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女としての生き方の選択

少しワガママかもしれない。許さなくていいから攻撃するのはやめてね

10月から母性看護学実習が始まるため、結婚・妊娠・出産など女として生きる自分のライフステージについて本気出して考えてみようと思う。
対象がどんな状況におかれている人かが決まっている実習では、ある程度イメージをつけてから臨むと、頭の中の世界と現場とのギャップを感じて色々な価値観を吸収しやすくなると思う。これは完全に学生3年目の勘。

私はこどもがスキだ。大人には想像もつかないような発言や行動、発想を繰り出すのはやはり夢があるし、おもしろい存在だと思う。唯一ウンコやチンチンで爆笑しても許される時代であり、無駄に虫を解剖したり得体の知れない花の蜜を吸ってみたり、店の中でドンちゃん騒ぎしてみたり、そういうところも「バカだなぁ」と思いつつも可愛いと思ってしまう。

だけど、それはよその子どもだからそう思っていられるわけで。
私は早くから、子どもは産まないという選択をしている。結婚だってこの先どうなるかわからないし、正直怖い。フェミだのなんだの騒がれるこの時代に、女性性についてあまり大きな声で言いたくないが、「こういう考えの女もいる」という価値観の共有を図る目的でこっそり書き遺しておこうと思う。

【結婚のここがつらい!】
・義理の両親の介護(最悪の場合看護)を求められる可能性が高い

「そのくらい我慢しろ」と言われるのは想定内だし、もっともな意見だと思う。義理といったって一応家族なんだから面倒は見るべきだろうと。私だってそう思う。嫁ぐということへの覚悟はきちんと持つべきだろう。
私は今看護師になろうとしている。自分で言うのもなんだが、看護師はなかなかに社会的な印象は抜群だと思っている。世の中のニーズが高いし、給料も申し分ない。だいたいは、「看護師になるなんて偉いね~」「親御さんも安心ね~」などなど、表現のレパートリーこそ少ないが基本的に感心の言葉をいただく。
それだけで済めば良いが、たぶん嫁ぐとなるとそうもいかない。
こればかりは私の立場からの、私の憶測や予測であるため、一概にこうと言えるわけではないが、一番恐れていることを書きたい。

「お嫁さんが看護師なら、安心ね~~」

何が安心だよバカヤロウ、と言いたい。
この文面での安心とはつまり、「老後の世話はこの女がやってくれるから安心ね~!!」「何かあったときは看護師だしどうにかしてくれるでしょ!」と同義であると捉えて差し支えない。ちなみに私は常に『最悪の場合』を念頭に入れながら生活しているため、「考えすぎだよ~」とあしらわれてしまうことが多々あるが、私にとっては重大な問題であり、大変な恐怖なのである。

仕事でも看護師として老人の面倒をみるのに家に帰ってからも似たようなことするのかと思うと戦慄する。
それに、私は看護は『サービス』としてではなく『仕事』として、その知識と技術を提供するつもりで日々神経をすり減らしながら勉強に励んでいるため、そんな血と涙と汗の結晶を無償でよこせというのはいくらなんでも図々しいのではないか、と思う。『介護士』『看護師』が『職業』として存在している理由をよく考えてほしい。奉仕の精神や老人への感謝の気持ちだけでどうこうなる仕事ではないのだ。
もし仮に結婚して本当に目の前であんなことを目の前で言われたら、このnoteを印刷して旦那の家族に配布し、パワーポイントを使っていかに愚かで浅はかな発言かをプレゼンテーションするであろう。それくらい許せない発想なのである。私にとっては。
そう考えると、嫁ぐことに対して特に何もメリットは無いのではないか。しかも私は子どもを作らない人生を選んだ。好きな人と死ぬまで一緒にいたいなら、永遠に彼氏・彼女のインフォーマルな関係のままで良さそうな気がする。

【妊娠・出産・育児のここがつらい!】
・自分の遺伝子はこれ以上世に残すべきではない
・無事に育てられる自信が全くないので怖い
・出産自体が怖い(単純に痛いのが無理)
・夫の職業次第で仕事を継続しなければならないため、安易に休職できない
・そもそも産休や育休で職場を離れたくない
・子どもを幸せにできる保証がない

私は以前、こんな記事を書いた。

私は運動も勉強もできない。そのほかにもいろいろと、ありえないぐらいできないことが多すぎる。「努力の問題だ」と言われても何も文句は言えないが、その努力すらまともにできているかも怪しい。
そんな人間に育てられた子どもがまともに育つとはとても思えない。
あと、私は幼少期全く落ち着きがなく、泣き叫び、暴れまわり、よく物を失くし、宿題もろくにできず、親を困らせまくっていた。親に「ねもりを育ててノイローゼになった」とまで言わしめた。
そしてツイッターやそのほかのメディアでは、「主婦ってこんなに大変!」「夏休み大戦争!」「夫が役に立たない!」「子育てしんどい!給料よこせ!」などの主婦の声が多く聞かれる。そんな声を聞く度に、私は「こんなに人を困らせてしまうなら、産まれてこなければよかったなぁ」と思うのだ。
さらには、「むしろ産んでほしくなかったなぁ」とすら思う。あと、「産まなきゃよかったのに」と。

私の母親は料理も裁縫も上手で、割引の計算が引くほど速く、ファッションセンスも最高で、ちょっと松島奈々子に似ている最高の女である。
父親は、理系で電気関係にはとても強く、とりあえず困ったら相談できる絶対的な安心感がある。世の中の動きにも一歩引いた視点で鋭い意見をテレビに向かって何やら喋っているし、猫に好かれる才能がある。少し安住アナに似ている。
弟は父より無口でボソボソ低い声で何を喋っているのか全く聞き取れないが、乱暴なことはしないので女子にはモテるし、背も高いのでちょっと頑張れば綾野剛に見えなくも無い。あと私より家事ができる。
私のような何もない、何も出来ないからっぽな親に育てられて、何の自慢もできないつらい思いをするくらいなら、最初から産まないであげるのも、今後出会うことのないこどもへの私なりの愛情なのだ。

子育てに自信がない

私はよその子どもが好きだと言った。もし自分の子どもだったらどうだろう。
たぶん、私は全力で好奇心を制限してしまうと思う。「みっともないからウンコやチンチンで笑うんじゃない」「目的も無く虫を解剖するのは倫理上良くないからやめろ」「花の蜜なんて吸って腹でも壊したらどうするつもりだ」とか。おそらく、こどもの伸び伸びとした生き方より、社会から向けられる視線を気にしてしまうのではないか。でもそれを社会が悪いからだとは全く思わない。そんなもののせいにしたって何も変わらないからだ。社会の迷惑にならないように生きる私のビクビクした性格が変わらない限り、堂々と育児に励み、私とは真逆な明るくたくましい子どもに育てるのは非常に困難だと思う。

職場から離れたくない

共働きで子どもをもたない、いわゆるDINKSという家庭を築くのが理想である。まあ別に相手がフリーターでも金は私が稼いでくればいいだけの話だからどうだっていい。(看護師になっていればの話だが)
しかし、問題はそこだ。相手がフリーターなのに、私が産休だの育休取っちゃったら、その間の収入はどうなるんだよ。
いくら一時金が出ると言ったって湯水のごとく湧き出るものではないし、絶対的な信頼はできない。

いろいろ考えてみたら、余計に子どもを産みたくなくなってしまった。彼氏だって、「今は子どもは要らないと思う」と言ってくれても、いずれ子どもがほしくなる可能性だって十分ありえる。そうなったとき、私はその人のために子どもを産むことになるのだろうか。私はほしくないのに、彼がほしいからといって渋々産むのは、こどもがあまりにも可哀想過ぎる。
産むなら、絶対に幸せにしてあげたい。けれど、今の私には産む幸せより産まない幸せのほうが心地良いと感じている。いつか選択子なしも、子持ちも、お互いに余計な詮索や干渉をせず、居心地よく生きられたらいいなと思う。
他人の生き方に余計な口を挟んだり説教をしていい資格など、誰も持っていないのだから。


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