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創作童話『頭の悪かった蛇の話』(第五話・最終話)

第五話




 バチ、パチパチ……パチ、バチバチ……。

 視線のはるか遠くで、真っ赤な火の粉が踊っています。

 ――あの大きな家は、丸ごと、真っ赤に燃え上がっていました。
 女の子は庭の畑に座り込むと、燃えている家の炎を頼りに、包みの中のものを数えだしました。
 その包みは、蛇を助け出した時から背負っていたもので……中身は、重そうな木箱でした。

 実際、本当に重かったのでしょう。

 ……その木箱の中には、たくさんの小判が入っていました。
 女の子は、つまらなそうな顔で、一枚・二枚・三枚……とその場で数えています。
 女の子の視線がこちらに向かなくなったのを悲しく思って、蛇は女の子の足に絡みつきました。
 それでも、女の子は蛇を気にもとめず、黙々と小判を数えていました。
 小判を数え終わった後、ようやく女の子は蛇に目を向けました。

「あのおじいさん、そこそこ貯めてたみたいね」

 そして、ふふ、と優しく口角を上げてこちらに笑いかけます。

 蛇は、それだけでもうどうでもよくなってしまうのでした。

「他の子どもたちのご飯にね、薬を混ぜておいたのよ」

 木箱の蓋を閉め、布で包みなおしながら……女の子はどこか得意気に言いました。

「遅効性の眠り薬。調合は少し難しかったけど……まあ、楽しかったからいいわ」

 女の子は、包み直した木箱を抱きしめながら、……蛇の顔をじっと見つめました。
 その焦げ茶色の瞳はきれいに澄んでいて、蛇の姿を鏡のように映し出していました。

「蛇さん。あの子たちに変な同情はしなくていいのよ」

 遠くの家の炎が、女の子の顔を赤く照らします。
 赤や橙のまだら模様に染まる女の子の白い肌は、それはそれで美しいものでした。
 薄桃色の唇が、上へあがります。

「どのみち、わたしたちは売られていく子どもたちだったんだから。望まない道を無理やり歩ませるより、よっぽど良心的な行為なのよ、わたしがやっているのは」

 それから、ぽつぽつと、女の子はこの家にまつわることを語り出しました。


―――


 この家に住んでいた多くの子どもたちは、全員が何かしらの事情を抱えていたといいます。

 家の口減らしとして、捨てられた子。
 親を早くに亡くした子。
 そして、……親が犯罪者の子。

(ここで女の子は笑って、「わたしのお父さんはね、人を殺したのよ」と言いました。女の子の家は、有名な薬種問屋だったそうです。その店主であった父が、薬で人を殺したのだと、何でもないように女の子は説明しました。)

 そんな訳ありの子どもたちを積極的に受け入れていたのが、例のおじいさんなのでした。

「私には息子や娘がいなかった。……だからこそ、自然と共に生活しながら、多くの子どもたちと過ごしたいんだ」

 周囲にはそのように言って、おじいさんは山の麓に家を建てて子どもたちを積極的に引き受けていました。
 自分は元々金持ちの家の生まれで、お金には苦労していないのだと、周りにはそう説明していたといいます。

 しかし、それはまったくの嘘でした。

 おじいさんは金持ちの家の生まれでもなければ、子どもたちの為を考えているわけでもありませんでした。

 おじいさんは、「子どもを売る」ことを仕事にしていたのです。
 子どもには、商品としての価値と需要があったのです。
 男の子であれ女の子であれ、見目麗しい子であれば、その子を欲しがる人間は必ずどこかにいました。……世の中には、口にするのもおぞましい理由で子どもを必要とする人間もいるのです。

 おじいさんは、実に器用に動き回りました。

「実はね、君にぴったりのお家が見つかったよ。ここにいるより……きっと幸せになれるよ」

 そう上手に言いくるめて、子どもに不信感を抱かせずに依頼人に手渡してしまうのです。
 周囲の子どもたちは、「よかったね。素敵なお家が見つかったんだね」と笑うばかりで、事の重大さに気づきません。
 おじいさん以外の誰も、この家の秘密にはまったく気づけずに、一人また一人と……子どもたちはどんどん売り飛ばされていくのでした。

 そんな中、女の子はおじいさん以上に器用に立ち回ったのです。

 得意な薬草の調合をして、売ることができる薬をいくつかおじいさんに分けてあげました。
 自分の価値を上げて、売り飛ばされないように一生懸命に生きてきたのです。
 おじいさんの役に立てば、自分は売られないかもしれないと、そんな淡い希望を持っていたというのに……。

―――


「気づいたら、私は、どこかのハゲ野郎のいかがわしい店に入れられることが決まっていたの」

 ……女の子は、悲しそうに、ふう、とため息をつきました。

「とっさの行動だったの。わたし……他に選択肢がなかったのよ。あの人が蛇が苦手だって言っていたのを聞いたことがあって……」

 悩まし気に、女の子は眉をひそめました。
 色白い顔に苦しそうな表情が浮かび……それを見た瞬間、蛇の胸は締めつけられました。

「蛇さん、利用しちゃってごめんなさいね」

 女の子は、その場で頭を下げました。
 その素直な動作にどぎまぎしてしまい、蛇は赤い舌をしゅるしゅると閉まったり出したりしながら、女の子の近くをぐるぐると回っていました。
 気にしないで、自分が勝手にやったことだから、……と、蛇は口から細い息を吐きます。

 女の子は悪くない。女の子の為に、自分がやりたかっただけだから。
 そう思いながらも、……蛇は拭うことのできない違和感を感じていました。

 本当に、今回のことはとっさの行動だったのでしょうか?
 女の子は、蛇に長い期間をかけて塗り薬をすりこみました。……おじいさんがすぐ蛇に気づけたのも、塗り薬の強い匂いのおかげです。
 しかも、女の子は他の子どもたちを助けない理由がいまいちしっくりきません。連れ出そうと思えば、連れ出す機会はあったのに……なぜ、わざわざ薬で眠らせたのでしょうか?
 大体、女の子はどうやっておじいさんの仕事のことを知ったのでしょうか?
 おじいさんの仕事を知っていたとして、……どうして周囲の人間に助けを求めようとしなかったのでしょうか?
 薬の調合を好んでしていたのは、本当に、おじいさんに渡すためだったのでしょうか? それ以外にも、個人的な理由があった可能性はないでしょうか?

 蛇の頭の上を、疑問が駆け抜けていきます。
 あのおじいさんを殺したのが自分であるだけに、……その殺人がせめて意味のあるものであって欲しいと願ってしまうのです。
 いえ、……そもそも殺人に意味を見出すこと自体が、おかしいのでしょうか?

 蛇が足らないながらも頭をめぐらしていると、……ふいに、女の子が立ちあがりました。
 例の包みは背中にしっかりと背負っています。
 くるり、女の子は鮮やかに燃え盛る家に背を向け、夜の闇へと目を向けました。

「ねえ、蛇さん」

 女の子は、遠くを見ながら蛇に問いかけます。
 蛇は、顔を上げました。女の子の視線が向かないのが、とても心細くて仕方ありません。
 このまま自分を置いていってしまうのではないかと、……そうなってしまったら自分はどうしたらいいのかと、赤い舌をだらんと垂らしながら、途方に暮れる思いになります。


「わたしに、ついてくる?」


 ……だから、女の子が呟くように言った次の言葉に、大きく体を震わせてしまったのです。
 女の子は、ゆっくり、蛇に顔を向けました。

「あなた、思っていたより使えそうだし……」

 次の瞬間、炎の陰影が……女の子の表情を歪ませました。

 口角が意地悪く、片方へあがります。
 遠くで燃える火の光彩が、かえって白い肌を血色よく見せました。光彩が華やかなだけに、影はより濃くなり……艶のある髪の毛と一体化しているように見えます。
 刺繍のほどこされたその着物からも、……今夜限りの光を強烈に放たれます。

 ああ、と……蛇の口から息が薄く漏れました。

 そこに立っていたのは……女の子であって女の子ではない、「何か」でした。

 焦げ茶色の瞳は蔑むように歪み……鼻でふふんと笑う声がします。


「……どうせ、わたしのことが好きなんでしょ?」


 ……蛇は、女の子のこんな表情は初めて見ました。
 蛇を馬鹿にするような、下に見るような態度を、女の子はとっていたのです。

 それを見た蛇は……嬉しくて、体を、もっともっと……ぶるぶると震わせました。

 急いで女の子の足に絡みつき、「ぼくもつれていって」と主張しました。
 ……そんな蛇の様子に、女の子はくすくす笑いながら、蛇を抱きかかえてくれました。

 どくん、どく、どくん。

 女の子の腕に抱かれると、女の子の鼓動が聞こえてきます。
 幸せだなあ、……と蛇は心の底から思いました。

 ――ぼくが、こいにおちているって、きづいてくれた。

 ――いままでにない、あたらしいかおを、ぼくにみせてくれた。

 蛇は、それだけで全てが報われる心になりました。
 先ほど、一瞬浮かんだ疑問や違和感も、見事に消え去っていました。
 蛇にとっては、女の子がいてくれれば、それだけでよかったのです。

「大丈夫よ。ご飯はたくさん食べさせてあげる。……死んだネズミで十分なんでしょ?」

 女の子は笑いながら、歩き出しました。
 腕の中で振動を感じながら、蛇は安心しきっていました。
 熱い手のひらが蛇の体を撫で、……そのせいで体がヒリヒリ疼いたとしても、蛇の皮膚の匂いがもう消えないものだったとしても、蛇には些細なことでした。

 蛇がいて、女の子がいる。

 それが守られているならば……蛇はどこまでも安心でした。

 ……女の子は、背中に小判の詰まった木箱を、腕には蛇を抱えて、夜の闇の中へとしっとり入って消えていきました。


***

 むかしむかし、あるところに、頭の悪い蛇がいました。

 蛇は、どうしようもなく、深い恋に落ちました。

 蛇は、恋の相手である女の子に……どこまでも、どこまでも、ついていくことを決めました。

 蛇と女の子のその後の行方を知る人は、……誰もいません。

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