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【史跡巡り】大平古城の碑(愛知県岡崎市)


はじめに(+お詫び)

前回の記事ではネガティヴ全開で、読み返すと「なかなかに病んでいるな……」と自身でも思った。(本当に申し訳ないです)

正直なところ、気が滅入っているのは事実。
普段は「色々な人がいるから」「まぁそういうもの」などと割り切っているつもりでも、心身が弱ると気持ちが相当に滅入ってしまう。

現に、先週木曜日(7/11)頃から風邪なのか調子がいまひとつ。
(現在は回復中)

訪ねたいと思っていた場所も先延ばした。
件のウイルスもあり、手足口病やヘンペギーナなどなど。色々と病気の名前を耳にすることが増えたため、どうぞ気を付けてお過ごしいただきたい。
やはり、体が資本だ。

微熱だが熱も3日でたので、covid19抗原キットでチェック
陰性(-)だったが、簡易キットなので真偽は不明(疲れからの感冒症状か)
どうぞお気を付けて楽しい夏を

今回のプチ散策

先ずは今回の散策「大平古城の碑」の場所をお示しする。

赤:史跡 水色:位置関係の説明
画像出典元:Googleマップ

私は「大平古城の碑」の近くにあるホームセンターを時折利用するのだが、以前より「あれは何の碑なのか」と疑問に思っていた。
そのため、7月上旬に上記のホームセンターに寄りつつ、ほんの少し足を延ばしプチ史跡巡りをしてきたという次第だ。

大平古城の碑

「大平町中天」の信号機付近に碑がある。

画像横にある道を上れば国道1号線、下れば名鉄・東岡崎駅につく
東海道・大平一里塚や西大平藩陣屋跡まで500m未満の位置にある

いつもは車で通り過ぎていただけに、先ずは説明板を見る。

柴田殿の城の跡地の模様
残念ながら、欠損しており位置図は読み取れず

大平古城に関する古書は以下の記事内(欠村・鈴木墨右衛門)の横に記載有。
※但し、同じ柴田一族か異なる一族かは不明

大平町は至る所に歴史が残っている/保全されているイメージがある。

やはり、江戸時代に大岡忠相公を輩出し、
”藩”にまでされた名残かーー
燈篭
つくばい……だろうか
石碑
石碑
(肉眼でも読めず←暑さも加わり長居出来ず)

まとめ

大平古城をもう少し南下すると小豆坂がある。
織田・今川軍が衝突した「小豆坂の戦い」の小豆坂だ。

今回の「大平古城の碑」の大平古城も単体で見てしまうと「なるほど……」で終わってしまうのかもしれない。
だが、かの戦いの地から左程離れていない場所に在ったこの古城。

戦いの際にどのような役割を果たしたのか。戦いの最中、この地域はどうなったのかーーなどなど。他の出来事と組み合わせて訪れてみるとなかなか感慨深いものがある。

やはり灯台下暗し。
近い場所で生まれ育ったはずだが、まだまだ私は無知だ。


最終改定: 令和 年 月 日( 回目)
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします

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