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ケニア人夫とわたし

最近は外国人と結婚する人も多く、そんなに珍しいことではなくなったと思う。最近、ケニア人もよく見かける。

私がケニア人の夫と出会ったのは、初めて私がケニアへ行った時。お互い大学生だったし、初めて会った時、付き合うことすら考えてもなかった。

でも、色んなことがあって最終的には夫婦になってしまっている不思議。

ここでは今の夫との結婚生活を通して、誰かの役に立てるような情報とかを、主に発信していく場にしようと思っています。

今回は夫と出会うきっかけとなったことや馴れ初めがどんな経緯だったのか、ちょっと恥ずかしいけど紹介しようと思います。

まず私は大阪の田舎出身で大学に入るまで全く外国に興味もなかったし、英語も学校の勉強すらまともにしてなかった。そんな私は大学受験で失敗し、唯一受け入れてもらえる大学がとんでもない英語学部で、毎日英語漬けの日々を送ることになった。

そこは小さな女子大で、講義の大半は英語。入学したてで、英語初心者とか関係なく、わからないなら「わからない」を英語で言おうスタンスの講義だった。宿題は高校の頃より多く、宿題の内容を友達と確認してから帰らねば、間違ってしてくると、次の講義でまた内容がちんぷんかんぷんというなんとも恐ろしい学校であった(私のような人間には)。

そんな大学で、4年間みっちり英語で何かを学ぶことで、ある程度英語ができるようになったのは今でもよかったと胸を張れる。

そもそも英語を学ぶ大学に行って、なぜケニアに行くきっかけができたのか。

それは、大学に東アフリカの言語であるスワヒリ語の授業があった。入学当時の私はなぜか、第二言語を今まで聞いたことのないような言語にしようと思い、スワヒリ語に決めた。幸運にも(?)入学後は、東アフリカにどっぷり浸かる大学生活を送ることとなる。

入学して英語がままならない時にスワヒリ語も同時スタートしたけれど、まずスワヒリ語のテキストを受け取って1番びっくりしたのが、日本語でなく、英語で記述されたテキストであったことだ。英語の講義でさえも必死だった私は、どこまで恐ろしい学校なんだ…と先行きがとても不安になった。

教授曰く、良いスワヒリ語のテキストが日本語だと無いので、英語のものを起用したとのことだった。

スワヒリ語の単語を索引で引くと英語で意味が書かれている…それをまた日本語に訳して理解をする…こんなことを私は気合でやってのけた。

ただそもそもスワヒリ語を取る生徒数が少なかったため、わりとゆっくり目に講義を進めてくれたことと、教授が現地に研究で渡航するたびにお土産をくれたり、言語の勉強だけでなく、東アフリカの経済、文化など多岐にわたる面白いトピックを提供してくれたことは、厳しい英語漬けの日々の中でも唯一楽しい講義として自然と頑張れた。

ある日、そんな頑張っていた私に、教授からスワヒリ語留学に興味があれば…と、タンザニアの大学を紹介してもらった。正直行く気は満々だったけど、インドでのインターンシップを終えたばかりだった私は、自力での費用捻出が厳しかったため、断念せざるを得なかった。しかし、教授はそれなら他にも…と紹介してくれたのが、学生団体の「日本ケニア学生会議」で、これによって私は今の夫と出会うことになる。

この日本ケニア学生会議とは何か。

簡単に言えば、日本の大学生とケニアの大学生が一緒に互いの国のことを勉強をする団体で、私はお互いの国の貿易関係に関して勉強するグループになり、そこで夫と一緒だったので、仲良くなった。

8月に一年に一度の「本会議」を開催し、両国の学生が日本かケニアに集合し、約1ヶ月間ともにフィールドワークをしたり、最後にはシンポジウムを開催したりする。

私はこの本会議で、他の日本人メンバーと共にケニアに渡航し、初めてナイロビの空港でケニア人メンバー全員会った。この時人生で初めて、アフリカ大陸に足を踏み入れた興奮と、初めてケニア人達に会った感動でフライトの疲れなどぶっ飛んだのを覚えている。
それと、夫は他の日本人メンバーとは握手で挨拶したのに、私にだけハグしてくれたことを鮮明に覚えている。(本人に聞いたら、全く覚えていない笑)

彼はとてもフレンドリーで、よく話かけてくれたが、とっても早口な上にケニア人独特のアクセントの英語は慣れておらず、とても聞き取りづらかった。
インドのインターンシップでもそうだったけど、正直まだそんなに英語が達者でなかった私には、訛りの強い英語での会話は大変だった。

ただ、そんなケニア渡航はとても学びの多い機会を与えてくれ、私の学生生活の中で1番面白い経験となり、ケニアを去る頃には泣けるほど(実際泣いた)帰りたく無いという気持ちでいっぱいだった。

帰国後、しばらくして彼と連絡を取る頻度は減った。私は他に恋人が居たし、彼にもケニアに恋人が居た。

でも、卒業論文をケニアに関するテーマに決めたため、現地視察も兼ねて、日本ケニア学生会議のメンバーを頼って、再び一人でケニアに行くことにした。

その時に今の夫と他のメンバーが私のケニア滞在を手伝ってくれ、問題なくNGOの方ともお会いすることができたし、スラム視察もさせてもらえた。

この時の私の滞在は、1ヶ月ほどで帰国前に夫から、私の帰国後の1週間後くらいから、大阪の大学に交換留学をすることになっていると聞いた。

とてもびっくりしたけど、今回のケニア滞在で彼のおうちにも遊びに行かせてもらったり、ご両親の田舎に連れて行ってもらったりと、とてもお世話になっていたので、大阪に滞在するなら、私も何か手伝えることがあればいつでも連絡して!と前回の帰国時の寂しさとは違い、楽しみが1つ増えて帰国することになった。

帰国後、ケニアでの経験を親に話して、ケニア人の友達が大阪に留学くるらしいと話すと「是非、うちに!」と言ってくれたので招待することにした。

英語は全くできないし、外国人と接することが全くなかったうちの両親だったけど、意外オープンな感じで、びっくりした。間近で黒人を見たことがないから、是非会いたいと興味津々だった。

いざ、夫がうちに初めて来た日、私の家族全員が、テレビで見るアメリカ系の黒人よりも、もっともっと黒い!と驚いていた。

※もちろん個々人によるが、民族的に肌の色がわりと濃いという事例が多く、夫は親の民族が結構黒い方だからとのこと。

私の母は彼の掌を見て、「手の甲と掌で色ちゃうやん!」ってすごく驚いていた。

この招待した日のことがきっかけで、私の家族は夫のことをとても気に入り、その後も時々うちに遊びに来ることがあった。

彼も留学以前から私と知り合いということもあってか、私に気軽に手伝ってほしいことなどの連絡をしてきた。

例えば、年中あったかい国から来た彼は、1月に来日したけど、まさかごつめのセーターとか、ダウンジャケットなど持っているわけがないので、慌てて冬物一式、ダウンジャケットやらを買いに行くのを手伝ったりした。

そうこうしているうちに、彼がケニア人の彼女と別れることになり、私も彼氏と別れており、今の夫とはいつも気を使わなくて楽だなと思うようになり、頻繁に会っていた。
付き合うことも少しずつ意識し始めた。

最初が完全に友達からだったのもあって正直、信頼しやすかったのはある。お互いのダメなところも見てたし、恥ずかしいことも笑い話でできたりした。

でもやっぱり、英語がネイティブじゃない自分に彼のことを本当に理解できているのかもどこかで自信がなかった。

以前に付き合っていた人も外国人だったけど、遠距離になってしばらくすると、お互いの気持ちがよくわからなくなった。私がネイティブじゃないからなのか、その他に原因があったのかそれすらも正直よくわからないけど、ニュアンスを汲み取るのが難しかった。
日本人同士なら、お世辞を言っていたり、建前を言われている時とか、隠し事されている時の表情とか言葉遣いって、なんとなく察したり、感じたりするけれど、英語になるとそういうのがよくわからなくて、ただ素直に相手を信じればいいと思うけど、何か少しでもモヤモヤするものがあると、疑う気持ちばかりが膨らんでしまう。
そのことに疲れた。

その経験があってか、夫から付き合って欲しいと言ってもらえた時に、隠し事されてもわからないんじゃないか、文化の違いでとかで、どうしても理解できないことがあるんじゃないか、
どこかで騙されてないかな?日本留学するくらいだし、私が日本人だから?とか、色々考えてしまって、なかなか彼女になる勇気がなかった。

私もプライドが高くて、ただ外国人の彼氏が欲しかったとも思われたくなかったし、すぐ別れるくらいなら、彼とは一生友達関係のままで居たいと思っていた。

でも彼がびっくりするくらい私に信頼してもらえるように、色々頑張ってくれていたので、数ヶ月後には、私もうだうだ考えるより、思いきってみようと思えた。

ただ留学は一年間だけだったので、付き合う決心をした頃は、彼の帰国間近だった。
彼の帰る時、私は一緒にケニアに遊びに行くことにした。

お互い一緒にいるのがほんとに楽しくて、びっくりするくらいのめり込んだ。若いから勢いと言えば、そんな気もする。

ただ私がケニアから日本へ帰国した後もこまめに毎日連絡をくれたり、時差が6時間あって、結構合わせるのが難しかったにも関わらず、私の仕事の終わる時間に合わせて、テレビ電話をするためにほぼ毎日待ってくれたりと、ほんとに
今でもすごく感謝している。

そんな関係がしばらく続いていた中で、彼が私と結婚したいと言ってくれた。私は嬉しくて舞い上がったけど、正直、全然結婚の準備なんてしていなかったし、大丈夫かなという不安の気持ちが強かった。

彼にどっちで住むのか聞いてみたら、できればケニアがいいけど、私と一緒ならどこでもいいと言ってくれた。

私の親に、挨拶を正式にしてくれた時、全く英語が話せなかった私の親に対して、彼は自らの意思を全部日本語で話してくれた。
普段、私とは日本語で話してくれないし、すごくびっくりしたけど、この上なく嬉しかった。

私の母は、彼の誠意はとても見えたけれど、私がケニアに住むのはちょっと…と快諾してくれなかったので、それだったら夫が日本に来るということで、私の両親から無事了承を得られた。

夫側の両親は薄々気づいていたみたいで、ただ私もきちんと直接結婚したいと挨拶をしたかったので、ケニアに私1人だけれど行って、彼の両親に彼と共に正式に挨拶をした。

本来ならば、両家顔合わせとかできれば、とても理想ではあったけれど、お互い若く、貯金など、とにかく余裕が無かったので、結婚式もしていない。
なんなら夫はこの時、まだ大学生だった。彼の親は結婚自体は反対しないけど、大学を卒業してからにしなさいとは言われて、私もその方がいいと言っていたが、彼は聞かなかった。笑

それでも今はとても幸せだし、夫と結婚できて、本当によかった。

ちょっと長くなったけど、こんな感じで夫と出会って、結婚してから色々な壁にもぶち当たって、決して楽な道のりではなかったけど、もうすぐ子どもにも恵まれる予定です。

計画性のない私たち2人なので、苦労は必然だったかもしれないけど、周りに支えられて、家族にも甘えて、2人一緒になんとかここまでやってこれたこと、本当に奇跡だと思う。

楽しいことだけではなく、経験したことなど今後紹介するので同じような境遇の方にとって役に立てばと思っています!

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