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カワイ・レナードについて

彼が自らの去就1つでNBA全体を震撼させたのは2019年のオフシーズンのことだった。自身の出身地であるロサンゼルスへの移籍を希望していた彼が、本当にLAに行くのか、それとも優勝チームのラプターズへ残留するのかが取り沙汰された。
周知のように彼はLAへ移籍したのだが、同じLAでもレイカーズではなく、クリッパーズの方を選んだところに彼の矜持が感じられた。自身の移籍とともにポール・ジョージの移籍を条件にして臨んだ移籍であった。
このニュースが流れた後、その当時行われていたサマーリーグでのNBA実況も解説も共に驚いたと第一声で語った。そして各チームの選手たちも皆一様に驚きを示し、当事者でもあるポール・ジョージをすら驚かせたのである。

誰もカワイの本性を見抜けなかった。

思えば、彼のこの本性はスパーズ時代に垣間見えていたのかも知れない。

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スパーズとの不和の直接的な原因である彼自身の怪我に関してのチームとの意見の相違。それに連なって起こったヘッドコーチや一部選手も含めたレナードとの確執。

2017-2018シーズン初めから足の怪我の為に欠場していた彼が戦線に復帰したのは12月の事であった。その後、再び不調を訴えて欠場し、以後、彼がチームに戻って来ることはなかった。そのシーズンの出場は僅か9試合だった。

あの当時、何度となく「レナード近日復帰」というニュースが流れながら、その後、一度も復帰しなかったのは怪我の状況もさることながら、彼の心境に大きな変化があったからに違いない。エースとしてチームとファンの期待を一身に背負ってはいたが、彼はまだ若手の内の一人であった。当時スパーズで最も古株のトニー・パーカーの批判的な発言も、あくまでもチームのメンターとして若きエースに教え諭そうという下心があった筈であり、ポポビッチHCの反語的発言もポポさんらしい言葉だったと思う。

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それは必ずしもカワイに対する批判だけでは無かった。だが恐らく、彼にはそんな批判はどうでもいいものであっただろう。少なくとも怪我に関する事では自分の感覚を絶対的に信じようと決めたカワイを理解してくれるならば、そんなうわついた皮肉も、自分の時はこうだった、などという的外れな批判も出て来なかった筈なのである。その点、スパーズという無類の結束力を誇るチーム力と、選手をファミリーと呼ぶほどの信頼関係が逆に裏目に出てしまった。

なぜ、あの時その信頼関係と結束力をカワイを守る為に発揮出来なかったのか。

カワイ・レナードという選手はシビアではあるが、決して繊細な人ではない。この移籍を見ても分かるようにむしろ大胆である。そして彼が独善も怠慢も知らないスター選手であるのは彼のこれまでの活躍を見れば明らかである。オフェンスとディフェンスの双方でオールラウンドにコートを動き、チームの勝利の為に邁進するこのプレイスタイルは既にスパーズ時代に培われていた。

1巡目15位でNBA入り後間もなくスパーズに加入、当初はディフェンス力とリバウンド力を主に買われていた選手だったのだが、次第にフィジカルの強さを活かしたオフェンスのオプションとしても存在感を放ち始めていた。レナードは明らかに次世代のスパーズを担う存在としてチームに育てられていた。2年目に現役最強選手のレブロンを筆頭に、ウェイド、ボッシュのビッグ3を擁するマイアミ・ヒートとファイナルで対決するのだが、両者譲らぬ大激戦のあげくスパーズは悔しい敗戦を喫する事になる。そして同一カードとなった翌年のファイナルでスパーズはリベンジを果たし、ヒートのスリーピート(3連覇)を阻止するのである。レブロンとのマッチアップも見事にこなし、攻守において活躍したレナードはファイナルMVPを受賞、この時、NBA3年目の22歳。ファイナルという大舞台で現役最強のレブロン相手に一歩も引けを取らなかった男がここに開眼した。
スパーズに若きエースが誕生した瞬間である。
翌シーズン以降は完全にレナード中心のチーム作りにシフトし、レナード自身もその期待に大いに応えた。スタッツは軒並み上昇し、ディフェンスはさらに磨きがかかった。スティール王になりオールディフェンシブ1stチームに選ばれたのはちょうどこの頃である。
攻守においてスパーズの中心になった彼はポポビッチHCからも絶対的な信頼を得てアイソレーションもかなり自由にプレイさせてもらうようになる。スパーズでポポビッチHCの信頼を掴めば、他には何も要らない。あとはチームとの連携、自分自身の技術精度を上げることに励めばいい。普通ならそう考える筈だった。だが、彼は違った。エースとしてある程度自由にプレイさせてもらうようになってから3ptシュートも積極的に打つようになっていた。NBAでは今でこそ3ptを多用するチームが主流となっているが、その頃はまだ3pt戦略に懐疑的な見方もあった。データ的には3ptは最も効率の良いシュートであるが、戦略として実践するには、あくまでも高確率で決められる事が必要だからだ。そして、スパーズというチームの特性は高確率の2ptを多用し、3ptを重視していない。だからこそレナードのオフェンスの役割はドライブやポストプレイやカットインが主であるのだが、彼はあえてチームの戦略の幅を広げる方向に舵を切った。それがポポビッチHCの指示なのかチームの新戦略なのかは判らないが、少なくとも、今もってスパーズの3pt試投数はリーグ1少ないのである。そのかわり3pt成功率は高い。だが、これはスパーズ元来のより良いシュートを狙うシュートセレクションの結果である。やはり、レナードに打たせるようにしたと言うよりも、レナードに自由を与えた結果、彼自身、もともと自信のあった3ptも打つようになったというのが真相のような気がする。そして、レナードは高確率で3ptも決めるようになって、スパーズのエースからNBAを代表するオールラウンダーへと変貌する。

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そして、ティム・ダンカンの引退と同時にスパーズは完全にレナードのチームになる。ここまではチームの経営陣が目論んでいた通りの流れであった。レナード自身もその目論見に乗り、ダンカン引退後のチームでの優勝を狙っていた筈だ。あのゴタゴタがあるまでは。

実際のところ、どういうやり取りがあったのか詳細は分からない。レナードにもチームにもそれぞれに言い分はあっただろう。
彼を全面的に支持する訳ではないが、NBAに入ってから年々成長し、そのプレイスタイルをあそこまで築き上げ磨き上げるのは並大抵の事ではなかった筈だ。その彼を間近で見てきた筈のチームが、あんな素気無い反応しか出来なかったのは今思えば悲しい事だ。
結果的に彼一人が悪者になってしまったのは仕方のない事とはいえ、チームのやり方次第ではファンにも受け入れられる移籍も有り得たと思うのである。

いずれにしても、スパーズとの確執は彼をより強くした。チームとのやり取りは、恃むべきものは己一人と彼が確信するには十分過ぎるものだったに違いない。ポポビッチHCや全てのチームメイトと仲違いした訳ではないが、彼にはチームを去るのに十分な理由があった。
笑顔を見せぬ寡黙な男は、物静かで従順な選手と見られていたかも知れぬ。スパーズというチームにピッタリとハマる1つの駒のように考えられていたかも知れぬ。だが、彼には内に燃え上がる飽くなき向上心があり、チャンピオンリングへの貪欲なまでの野心を持っていた。


スパーズが優勝した2014年以降、NBAファイナルは4年連続ウォリアーズとキャブズの対決となり、レブロン率いるキャブズと、カリーを中心としたウォリアーズにKDを加えたスーパーチーム同士が大激戦を繰り広げたのである。
2014-2015シーズン以降、名実共にエースとなったレナードは、クリーブランドで起こったレブロン劇場と、KDの移籍によって火蓋を切った最強チーム対決を、悔しい思いをして眺めていたに違いないのだ。
事の発端となった怪我でのリハビリ休養中、彼の胸に去来していたのは、レブロンとKDの間に割って入れた筈の自分自身の姿だったに違いない。

スパーズの優れたチーム力、そのチームをファミリーと呼ぶポポビッチHCの絶対的な存在は、レナードのようなNBAを代表するような豪傑を置いておくにはちとその結束力が強過ぎた。スパーズの許容範囲が狭かったというより、それだけレナードの存在が大きくなり過ぎたという事であろう。
もちろん、レナードにも非があった部分はあるだろう。チームが素気無い対応をせざるを得なかった事情があったのかも知れぬ。見ようによっては彼が我儘を通しているだけの様にも見えた。その他にもレナードの叔父の入れ知恵があったとか、色々と取り沙汰されたが、そもそもあのトレードの本質はそこには無かった。
あのトレードは仲違いの果てに起きた出来事ではあるが、仲違いの起きる前、つまり怪我をする前から、レナードの野望はすでに大きく燃え上がっていたのである。

常勝軍団スパーズの黄金期はレナードの離脱と共に終わりを告げた

ポポビッチHCのもとスパーズが常勝軍団に成り得たのは史上最高のパワーフォワードと言われるティム・ダンカンの存在、一名ビッグ・ファンダメンタル(fundamental=基本的であるさま)と呼ばれるこの選手がいた事が非常に大きい。

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次いで加入したマヌ・ジノビリとトニー・パーカーとでビッグ3と呼ばれる事になるのだが

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このフランチャイズプレーヤーの3人は、ビッグ3と呼ぶには余りにも地味であり、彼らの起こすケミストリーは化学反応と呼ぶほどの派手さもない。辛うじてジノビリだけはファンタジスタと言える選手だが、彼のプレイスタイルは華やかさを目的としたファンタジスタ精神から来るものでなく、ワンプレイの中でゴールに繋げる為の、そしてチームの勝利の為のファンタスティックなプレイなのである。そのプレイスタイルとは裏腹にチーム第一の考え方を実践する地道な選手である。彼ほどの勝負強さと派手さを持ちながら、シックスマンに甘んじていた選手を他に知らない。

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話を元に戻そう。世界最高峰バスケNBAの中において、つまらない、退屈、と言われるスパーズバスケの象徴的存在、ティム・ダンカンには派手なプレイは一切無い。ビッグ・ファンダメンタルの異名の通り、基本のプレイで相手を常に圧倒する。これはド派手にやられるよりダメージの蓄積が深いように思う。ちょうどボクシングのボディーブローのようなものだろうか、スパーズのバスケはチームとしてそれをやっているのだ。だからこそ20年以上レギュラーシーズン50勝以上を続け、常にプレイオフ進出を果たしてきたのである。ポポビッチHCとティム・ダンカン、この二人がほぼ同時期にスパーズに加入したという事が常勝軍団成立の大きな原動力となっていたのは間違いない。そして、そのスパーズバスケの血脈は今もカワイ・レナードに流れている。だがしかし、彼の場合はダンカンとは大きく異なっていた。

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レナードがダンカンから様々な事を教わり、そのプレイスタイルから多くを引き継ぎながら、ついにチームと袂を分かたなければならなかったのは、現在のNBAのチーム形成の流れが、当たり前のようにビッグ3やスーパーデュオを軸にオールスターメンバーで固めるようになり、フランチャイズプレーヤーというものの価値が大きく変わりつつあるからだ。もっとも、それは選手たちの概念の変化であり、チームやファンの概念の変化ではないと思いたい。ともあれ、レナードの野心に火を灯したのは怪我でもチームとの不和でもなく、レブロンが始め、KDが拍車をかけたオールスターチーム形成の流れだ。4年連続同一カードでファイナルが行われたという事は、他のチームと選手にとって何よりも屈辱的な事だった筈だ。レナードがラプターズ移籍1年目で見事に優勝へ導き、ウォリアーズのスリーピートも阻止するという快挙を成し遂げたのは、彼が前年までの鬱憤を爆発させたからであり、ウォリアーズに怪我人が続出したという事も影響していたにしろ、その偉業は紛れも無い事実である。

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今回のレナードのクリッパーズへの移籍は、当初から目指していた地元であるロサンゼルスというフランチャイズへ行くこと、更にチャンピオンリングを掴むための新たな動き出しである。昨シーズンは明らかに手を抜いたレブロンが、休養たっぷりで今シーズンは、今度こそ本気のオールスターチームで戻って来たのである。今季、各チームのスター選手たちがそれぞれにチャンピオンリングを狙う動きを見せる中、レナードはFAではないポール・ジョージ(PG13)に声をかけた。クリッパーズへはPG13のトレードが条件と言い、レイカーズへもアンソニー・デイビスの移籍発表の日時を指定するという事まで要求した。完全に自らが主導してこの移籍を仕掛けた。
彼はもはや盤面のただの駒ではない。

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それにしてもポール・ジョージとは上手いところを突いたものだ。KDにも声をかけていたというがネッツへの移籍が進行していた事と、レナードの事をよく知らないという事情もあって実現せず、結果、ポール・ジョージに話を振ったのだという。PG13もレナードと特に親しい間柄ではなく、KDと同じくレナードから話があった時は驚いたという。しかし、PG13にもかつてKDが抱いたような打倒レブロンの炎を心中に燃やし続けていた男である。ペイサーズ時代、プレイオフで常にレブロンに行く手を阻まれ、その都度、レブロンを窮地にも追い込んでいたポール・ジョージはOKCで雪辱を果たすべくビッグ3の一角を担いもした。ラスとの強力デュオに賭けてもみた。2018オフシーズンに彼がレイカーズへ行かなかったのは、ラスとの相性の良さもさることながら、LALにはレブロンが居たからOKCに残ったのだと思っている。彼の心中にも期するものはあったのである。

そして順調にシーズンを進めていた最中でのシーズン中断。
7月末に再開ということだが、このシーズンは後世に曰く付きで語られることだろう。
だが、置かれた状況は基本的にはどのチームも同じである。再開するシーズンに不参加を表明している選手もいて、その点で、各チームの状況は異なり、今後の進展によっては大きな変化もあるかも知れない。ただでさえ異常な状況が世界を襲っている中でのシーズン再開は、そのまま空前絶後の状況下でのプレイオフへと突き進む。これを乗り切ってチャンピオンになる事はいつも以上に難しい事だと考えることも出来るだろう。

今シーズンの結果が、後世に軽く語られるような事は決してあってはならない。


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