを恐れているか、いずれかである。アサーティブネス(assertiveness、自分の正義、要求、拒否を、自信と落ち着きと敬意をもって相手に伝える効率的なコミュニケーションとネゴシエーションのスキル)が恨みの治療薬となる。

 ・不満(frustration)。ある意味では、不満は、単に、怒りをよりマイルドな形にしたもの(それは、我々が目的や願望を持ち、その到達が様々な理由により妨害された時に感じる)。だが、私は、多くの人が「不満」という言葉を、「怒り」という言葉を避けるためのintellectualization(インテレクチュアライズド、悲しい(sad)と言わずに、動揺している(upset)や、抱え込みすぎた(spread too thin)や、心配(worried)の様な、感情表現ではない、大人な言い換えにして自分の感情を隠すこと)の一つとして使っていることを発見した。多くの人が、怒りを感じることを、間違ったこと、もしくは、悪いこと、であるかのように感じている、なので彼らは他の似た用語である不満(frustrated)や動揺(upset)を用いて補償する。問題は、もし、あなたがいつも何かに怒っているとして、その怒りに不満というレッテルを貼って誤魔化し続けていると、その怒りは、本来よりも長い間無処置のままとなる。

怒りの要点(その8):怒りは様々な形をとる。マイルドな短気さ、から、ロード・レイジ(運転中の激怒)、まで。

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すべてを一つに合わせる:ザ・シークレット・ライフ・オブ・アンガー

まとめると、我々がここまで話してきたのは、(ほとんどの人が理解していない)怒りの心理学に関する八つの鍵となる概念が存在するということ:

 1.怒りは強要とは異なる。怒りという「感情」を、精神的もしくは物理的な「行為」である、強要的態度(being aggressive)、と、混同してはいけない。

 2.あなたは、怒りを直接コントロールすることはできない。自分の思考や行動を通して、自分の感情に対し、間接的に影響を与えることは可能である、だが、感情を直接コントロールすることはできない。

 3.あなたは、自分の強要(aggression、アグレッション)をコントロールできる。強要的な思考や行動は、習慣的になりうるが、それでもそれらは基本的には自分の制御下にある(特に、我々が、強要的な思考や行動とそれらの働きに対してより自覚的になる努力をするならば)。

 4.自分の「怒り」をコントロールする試みは、自分の「強要」のコントロールを難しくさせる。「アンガー・マネジメント」とは、ミスノーマー(misnomer、不適切な名前)であり、「アグレッション・マネジメント」と呼ぶべき。

 5.回想・反芻(rumination、ルーミネイション)と発散(vent、ベント)は、怒りを強めるだけ。怒り自体ではなく、怒りの源泉・原因に対処する努力をしよう。

 6.怒りという感情はネガティブでも悪いことでもない。怒りに続く行動が、ネガティブだったり悪いことである場合が多いというだけ。怒りを感じることについて自己批判的になるのは、怒りに対し建設的な反応をすることを難しくするだけ。

 7.怒りは気持ち良い、これが意味するのは、我々はそれを探し求め、持続させようとすることがよくあるということ。怒りを、感情の支えとして、利用することは避け、つらい感情に対してより健康的な対処法を育てる試みをしよう。

 8.怒りは様々な形をとる、マイルドな短気さから、ロード・レイジ(運転中の激怒)まで。自分の怒りを、より良く理解するために、エモーショナル・ボキャブラリー(感情表現語彙)を増やそう。

直感に反する怒りの心理学、を理解するのは重要だ、なぜなら、怒りの実際の働き(怒りのメカニクス・機構)の理解は、我々が怒った時に、健康的な行動をとるための健康的で効率的な対処法を発達させる鍵である。


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