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無事出産という奇跡

2019年12月12日、私たちのところに無事に女の子が誕生してくれた。産声が聞けた時、夫とともにこれ以上ないくらい泣いた。

この子が生まれてくるまで、毎日無事に生まれてきてくれることをずっとずっと祈ってた。
臨月に入ると、過去の経験から、毎朝の胎動確認には特に緊張していた。

私たちは、約2年前に一度死産を経験した。
元々私たちは子どもができないかもしれないと言われていたこともあり、もう子どもができないかもしれないと絶望した。

もう出産予定日まで、カウントダウンさえし始めていた1週間前だった。
いつも通り始まった朝、体を起こしてみたけど、いつもみたいにぐるっと動くような胎動が感じられなかった。たまに胎動を感じるまでに時間がかかることもあったし、ネット上では、臨月に胎動の頻度が減るなど、私を安心させてくれる情報がいっぱいあった。
でもその日は、なんだかお腹の中に大きな岩を抱えているような、下に重心がかかっている感覚で、やっぱりおかしいと思った。
ネットの情報に翻弄され、おかしいと思いつつも、約2時間程も胎動を待ってしまった。

でも、動いてくれない。

そこでやっとこれは異常だという確信に変わり、病院に電話をすると、すぐに来るよう言われ慌てて病院へ行った。

夫に電話してもつながらない、メッセージを送っても返ってこない。
行き道も、全く胎動が感じられず、不安で押しつぶされ今にも泣き叫びたかった。

病院に着いてすぐに内診室に呼ばれ、エコーで確認をしてもらった。先生が確認するあいだ中、心の中で「ただの勘違いだ」と言われることを祈った。
でも、先生の口から言われる前に、エコーから自分でわかってしまった。

心臓の音が聞こえない。

どうか先生がその言葉を口にしないでほしいと祈ったけど、無情にも「心臓が止まってしまっている」と伝えられてしまった。

内診室から隣の部屋へ移るように言われた時、足が震えてた。どうやって移動したかも覚えていない。
でも、内診室を出て隣の部屋へ移動する最中、待合室で診察を待つ人たちの前を通らなくてはいけない。
近い将来、赤ちゃんを無事出産する予定の幸せそうな人たちの前で泣き崩れてはいけない、泣きたくないと思い、ただただ泣くのを必死でこらえていた事だけは覚えている。

隣の部屋へ入った瞬間、もう一度先生から「赤ちゃん、心臓が止まってしまった。」と伝えられた。「原因はまだわからないけど、今日から入院してもらって、早いうちに身体の外に出してあげないと、お母さんの命にも関わる。」と言われた。でも、正直もう自分の命なんてどうにでもなれと思った。
他にも大事なことや入院に関することなど、色々と言っていたかもしれないけど、その時の私はそれだけ聞くのにいっぱいいっぱいだった。

夫がやっと病院に駆けつけてくれた。
仕事の後、職場の友達とそのまま遊んでいた夫が朝方になっても、家にはいなかった。それに少し腹を立てていたのに、彼の顔を見たらもう耐えられなかった。

2人で先生の前で泣き崩れてしまった。

こんなに長い間、9ヶ月間毎日当たり前のように胎動を感じていたし、もう1週間後には私のお腹から出てきて、対面してこれからずっと一緒に居れると思ってたのに、手放さないといけない。それなら、正直この子と一緒に死にたいとさえ思った。

なんで胎動が確認できなかった時点で、すぐに病院に来なかったんだろうと、すごく後悔したけど、後悔したところで現実は何も変わらない。初めてこんなに時間が戻ってほしいと思った。

自分がこんなに悲しんでても、時間は進んでいて、いつの間にか病室のベッドの上にいて、助産師さん達によって分娩の準備が始まっていた。
言われるがままに、バルーンを入れて、麻酔の管を背中から入れた。痛みとこれからの恐怖で足が震えて歩けなくなり、車椅子で病室に運ばれていた。情けなかった。

促進剤を使い、無痛分娩での出産になった。

赤ちゃんが生まれて来た時、やっと会えたのに産声は聞けなくて、虚しかった。
でも、やっぱりずっと会いたかった我が子を見れた瞬間は「幸せ」を感じた。自分の腕で抱っこできて嬉しかった。赤ちゃんは泣いてないし、動いてないけど、死ぬほど愛おしくて、心臓がはち切れそうなくらい切なかった。

産後、同じ病室で赤ちゃんと夫と3人で、一晩一緒に過ごした。幸せと切なさが混じり合った夜だった。

退院当日、私の両親が用意してくれた小さな棺桶に、姉が買ってきてくれたカラフルな可愛いお花たちと一緒に入っている私たちの赤ちゃん。
黄色いお花がよく似合う可愛い可愛い我が子。
私は、この子に何をしてしまったのだろう。と何度も何度も、ここ数日間の自分の行動を振り返った。でも、わからなかった。

退院後、火葬場へ直接移動し、我が子を見送らねばならなかった。自分の大切な大切な赤ちゃんが、中へ入っていくのを見ている時、息ができなかった。

お骨を拾い上げている自分。
手は震え、視界は涙でボヤボヤになってしまい、愛おしい我が子を最後の最後までちゃんと見守りたいのに、ちゃんと見えない。

気がつくと小さなピンクの遺骨入れを抱えて車に乗り、実家に向かっていた。私の頭は全くこれが現実だと認識しようとしない。どこかの誰か、他人としてこの死産の一連の出来事を眺めている感じがした。でも、自分の両手にその遺骨入れがある。

私の家族もきっとこんなことになるなんて、想像もしなかったと思う。
死産の原因を色々調べてみたものの、結局原因はわからなかった。もうできることは残されておらず、ただ受け入れるだけだった。

胎児・新生児の突然死は、悲しい辛い話なだけに皆あまり話さないこともあって、知られていないケースが多いらしい。
数あるうちの1ケースが、偶然自分たちに起こっただけなのかもしれない。

妊娠中、正直苦しいことだらけだったけど、ずっとこの子に会うためだけに耐えて耐え続けて頑張ってきた。それなのに、こんなことになるなんて立ち直られへんって、すごく悲観的になっていた。でも、この現実を責める矛先がなくて、ただただ受け入れるしかなかった。

悲劇のヒロインになっている自分が本当に嫌だった。辛いのは私だけじゃないってわかってるけど、でも、辛い時に物事を客観的に考えられるほど自分は強くない。

毎日どうやってコントロールしようか悩んだ。

友達とも会いたくなかったけど、きっと心配してるから、ちゃんと笑っていよう。
どこも行きたくないけど、お金は必要。だからまた働き始めて、ただひたすらに仕事と家の往復をした。
そしたら、気が紛れるかもしれない。

確かに、職場で気分は紛れた。

でも、家に着くと気持ち的な疲労がどっと押し寄せてくる。疲れてるのに寝れなかった。
でも、絶対に悲劇のヒロインぶってるなんて思われたくなかったから、人生で1番頑張った。

赤ちゃんを失った後、どんどん色々な記憶と気持ちが溢れてきて、本当に辛くて辛くてしんどかった。
流産や死産とかも含めて、子どもを亡くす痛みは、心を切り刻まれるっていう表現がまさにそうだと思う。私の場合は、たった9ヶ月だったけど、何年か一緒に過ごした子どもをなくした親はどうだろうか。想像しただけで、苦しくなる。

私は、数ヶ月後には精神的にまいってしまい、体調が悪くなってしまったので、精神を安定させる薬を飲むことになった。

無痛の誘発分娩をしたせいで、母乳が出ている状態だった。先生から、母乳を止める薬をもらっていたのに、すぐ飲まなかった。

飲めなかった。

飲んで、母乳を止めることで、今回の妊娠出産が無かったようになるんじゃないかと思って、出来なかった。

でも、いつからか忘れたけど、ずっとこんな情けない自分で居たら、生まれてきてくれた赤ちゃんがかわいそうだとさえ思えてきた。
ずっとこんなんじゃ、やっぱり母親になられへんかったやんって、まるで肯定してるみたいな気もした。

人生は自分がヒロイン。
でも、世の中にとって私は、たった一部にしかすぎない。
きっと死産の直後は、周りの人たちも心配してくれるけど、数ヶ月も経つと、皆にとって私の死産は、すでに遠い過去の一部になっている。

経験した人にしか、その気持ちがわからないけど、気持ちがわかっても、立ち直るのは本人次第だと感じた。

人生は思い通りにいかない。

「自分が何か悪いことをしたから、悪いことが自分に返ってくる」と、以前はそう考えていたけど、そんなこと信じていたら、病気になって苦しんで亡くなる人たちは、いったいどれだけの罪を犯したというのか。
私たちの赤ちゃんも、死なないといけないような悪いことは何もしていない。
私は25年間生きてきたから、さすがに何も悪いことしていないとは言いきれない。もしかすると、何かしていたから死産を経験しなくてはいけなかったのか。

でも、そんな風に考えると、余計に気が滅入るし、世の中はそんなに平等ではないと感じている。ラッキーな人はラッキーだし、ついていない人はついていない。

そう開き直れた時があった。いつからそう思えるようになったのかは、あまり覚えていない。でも、精神安定の薬を全部飲みきったからではないし、なんならアホくさく感じてきて途中で薬を飲むのをやめた。

私は、赤ちゃんを忘れないし、ずっと大切に思っている。だから、愛しているこの子のためにも、母親として自信を持って生きたいと思った。
この子がいない今、生きている意味がないと思っていたけど、ちょっとくらい楽しいこと経験してから死にたいと思うようになった。

そう頑張っていたら、2人目の赤ちゃんが私たちのもとにやってきてくれた。
前回39週での死産だったこともあり、担当医が38週の検診で母子ともに健康だから、今のうちに誘発分娩もできると選択肢をくれた。

私は誘発分娩で早めの出産を決意した。

「元気な赤ちゃんと会える」
そう思えるだけで、嬉しくてわくわくした。

陣痛が始まって、12時間後に無事出産を終えた。陣痛の最中は、もう無理かもって何回も思うたびに、これが終われば元気な赤ちゃんに会えると、何度も自分を励ました。

産声を聞けた瞬間、嬉しくて泣いていた。赤ちゃんが生きていることが奇跡にさえ感じれた。自分の胸の上で動いている。呼吸をしている。全てが愛おしかった。

病室でおっぱいをあげて、腕の中で寝落ちする赤ちゃんが愛おしい。寝ている赤ちゃんを抱っこする夫の姿は、私が求めていた幸せの図だった。もうこれだけで十分。

無事の出産しか経験されていない人にとっては、無事出産が当たり前だし、それはとても素晴らしいこと。ただ私みたいな経験をする人たちもいることを知ってもらえれば、いいなと思ったのと、世の中の流産や死産を経験した人たちにも、悲観的になりすぎないでほしいと思い、今回は泣きながらも、この記事を書くことにした。まだまだ思いだすと辛いし、あの子が生きていたら…と思い、泣くこともある。

どんなに毎日ギャン泣きされて、寝不足でイライラしても、生きてくれていることを思うと可愛くて仕方がない。母親になるって大変だな
〜と思いつつも、この特権を思う存分堪能したい。

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