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【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑬板屋町~八帖町 寄り道~八丁諏訪神社
はじめに
長く続けてきた「東海道・岡崎城下二十七曲り」を歩く旅も残すところ2回(この記事を含む)。
今回の旅路にでてくる「松葉総門跡」。現在の位置で言及すると国道248号線付近だ。そこが古の岡崎城の外郭の総門にあたる。
ここを「岡崎城下二十七曲り」の終点(or始点)にするかーー、はたまた、今回の旅路の終点を二十七曲りの終点(or始点)にするかーー。
かなり迷った。
なにせ、南冠木門のような東海道二十七曲り(始点/終点)の碑がないからだ。
歩いた私自身もどこを終点とするか悩んだ。そのため、今後に歴史散策をする方に「ここを終点としよう」と選択できるよう周囲の風景も含めお示しできたらと思う。
精査が完璧ではないが、少なくともネット等を検索しても「東海道・岡崎城下二十七曲り」の始点・終点の岡崎市公式見解はどこにも見受けられない。
※どこかに記載があれば教えてください
今回の旅の概要
前回までの旅路と寄り道旅は以下の記事を参照いただけると幸いだ。
今回の旅を以下のとおりにお示しする。
![](https://assets.st-note.com/img/1709708749641-s9XSLgXoN8.png?width=800)
橙:神社へのルート
画像出典元:Googleマップ
今回の旅は「旅の目印”よ”」から始まる
![](https://assets.st-note.com/img/1709708941413-PdxVGzM1LD.jpg?width=800)
電信柱の後ろにひっそりとある
「旅の目印”よ”」を目印が示すとおりに西に向かう。
![](https://assets.st-note.com/img/1709710148961-4xKYSXjsZX.jpg?width=800)
この道を西に向かってしばし歩むと国道248号線に接する。
「旅の目印”た”」と松葉総門跡の碑
国道248号線の信号を渡った角に「旅の目印”た”」が在る。
![](https://assets.st-note.com/img/1709710249981-QXVOrrdmih.jpg?width=800)
「旅の目印」はここで終わり
”い”に始まり”た”まで。計13目印かと
「旅の目印”た”」の近くに御影石の旅の目印も在る。
![](https://assets.st-note.com/img/1709710339317-7C94uDZkzf.jpg?width=800)
現代と古の地図を重ねた位置感で「松葉総門」は岡崎城下の外郭の内に在ることが判る。
![](https://assets.st-note.com/img/1709710403258-jZDekl0lFm.jpg?width=800)
東の出入口が籠田総門、西の出入口が松葉総門か
ここを一つの「東海道・岡崎城下二十七曲り」の終点と捉えても良いと思う。
なにせ、近くに愛知環状鉄道の中岡崎駅、名古屋鉄道本線の岡崎公園前が在る。帰路につく際にはキリが付きやすい場所だ。
今回はこのままもう少し東海道を進む
今回はもう少し東海道の先を進む。
![](https://assets.st-note.com/img/1709710677412-0s68d8l9PL.jpg?width=800)
現代の街道筋は下記のような風景だ。
![](https://assets.st-note.com/img/1709710728910-M4PwQGS9Oy.jpg?width=800)
道なりに進み、愛知環状鉄道の高架下をくぐり抜けると、八丁味噌を製造している味噌蔵が見えてくる。
八丁蔵通り
![](https://assets.st-note.com/img/1709711062315-Lju9coEa74.jpg?width=800)
記憶が正しければだが、一説で「岡崎城から西に八丁(900m程度)のところで生産されているから”八丁味噌”という赤みそ」。
現代でも2社の味噌蔵が昔ながらの製法で味噌を作り続けている。
![](https://assets.st-note.com/img/1709711152880-tOHQT3MsI7.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1709711175007-cLdyq3FpvB.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1709711217587-xA04dxLnE0.jpg?width=800)
八丁味噌の詳細が書かれた案内板も在った。
![](https://assets.st-note.com/img/1709711261860-0MptC8zJri.jpg?width=800)
今回の寄り道「八丁諏訪神社」
まるや八丁味噌(名古屋側)の横に在る小道を進むと諏訪神社が在った。
![](https://assets.st-note.com/img/1709711428552-FBJCu8jMPr.jpg?width=800)
味わい深い
しばし道なりに歩むと神社に到着。
![](https://assets.st-note.com/img/1709711495838-qg5QkLYdJf.jpg?width=800)
正面なのか分かりかねたため、一度境内を通り抜け、西側に。
![](https://assets.st-note.com/img/1709711548808-bBWBofn3sY.jpg?width=800)
恐らくこちらが正面だろう
![](https://assets.st-note.com/img/1709711583597-6yrOybeX1t.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1709712109589-HwpHOb10dY.jpg?width=800)
水害が一因で当時の八丁の住民が両町(祐傳寺より東付近)に移住している
鳥居の前で一礼し、境内に再度入る。
樹齢何年の松だろうかーー。
![](https://assets.st-note.com/img/1709711667205-QEK1miLhf2.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1709711738830-O5YGTzW0Q9.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1709711765436-nDoKA1lKGJ.jpg?width=800)
右には名古屋鉄道本線の線路が在る
![](https://assets.st-note.com/img/1709711824794-hQdZzKCmS1.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1709711866890-VBW3mwJWyi.jpg?width=800)
この付近は大東亜戦争の戦火を逃れたと思われる
![](https://assets.st-note.com/img/1709711936506-q4okjGMGDq.png?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1709711963852-yzGicz2mLq.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1709711989931-jMDgPJcMgI.jpg?width=800)
小さな祠も在った。
![](https://assets.st-note.com/img/1709712315869-7JEtzgSt1n.jpg?width=800)
![](https://assets.st-note.com/img/1709712343443-mQL0j1b8Z4.jpg?width=800)
名鉄電車に乗る際に車窓から気になっていた神社だ。
この旅で立ち寄れて良かったと思う。このように「知ってはいるが、行ったことがない神社仏閣」が岡崎には兎角多い。
今回の旅の終点「左江戸・西京」
「八丁諏訪神社」を後にし、東海道に歩みを戻す。
すると、「左江戸・西京」の碑に面する。
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ここがまた一つの「東海道・岡崎城下二十七曲り」の終点かもしれない。
![](https://assets.st-note.com/img/1709712732688-CwUwPvgwPa.jpg?width=800)
碑の左側の御名前は判りかねるが、早川久右衛門殿は八丁味噌蔵・カクキュウの代表の名だ
東海道を辿る人のために建立くださったのやも知れぬ
実際に歩いたため書くが、ここで旅を終えると何かこう……達成感を感じられないのだ。この碑が原因ではなく、「南冠木門の説明の碑」がそうさせているのであろう。
明確な「終点(始点)」=達成感が欲しいのかもしれない。
まとめ
今回の旅で触れた場所を「東海道・岡崎城下二十七曲り」の始点・終点としても良いと思う。
古の時代は「松葉総門跡」か「左・江戸 西・京」付近が二十七曲りの始点・終点ではないかと個人的に思う。
ただ、長い旅路を歩ききった達成感をどうしてもしっかりと感じられなかった(※主観)。
そのため、個人的にお勧めする現在の歴史を辿る散策「東海道・岡崎二十七曲り」の始点/終点と寄り道を次の記事で書こうと思う。
著作権の関係から古の矢作橋の写真をお借りすることは叶わなかったが(所有者不明)、現在よりも水量がはるかに多く、歌川広重が「東海道五十三次之内 岡崎 矢矧之橋」にも描いた場所だ。
矢作川を渡り切り、ゴールしたとも思える場所までもう一記事。「東海道・岡崎城下二十七曲り」を歩く旅の記事にお付き合いをいただけると幸甚だ。
最終改定: 令和 年 月 日( 回目)
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします
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【参考】
岡崎市史 近世3
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