見出し画像

知らないを知る

社会人になって10年ほど経ち、良い頃合いの年齢に
差し掛かっているのですが、齢を重ねれば重なるほど、
「無知の知」について考える事が本当に多いです。

クイズ番組のような知識の事を言っている訳ではなく、
生きる知識としての幅広い教養が自分には不足しているな
という事を痛感させられる今日この頃です。

例えば、AIなどを扱う時に数学、統計学、python等が
必要になってくるのですが、私の場合、どれもこれも
浅い知識しか持っておらず、少し焦ったりする日々です。

ビジネスや仕事を始めると、実用に目が向きがち
だったりするのですが、教養については少し回り道に
見えるかもしれません。

しかしながら、教養の力は直接的ではなく、
考える事を考えたり、未知の内容に対して立ち向かう力を
与えてくれたりします。それは自分の人生の軸を作る事、
もしくは判断基準を得たりする事ができるので、
人が人として生きる為に欠かせない学問だったりします。

そして、各々の学問には専門家がいて、知れば知るほど
歴史と先行研究と向き合う事になり、終わりがありません。

つまり、どこまでいっても完全に知るなんて事はありません。

この教養の学問が与えてくれる示唆は非常に重要な事で、
「知らないを知る」事は謙虚さを与えてくれます。

謙虚さは、次なる学びや研究、実践に繋げてくれるので、
知的好奇心の基礎となる考え方だったりします。

そして、不足している、知らないという自己認識は、
向上心に繋がり、どこが足りていないのかを明確に
認識させる事から自分の目的に対する焦点が合ってきます。

30代を過ぎて、業務や社会に慣れてきたないし、
主体的に社会を構成している一員だからこそ、
改めて、「自分はどこに向かいたいのか」そして
「自分の使命はなんなのか」「自分は何ができるのか」
「自分は何を知らないのか」を棚卸する事が重要かなと。

これからの社会、人生を生きるには自分のコンパスが必要です。

自由に生きる為には自由に生きるための考え方が必要で、
その為に少し遠回りして知識や経験を貪欲に得るのが大事です。

今の自分は常に未来の自分から見ると不完全です。
だからこそ、一歩先の未来を1mmでも良くしていく事が、
大切なんだと思います。
今日も明日も「知らないを知る」ところから始めましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?