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情報発信なんて適当でいい

どうも、ニートです。

毎日noteを投稿して、Twitterにも投稿をしているとたまーに

「うううう、なにもいい言葉が浮かばない・・・こんな状態が続いたら発信も途切れてしまうし、誰も自分に興味を持たなくなってしまう。そうしていつの間に忘れ去られてしまっちゃうおじさんにしまわれちゃうんだ、、、もうダメだ〜〜〜〜」

と思うことがあります。(すいません、前半20文字以外は嘘です。僕はぼのぼのじゃないです)

とはいえ、そんな中でも毎日投稿するというのは決めているし、SNSを活用する以上はnoteもTwitterも毎日投稿をしたほうがいいことは確か。

そんなふうに発信に思い悩む時は「情報発信なんて適当でいい」と立ち返るようにしています。

100時間悩んだ言葉を5秒で出した言葉の価値は違うのですか?

人は自分が悩み、力を入れたものほど価値があると思いがちです。

というよりもそう思いたいのが人情なんでしょう。

だれだって、天才がパッと考えた適当な言葉よりも、凡人が努力して積み上げた泥臭い紫玉の言葉に胸を打たれるような感覚はもっているはず。

ましてや努力しているのは自分なのですから、100の時間をかけたならば最低でも30くらいの結果は出てほしいものです。その気持は凄いわかります。


ただ、残念ながら答えはNoで。


言葉は言葉でしかなくて、その言葉を受け取った相手からしたら「言葉に使った時間」なんてものは大して必要な情報では有りません。

100時間かけた言葉も、5秒でぱっと生み出した言葉も、受け取り手からしたら関係はないのです。

ここは情報発信する人が理解しておいたほうが良いポイントでしょう。

「今」「君」は「誰」のために言葉を紡ぐのか?

で、これは「今君の悩んでいる時間ははっきり行って無駄な努力だよ。文章に時間を掛ける意味なんてないよ」

ということがいいたいわけでは一切なくてですね。

もしその発信活動が「見た相手の行動を変えるためのもの」ならば、そんなに無理して悩まないほうが効率もいいし、気持ちも楽なんじゃない?

とお話したいのです。

ツイートでも話してますが、仮に100時間悩むツイートで10名を動かすくらいならば、5秒で出したツイートで2人動いてもらったほうが効率的でしょう。

もう少しだけ現実的にして

1時間悩んで書いた文章で10名の人が動いてくれるより

10分で書いた文章で3名の人に動いてもらったほうが効率的です。

前者は1時間で10名、後者は1時間で18名に動いてもらえますからね。

思い悩む時ほど情報発信なんて適当でいい

そんなわけで、僕は思い悩んだ時ほど「情報発信」なんて適当でいいんだよな。と振り返るようにしています。

言葉って不思議なもので心に余裕がないとその余裕の無さが文章にも綺麗ににじみ出ちゃうんですよね。

で、そういったものにきっと人は心惹かれないと思うんです。

特にnoteはクリエイターの方が多いからそういう感覚や違和感を感じる人は多い気がする。

それに、そんなふうに軽い気持ちで書いた文章や言葉のほうがより誰かの心にすんなりの突き刺さったりしますからね。

実際にはそんな単純な話ではないのは当然ですが、考え方の一つとしてもっておくと楽になる気がしませんか?


ご参考になれば幸いです。


〜追伸〜 一ヶ月前ですが、僕は人生初の会社を2週間で辞めました。

その際の一部始終を下記の記事にまとめています。

ユーモアたっぷりでお届けしてますので、よかったら見ていってください。


PS、過去に書いた電子書籍「Twitterの教科書」はKindle Unlimitedの方は無料で読めます。TwitterでやるべきではないことをまとめてますのでTwitter運用に興味がある方はご参考に。


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