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俺たちは逆だったかもしれない

もうすぐ2023年も終わる。
今年も色々あったなと物思いに耽ると同時に、不思議な感覚になったのを思い出した。

「SDGs提案講座」という講座が私の会社の中である。
企業にサステナブルな企画を提案し、それを実現させるために「SDGsの基本的なところから理解しましょうね」という内容の講座だ。

消費者達もその企業が「SDGsに貢献しているか」といった視点で商品を選ぶ傾向にあるため、昨今の企業は、いかに自分たちの事業がサステナブルであるかを苦心している。そうした背景もあるため、私の勤め先では、企画立案お手伝いしますよというスタンスで様々な企業に提案活動をしているのだ。

なんともまあ利権の匂いがプンプンと漂ってくるので、私自身はこの事業に関してはあまり否定的な立ち位置なのだが、批判するだけなのも癪なので講習を受けることにした。

左の本格派と言わんばかりのイデオロギー全開な講義が目白押しで目眩しかけてしまったが、講師の発言で気になった箇所が多々あった。

「経済大国の日本は欧米と一緒になって、発展途上国の国々の見本となるように〜」
「とにかくですね、先進国の日本は見本となるべきなんですが、こうしたSDGsの関心が低くて〜」

殊更に”先進国の日本”を強調しており、どこのネトウヨなんだと一瞬ツッコミを入れてしまいたくなった。『Youは何しにニッポンへ』を始めとする”日本スゴい系番組”は思想が左旋回した方々がTwitter痰壺で毛嫌いしてる様子を昔見ていたので、自分の中では意外な発見であった。(講義内容よりも)その発見により、新しい仮説を思いついた。

それと同時に、もしかしたら右派・左派について、重大な勘違いをしていることにみんなが気付いてないのではないかと思い、今回のnoteを書こうと思う。


左派の考え方

右派の論客はよく「左派は日本を弱体化させる!」みたいな煽り文句を言って、聴衆を怒らせにきている。

しかし、あくまで私の憶測で恐縮なのだが、彼らにそんな想いは一切ない。
むしろ、そこら辺のネトウヨより日本のことが大好きだと思う。

それこそ、先ほどあげた研修の講師は「先進国にいる日本」であることに誇りを持ってるかのような話ぶりであった。

料理が主題なのに一丁前に政治的な話をしちゃう漫画でお馴染みの『美味しんぼ』も政治的な主張をする回では、リベラル・左派的な主張が多いのにも関わらず、「よくぞ日本人に生まれけり〜と言いたくなる料理」とか日本の郷土料理シリーズみたいなものだったり欧風化に対して否定的スタンスを持っていたりと、郷土愛というものはある方だと思う。

一定の郷土愛があるが故に、足りないものを埋めればもっと良くなると考えているのだ。そしてその足りないものは「私たちよりも素晴らしい文明の白人様から輸入しよう」という考えに繋がってくるのだ。
一見矛盾してそうな感じもするが、「元々素晴らしいものに更に素晴らしいものを足したら、もっと良いものになるだろう」といった向上心的な考えが前提になっているのかもしれない。
もっと砕けた表現をするなら、「上には上がいる。追いつき追い越せ」だ。(向上心型コンプレックスと呼ぶことにする)

格差是正とか貧困とかに興味がある人であれば、北欧の高福祉国家に憧れを持つ。環境問題に関心があれば…女性活躍に関心があれば…といった感じにだ。

しかし、何でもかんでも自分の提案した通りに物事が動くわけではない。
ある日突然、日本が超フェミニズム国家になることはない。

そうした物事が遅々として進まない状況に「良くしようと思って言ってるのにどうして聞かないんだ!!」と怒りを露わにしてくるのだ。

悲しいかな。愛するが故の反動ともいうべきだろう。

右派の考え方

一方の右派と言えば、「愛国」であったり「伝統」であったりと郷土愛を全面に出す印象がある。確かにSNS上では日の丸・旭日旗アイコンをした方々が非常に勇ましい()発言をしてる様が見てとれる。

しかし言動の勇ましさに隠れてしまうが、自信のなさ・自分の国に対して過小評価をしてるのではないかと思われる。もっと砕けた言い方をするのであれば「下には下がいる。俺はあいつらよりはマシ」だ。

「白人様には敵わない。でも俺たちはアジアの中では優等生だから。」
中国・韓国に対しての捻くれたコンプレックスも同時に発症してしまうのも納得かもしれない。戦前から何も変わってない。

「愛国」であったり「伝統」というものを口にする割には、彼らは歴史というものに全く興味がない。彼が口にする歴史というのは、昭和戦前期のあたりだけだ。

何も極右の話だけではない。時の政権≒自民党政権絶対擁護マンたちも同じだ。イヤ、彼らの方がもっと酷いかもしれない。今から10年くらいの歴史しか興味がないだろう。例えば、リーマンショック期の麻生政権の景気刺激策のチグハグさというものは批判されてしかるべきなのだが、彼らはそれすらしない。ファクトチェッカーぶってる割には、そこら辺の事実の収集というものにムラがありすぎるのだ。

そして右派的考えをしている人全般に言える話なのだが、隠れキリシタンぶってるのが一番の問題だ。
「自分の信条として掲げているものは、世の中的に正しいと思われてない」
勝手に悲劇のヒロインぶってるせいか、連帯・団結してないと不安なのだろう。そうした結果、「あいつと同じと思われなくない」「極右のせいで保守がまともだと思われない」といったどことなく他責的な言動が目立つ。
そもそもの話、政治思想というものは自己と向き合って熟成するものだ。
そこに他者の評価は一切入らない。

リベラルな意見というのはどうしても”正しく”聞こえてしまう。
「地球環境は守らなきゃいけない、温暖化は問題だ」「女性の権利、男女平等は大事だ」etc…右派はそうした”道徳的正しさ”というものを欲している、ないが故の自信のなさというものがどうしても透けて見えてしまうのだ。

右派・左派の共通点

両者に言えることは、強烈な白人コンプレックスであろう。「偉大な白人様がいる欧米様」といった姿勢というか考えが、言葉や所作に表れている。それが向上心的コンプレックスになるか卑屈的コンプレックスになるかの違いでしかない。そしてそのコンプレックスが故に、等身大の姿で見れていない≒現実を見れてないだけだ。

等身大の姿で見つめるためには、竹馬理論(私が勝手に命名)が肝になってくるだろう。

竹馬という遊具は非常に良くできていると思う。片足だけで進むことはできないし、両足いっぺんに出して進むこともできない。ましてや静止することもできない。常に一歩づつ前へ前へと進んでいく。

片っ端から政治系YouTubeチャンネルを登録して四六時中見て外に出ない人(そもそもまともに本を読んでないので論外だが)もダメだし、碌なインプットしないまま海外に取り敢えず行って出羽守になるのも論外だ。
外に出て色んなものを見てそこで出会う人と会話をしつつ、時には自身の内面と向き合いつつ本を読んでインプットをする。
それを竹馬のように一歩づつ交互に繰り返していく、地道な作業だ。

それができて始めて、政治的な信条/イデオロギーという味付けを加えることができる。

ただ現状は、政治的な信条/イデオロギーという味付けだけ先走ってるパターンが多く(しかもその多くは強烈な白人コンプレックスが土台だ)、モノを判断するための知識も不足してるので、「オレの嫌いなアイツと同じと思われたくない」みたいな何を言ったかより誰が言ったかでしか判断できないような状態が横行している状態だ。

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先日、会社の同期入社の友人たちと忘年会を開いた。
既に転職した人も参加しており、なんだかんだで仲が良いんだなと再認識した。

20代後半にもなってくると管理職になる人もいるし、役職がなかったとしても中堅どころとしてバリバリ働いている。

男女関係なく和気藹々と話してるなか、やはり酒の席では当然愚痴も出てくる。決まって出てくる言葉が「注意するのを止めた」だ。
何を言っても響かない人はいるし、昨今ハラスメントが厳しく言われるようになったのもあり、諦めの判断がよりシビアになった。
いいよ、そのままで。手遅れになった時に気づきなさい。そんな感じに…

今の政治界隈のSNSにも似たような感情を持つ。
いいよ、そのままで。手遅れになった時に気づきなさい。
インプレッション/再生数を稼ぐためにどうしても、人を怒らせる作りになってしまうのがSNSだ。その仕組みに踊らされて歯車が狂いっぱなしになってしまった人たちはもう戻れないだろう。

2024年は自走が求められる時代になるだろう。
確かな知識と人生経験をもって。

私はゆっくりかもしれないが、竹馬を走らせていく。
そんな年にしたい。

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