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兵隊が眠ってくれない

深夜、日付の変わる直前。遠方に住む地元の友人とオンラインお茶会をした。使用ツールはZoom。無料バージョンを使用しているため、四十分で途切れてしまう。互いの疲労の具合や翌日のスケジュールを考慮しながら、でも結局、入退室を三回繰り返してわたしたちは深く長い夜を過ごした。

画面越しに、ときどき相手の表情を確認しながら会話をする。「髪伸びたね」「あったかそうなパジャマ」。彼女は顔の見えない通話(いわゆるふつうの電話)が苦手であるため、声を介したやりとりをする場合はこうやって画面越しになる。互いの顔の後ろに生活のかけらが見える。壁、窓、カーテン、うさぎのぬいぐるみ、ハンガーにかけられた濃紺のコート。それらにちょっと安心する。

こまごました近況の報告から始まり、数年前に今一生さんと中州で呑んだときのこと、そこから派生して田口ランディさんの著書に救われたこと、ラジオでふと耳にした小さいけれど大切なこと、この年末年始のこと。とりとめなく思いついたことをそれぞれが話題にしながら、あるいは慎重に言葉を選びながら、薄暗い喫茶店の片隅でちびちびとコーヒーをすするみたいにして時が流れた。

夜型の彼女から、最近、就寝時間を早めていることを耳にした。聞けば、夜九時過ぎ(!)には布団に入るようにしているらしい。
「ごめんね、今日は遅い時間に。リズム崩れちゃうよね。このZoomが切れる前に終わろうか?」
「ううん、いいんだよ。明日は午前中ゆっくりできるし。ユウちゃんさえよかったらもう一回つないで話したいよ」
ふだんより四、五時間も就寝時間をずれさせてしまうことに若干の罪悪感も感じながら、彼女の好意に甘えて回線をつなぐ。ふたりだけの静かで小さい夜。彼女の部屋は電球の寿命が近づいているのか、ときおり画面の明かりが揺らめいて見えた。「うん? なんて言った? 少し音声が不安定みたい」彼女はわたしに聞き返す。こちらのネット環境に由来するのか、わたしの音声がなめらかに届かないらしい。互いが、大きな支障はないけれど少しの不具合を抱えている、ということが、なんだかよりリアルだった。

マグカップを片手に、この頃ね、と彼女は切り出した。
「この頃気をつけていることがあってね。『積読』を五冊までにするって決めてるの」
「そうなんだ。どうして?」
「読み過ぎると止まらなくなっちゃうから。時間が過ぎてしまうってだけじゃなくて、楽しい、知りたい、読みたい、って思って読んでも、そのあとどっと疲れちゃうことがあるから。体もこころも」
「それはわかる気がするよ。単純に睡眠不足になるというだけの話ではない、ってことでしょ?」
「そう」
うんうんと首を縦にふりながら言う。
「ユウちゃんは眠れてる? 睡眠で休めてる?」
突然、彼女はわたしに問うた。
「どうかなあ。以前よりは早く入眠できるようになったし、深刻な睡眠障害という感じではないかな。みたくない夢をみることはあって、そういう日は起きたら体がすごく痛い。金縛りって遭ったことないけど、こんな感じなのかなあと思うときあるよ」
「そうかあ、その気持ちはわかるよ。眠ったのに疲れていることあるよね。わたしも起きてすぐ頭痛がひどいときある。
起きているあいだずっと考えごとが止められなくて、休もうと思うのに頭が休まらなくて、気づいたら体に余計な力が入っている。本を読みすぎると特にその傾向が強くなる気がするんだ。読んでいるあいだだけにとどまらなくて、そのあとも余韻が続くんだよね。あれこれ波紋が広がるみたいに考えてしまう。
ずっと思ってたんだ。ユウちゃんもそうなんじゃないかなあって」
「うん、そうかもしれないな」
わたしは短く答えた。うんうん、すごくわかる、とってもよく気持ちがわかるよ。そんなふうに答えてもよかったのだけど、安易な共感は、もしかしたらいまの彼女からは求められていないような気がしてやめた。

少しの時間、沈黙が流れた。気づまりな感じはない。画面をぼんやり眺めながら、わたしはあるエピソードを思い出していた。
「あるひとがお話ししてくれたんだけどね」
わたしは言った。
「わたしたちは、自分を守るための兵隊さんをたくさん従えていてね。もし敵が近づいてきたら、その兵隊さんたちはわたしのまわりを取り囲むようにして守ってくれるの。わたしを危険にさらさないように、ってトコトコ動いて。
兵隊さんは真面目でがんばり屋だから、一生懸命働いてくれるんだよね。のろのろ歩いたりしない、いつもトコトコトコトコ小走りしてるイメージ。
それに加えて、学習能力がとても高い。これまでの経験をフルに活かして、似たような状況や相手に出会うとすぐに動き出す。ものすごく性能の高い金属探知機みたいなものを持っていて、わずかな刺激に敏感なの。用意周到、常備不懈、勤勉そのもの。わたしが『いまは大丈夫だよ、もうゆっくりしてていいよ』って声をかけても、『いやいや、いつなんどき危険に遭遇するかわかりませんから! 油断は大敵です!』って臨戦態勢を崩さない。

働き者の兵隊さんのおかげで、わたしたちは危険を察知することができて、逃げるとか戦うとか、見えないふりをするとか本当に聞こえなくさせるとか、覚えていられなくするとか全然違うことばかりを考えるとか、けがをしても痛みを感じないとかずっと笑顔でいられるとか、そういうことができてきた。だからこれまで大きな危険から身を守ることができたんだけど、特に危険のない平時でも、兵隊さんはずっと金属探知機を持ってトコトコ動いてくれてしまう。休んでいいよ、って言ってるのに。いまは金属探知機持たなくていいよ、って言ってるのに。
ねえ、そんな感じかな?」
話し終わると、彼女は深く頷いてくれた。そう、まさにそんな感じだよ。話してくれてありがとう。画面越しに、少しだけかもしれないけれど表情がゆるんで見えた。遠くにいるけど、ふたりで互いの呼吸をほどいているみたいだった。

「あ、『1分未満』になっちゃった」
「暖かくしてゆっくり眠れるといいね。遅くまでありがとう。年内にまた話せるかな」
「ね、話したいね。でも年内が無理でもまたいつか話せるよ。きっと」
「そうだね、そうしよう。また庵道珈琲行きたいなあ」
「ほんとだね。一緒に歩きたいね。わたしもそっちで行ってみたいところあるよ」
「うん、もし来られそうだったら声かけて。ああ、いい時間だったなあ。ぐっすり眠ろうね」
「うん、おやすみユウちゃん。名残惜しいけど、また時間つ」
ぱつん。
四十分が経った。

わたしの兵隊さんたち、一緒に毛布に入れてあげるから、どうか眠って。探知機はしばらくどこかに置いておこう。

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