【東海道】岡崎二十七曲りを歩く⑫魚町~板屋町 寄り道~徳川家康公・氏神 新田白山神社
はじめに
今回・次回の東海道を辿る旅路では迷っている旅人を散見したため、史跡や長閑な風景だけでなく「ここの道を行ってください」という案内も多くする。
実際に私が東海道・岡崎二十七曲りを辿っていた際に何組かの道に迷った旅人に声掛けした経緯がある。
また、国道1号線を横断しなければならないため、旧東海道とは道が大幅にズレていると思われる。その点はご理解をいただけると幸いだ。
今回の旅の概要
前回までの旅路と寄り道旅は以下の記事を参照いただけると幸いだ。
今回の旅を以下のとおりにお示しする。
今回の旅の始点は「御影石の旅の目印」
御影石の旅の目印を西に向かい(国道248号線まで間近)、伊賀川を渡ったら伊賀川のたもとの交差点をリブラ側(南)に渡る。
すると、旅の目印「を」に面する。
御影石の旅の目印も間近に在る。
45m進む道は下記のような風景だ。
45m進んだところに「旅の目印”わ”」が在る。
旅の目印に沿って左折すると、進む道は下に示すとおり。
しばらく道なりに進むと一際目を引く建物が在った。
思わず引き返し、建物を見る。
しばし休業されていたようだが、サウナ施設として改装し再開なさるようだ。
龍城温泉を後にすると1号線に面する。
国道1号線。水色の矢印の道が1号線を渡った後の東海道だ。
旅の目印が推奨するのは歩道橋を歩む経路のようだ。
御影石の旅の目印が勧めるとおり、歩道橋を渡る。
歩道橋を渡ったら、下に示す国道1号線沿いの小道をしばし進む。
小道を道なりに進みしばらくすると「旅の目印”か”」に辿り着く。
国道1号線の南側の東海道を更に道なりに南下する。
徳川家康公・氏神 新田白山神社
「旅の目印”か”」から100mほど南下すると右手に古木が生い茂る一角が岡崎公園側に在る。
古木に惹かれ少し東海道から外れ、岡崎公園(岡崎城)方面に足を進める。
すると、家康公の氏神「新田白山神社」に面する。
神社の御由緒。
本殿。
境内に非常に大きなクスノキがある。
氏神?土産神?
「新田白山神社」を家康公の”氏神”とするか、家康公が勧請し創立。その後、家康公を含め代々の岡崎城主の”土産神”とされてきたか言葉に迷った。
言うまでもなく「氏神」は元々は血縁関係のある氏族(一族)が祀った神様だ。一方で土産神は「村の鎮守の神様(近くに住むみんなの神様)」。
しかし、現在は氏神という存在が土産神と混同される傾向にあるということからこの記事では「氏神」としておく。
実際に、欠町の「八柱神社」も鈴木一族の氏神であったが、少なくとも江戸時代末期(明治時代かーー、詳細は不明)頃には土産神・土地を護る神様となっている。
さて、新田白山神社を後にし、東海道を進む。
東海道を進む・今回の旅の終点
新田白山神社から東海道に戻り、東海道を道なりに南下する。
150mほど進んだところに「旅の目印”よ”」が在る。
また、企業さんの私有地内?に御影石の旅の目印も在る。
まとめ
幼き頃に新田白山神社に行った記憶があるが、改めて散策することで何十年かぶりに参拝した。
「灯台下暗し」とはよく言ったものだ。
徒歩で行ける範囲に住んでいるからこそ「いつでも行ける」「いつか行く」「興味が沸いたら行く」という先送りを止めたい。
そういうのも、遠くの土地に住まう方、諸事情で旅に出られない方など、多くの方がネット空間でも散策を楽しんでいただけるよう情報や画像を提供していきたい。
改めてそう思う。
最終改定: 令和6年2月29日(1回目)タイトル画像の変更
※後に読み返した際に変更があれば、改定日を修正いたします
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【参考】
土産神ーコトバンク
https://kotobank.jp/word/%E7%94%A3%E5%9C%9F%E7%A5%9E-35082#goog_rewarded
氏神(うじがみ)と産土神(うぶすながみ)との違いについて教えてくださいーー阿佐ヶ谷神明宮
https://shinmeiguu.com/faq/faq-0-22/
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