nazuna

日本のどこかに在住。 4歳から聴覚障害者です。 健聴者の夫、3人の子どもがいます。 …

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日本のどこかに在住。 4歳から聴覚障害者です。 健聴者の夫、3人の子どもがいます。 聴覚障害から見た世界を伝えたい、 聴覚障害だったからこその出会いがあり、それを書いていきたいです。 どうぞよろしくお願いいたします。 ★毎週日曜の更新を目指します。

最近の記事

★#3 なずなの2021年で幸せだったこと

なずなの過去■も、なずなの現在★もそれぞれに書いていますが、それをすっ飛ばして今年幸せだったことをここに書いて、2021年最後の投稿にしようと思いました。 コロナ禍になって2年近く。マスク必須になって読唇が出来なくなりました。8割読唇、2割が身体に受け取るみなさんの声だった私。 マスクで口元を隠され読唇ができなくなり、2割の声をマスクは遮断しています。 コロナ禍は私から会話手段を失くしました。 そう言った状況下ですが、人の親切に触れることが多くなりました。 ◆スーパーで

    • ★#2 なずなが普段している読唇のお話

      TwitterのDMに質問を寄せてくださり、ひとつ前の記事にて、質問の回答を書かせていただきました。 読唇メインというが、想像つかないから教えて というふたつめの質問に、今日はお答えしたいと思います。 早いもので、もう6年ほど前の話。 次男が幼稚園に入園して、慣れてきたころ。 同じバス停に、次男の同級生で女の子がいました。今でもその女の子のお母さんと、よいお付き合いをさせていただいています。 園バスに乗り込んで、席に座った女の子が、お母さんに向かってなにかを話しかけたので

      • ★#1 なずなの今 発音と対話について

        タイトルに★マークがあるのは、現在の話です。■マークは過去のなずなのことを書いているとご理解ください。 Twitterでも同じ名前、なずなで。そのTwitterでは現時点のなずなが思ったことを書いています。noteのなずなは、まだ幼児期の話です。なかなか現在に追いつきません。 (noteで私のことを知った方で、Twitterなずなを知りたいと思われましたら、@nazuna12231へ。見に来てくださるのは大歓迎です。フォローも★どうぞ) 最近、質問などをTwitterのコ

        • ■#5 なずなが、日本語を身につけるまで

          声を出して話す、“発話”は、母と発話練習を毎日やって身につけていきました。 絵カード、表に絵、裏にひらがなが書いてある、言葉カードを通じて、物には名前があることを理解していくのです。母が発する言葉を真似していきます。正しい発音ができるまで何回も繰り返します。 母は冷蔵庫の扉の前に「れいぞうこ」、牛乳パックには「ぎゅうにゅう」などと書かれた紙を貼っていました。家の中の物という「物」には、たいてい単語の紙があったと思います。 幼稚園から帰ってきた後はそれらを見て単語の練習。言葉

        ★#3 なずなの2021年で幸せだったこと

          ■#4 なずなにとっての日本語とは

          健聴者のみなさんは、自分の生まれ育った国の言語を、そのまま母国語としか疑問を持たない、もしくは深く意識しないかと思います。 私にとって日本語はあくまでも「意識的に覚えた」もので、勉強して必死になって獲得した言語です。胸を張って母国語、と言えません。 「母親(養育者)が国の言葉を語って」自然に入ってきた言語こそが、母国語と、私に映ります。5歳近くまで無音の世界にいた私には、「母国語はない」です。その程度までに日本語に対して、遠いところにあります。寂しいけれど、距離感があります

          ■#4 なずなにとっての日本語とは

          ■#3 なずな、言語聴覚士さんに出会う

          物には名前があり、人と話し合うために会話がある、お互いの気持ちや考えを理解しあうために、言葉がある。それぞれの経験や知識をシェアしあい、一緒に生きるために時間を共有する。相手を好きになれば、なおさら相手を知りたくて、目と目を合わせ、ことばを使って語り合う。 人として生きていくために、「ことば」は必要でしょう。 健聴者は生まれた時から両親の優しい語りかけで、自然に言葉を覚えていく。聴こえなかった私は、どう声を出すのかもわからないのです。 音というものを、高熱で消滅した私は

          ■#3 なずな、言語聴覚士さんに出会う

          ■#2 補聴器をつけ始めて なずな 4歳8か月

          ※ほぼ40年前の話です。現在の話ではありません。そのことにご留意いただきたいです。聴覚障害児に対する教育方法,聴覚障害者を取り巻く社会は常にアップデート、いい形に変わってきています。 1歳から言語訓練を受けていた子は、就学するまで5年あります。5000語の到達は可能かもしれません。 診断されたのが遅かった私。4歳8か月で、たったの10語未満。パパ、ママ、ない(いらないの意味)うん(わかったの意味)ワンワン… 小学校に入るまであと、たったの2年弱。 海外の大学に進学する

          ■#2 補聴器をつけ始めて なずな 4歳8か月

          ■#1 聴覚障害と診断された日のこと

          難聴と診断されたのは、ほぼ40年前の4歳の時。 私の場合は1歳の高熱が原因で聞こえなくなったと言われています。 聴覚障害児にとっては早期発見、早期教育が鍵となる… 言語を獲得する大事な時期、すなわち幼児期に音が聴こえてないと、語彙力が増えません。早めに診断されていれば、言葉を覚える勉強を始める=言語訓練を受けることができるのです。 私が4年近くも難聴と分からなかったのは、医師に見せても、「この子は聴こえている」と判断されるほど、活発で勘のよさがあったからです。 3歳児検

          ■#1 聴覚障害と診断された日のこと

          はじめに ◆聴覚障害の話を書きます◆

          4歳から聴覚障害者です。 健聴者のコミュニティに入り、手話を使わずに生きてきましたが、 「なずなの聴こえない世界を知りたい、どんな風に聞こえてるの?」「聞いてはいけないと思ってた」という優しい人たちにたくさん出会いました。 3児の母となりましたが、 健聴者の子どもを育てることは、私が育ってきたプロセスと違い、聴こえる世界を擬似体験することでもありました。 聴覚障害から見た世界を伝えたい。 子どもと共に生きて感じたことを伝えたい。 このnoteを、異文化を知る気持ちで気

          はじめに ◆聴覚障害の話を書きます◆