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日記:大学授業初日と心の容量

学校初日。
果てしない疲労感が襲う。
でも、これはきっと充実感から成る疲労感。

1年間何もしないで、ろくに人と話さず、昼過ぎに起きては、何となくバイトへ行って、無駄にお金を使う。
ろくでもない生活から一変。
朝早くに起きては、毎日新しい人と会話を始める。
それが今のこの果てしない疲労感の正体。

今大学では思ったより何倍も上手くやれている。
授業を一緒に受ける友達もいるし、クラスも仲がいい。
また、大本命のサークル活動を控えてるって言うのに、上手くやれてる、楽しめてる。
無理をして上手くやれてるわけじゃない。
出来るだけ今の僕のありのままを見せてる。
面倒くさそうな1面も、面白い1面も、真面目な1面も、見せれてると思う。
その上で、みんなは僕と友達になってくれる。
それだけで嬉しい。
それのための疲労感なら、喜んで受け入れる。

と言うか、大学生に成れて良かった。
周りのみんなも、先生も、講義も全部面白い。

生活科の講義なんて、初回授業でスケッチの課題だ。
「学内に咲いている植物のスケッチをしましょう。」
だってさ。
動物園も行くんだって。

すごいね、教育学部って。
教える立場になる前に、今一度子供に戻ってその視点から学習をする。
きっと今それが出来る最後のチャンスなのかもしれない。
大人でありながら、子供でいる。
僕の理想でもある。
そんなことまでも容認してくれてるのか。

グループワークも沢山。
色んな人との交流。
疲労感の内訳を作るならこれが一番比重が重いと思う。
気をつかったり、自分を主張したり。
上手い具合に立ち回る必要がある。
そこに全集中で考えながら話してるわけではないけど、と言うかそんなのは僕には無理だけど、無意識でも意識する時間が多すぎるから、疲れる。
みんなと仲良くなりたい気持ちが先んじて走り出してる。
ちょっとスピード感も合わせた方がいいのかもしれない。
と言うか、俺が変に飛ばしてる節がある。

4限は疲労感で頭痛が酷くて過去1番に適当に話した。
まあ、初回のペアがでけぇ男だったから、救いがあった。
軽く挨拶を交わして、「こいつならテキトーに話しても許してくれる。てか、許して。疲れた。」と頭痛と戦いながら、講義を受けた。
幸い内容はめっちゃ簡単なこともあって、楽な授業であることには変わりはなくて、嬉しい。


思った数段上のところで楽しめてる。
これからも楽しみたいとは思うんだけど、どうせこの楽しみには慣れてしまうのかもしれない。
飽きて手を抜くのかもしれない。
毎日毎日、飽きないほどの楽しみを見つけられる人になれればいいな。


と言うか忙しすぎ。
ここまで生活様式が変われば適応するのにも時間がかかるのも仕方の無いことだけど、あまりにも疲れる。
初日に書いたこの文の前にも新入生オリエンテーションのやつに関しても書こうとしたけど、疲れて眠れば次の日だし。
今回のやつも書けた!と思えば、今この部分を書いてるのはその2日後。
忙しすぎる。
布団に入れば寝れる日なんていつぶりだろう。
1時になる前に寝るなんていつぶりだろう。
そら、こんな生活になれないわけだ。

2日目も3日目も何事もなく過ぎた。
授業を受けて新しい人と話してはバイトへ行く生活。
それが何よりも疲れるけど、何よりも充実してて楽しい。
いつも授業を受ける友達も出来た。
男女合わせて今の所7人のグループ。
LINEしたり、雑談したり。
すぐに当たり前のような学校生活を送れてる。

つくづく思うけど、恵まれ過ぎてる。
怖いくらいには恵まれてる。
これ以上ない生活をおくらせてもらってる。
地に落ちた自己肯定感は今は救われてる。
授業でおんなじになった人から学校内ですれ違った時に声をかけられたり、自分のことを面白いと言ってくれたり。
本当にこれ以上ない。
恵まれ過ぎてる。


作詞

今日はギターを買った。
買ったと言ってもAmazonの注文確定ボタンを押しただけ。
明後日に届く。
少しだけ弾いてみよう。
と言うかまたすぐにサークルが始まる。
それに向けて少しだけ。
変に急がないでもいい。
音楽面の目標は「1曲作る」だ。
今年の目標はこれしかないけど。

そんな調子で作詞だけは続けていこうと思う。
もっと作れば何となく手癖や雰囲気が出てくるだろうから、今はひたすらに作る。

あと、やっぱりRADWIMPSみたいなバンドがやりたい。
だから、それみたいな曲を書こうと思う。
昔のRADWIMPS。
メジャーデビュー前のアルバム曲みたいな雰囲気。
19歳の洋次郎が書いてたように、19歳の僕が書いてみよう。

明日の楽しみを数えても
昨日の悲しみが消しちゃって
覚えてる楽しさもいつの間にか
悲しみが見えてきて
そんなこと考えてたら
空が泣いてるように見えちゃって

いつの日か
悲しみに負けない楽しみが
生まれるその正体が
愛だって誰か教えてよ

空は泣かないで
僕に優しくするみたいに
そんな顔をしないで
僕まで悲しくなっちゃうよ

生きたいやつの隣に死にたいやつがいるんだって
どちらも正解を目指してたはずなのに
いつの間にか間違えてるみたいで
愛を知ったやつの隣に失ったやつがいるんだって
過去の連鎖が今の僕だ
今を愛せると思える連鎖の中にいれば
正解も間違いも無くなるのにな

今を忘れるくらいの今を続けよう
そんな今を知ろう、想おう、愛そう

悲しみに満ちた人生だった。
どこかで道を間違えた。
やり直したいな。

19年で何を言ってるの?
あなたの幸せは無かったの?
少し欠けただけで欠陥品の気分かい?
欠けてない部分もあるんだろう
それさえも見ないフリをするのかい?

悲しみでこれまでを否定しないでよ
消えていった楽しみはどこへ行くの?
残してみた悲しみはこれからどうするの?

寝れなくても夜は消えて行くんだ
そうやって幾度の夜を過ごしてきたんだ
これまでと同じ夜を過ごしてみませんか?
明日の楽しみ数えなくても
昨日の悲しみ思わなくても
僕を思って暗い顔した空は
「君なら大丈夫だ」って無責任に消えるんだから
次会う時の顔を先に決めておこうよ
そうやって生きていこう

「明日の楽しみを数えても
昨日の悲しみが消しちゃって
覚えてる楽しさもいつの間にか
悲しみが見えてきて
そんなこと考えてたら
空が泣いてるように見えちゃって

いつの日か
悲しみに負けない楽しみが
生まれるその正体が
愛だって誰か教えてよ」

これが言いたいこと。
最近、つくづく思うのは悲しいことは覚えてるのに、楽しいことは忘れてるなーってこと。
あの子と楽しい思い出があったはずなのに、最後の悲しい印象しかない。
それどころかその子との過去まで全部悲しい記憶に思える。
悲しさだけが心の容量を大きく取ってる。
邪魔で仕方がない

悲しい日は楽しみが消された日。
楽しみを思っても大きく容量を撮った悲しみが楽しみのフォルダを圧迫して消しちゃう。
悲しみに負けないくらいの楽しさが必要。
それはきっと愛だと思う。
今の所愛が何かも分かってないけど、むしろわかってる人がいたら教えて欲しい。
君を想うだけで、こころが軽くなるとか、そんな感じのこと。
何より実際に僕がそうだったし。

そんなこんなでタイトルは
「心の容量」
最初で言いたいことを全部言っちゃったから、後半は迷走してる。
いい感じのことは言えると思うけど、何となく腑に落ちない。
まあ、一旦こんな感じで。

大学生活スタートって感じで。

次の作詞は一丁前に臭いけど「愛の歌」でも作ろうと思う。