見出し画像

★#3 なずなの2021年で幸せだったこと

なずなの過去■も、なずなの現在★もそれぞれに書いていますが、それをすっ飛ばして今年幸せだったことをここに書いて、2021年最後の投稿にしようと思いました。

コロナ禍になって2年近く。マスク必須になって読唇が出来なくなりました。8割読唇、2割が身体に受け取るみなさんの声だった私。 マスクで口元を隠され読唇ができなくなり、2割の声をマスクは遮断しています。
コロナ禍は私から会話手段を失くしました。

そう言った状況下ですが、人の親切に触れることが多くなりました。

◆スーパーでの出来事◆
スーパーに行くと、レジでは、透明のアクリル板でさらなる遮断。なにかを話しかけてきてくれるレジ係さん。
私が「難聴なんです」と話しても、同じ口調で同じ声の大きさで繰り返すレジ係。しかも4回も同じ口調、同じ声の大きさ。
長女が「もうちょっと声を大きくするとかジェスチャーしてくれるとか、工夫しないわけ?」
「ママは怒らないの?」
「怒っても仕方ないじゃない」
長女はその後は買い物に付き合ってくれるときは、私の代わりに「あ、レジ袋はいりません」「保冷材はいりません」という返事ををしてくれるようになりました。
「あらあ、お母さんのこと助けていい子ね」
と褒められることもあり、不機嫌な長女。
「褒めてくれるけど、別にママを助けてるわけではない、レジの人が気が利かない」
聴覚障害の親を持った子どもは、他の子より理不尽さに早く気づきやすい。10代前半の長女を見て、「さまざまな人がいる、だけど、人の優しさに多く触れることもあるのだよ、いつかあなたも分かる」と思う私でした。長女の横顔に複雑な思いを母親として感じます。

そうしているうちに聴覚障害者は、スーパーでの会話に困っているらしいという認識が世の中に広まってきました。
レジ袋、保冷材を指さして、私に、袋や保冷剤がいるのかいらないのかを確認してくれます。また、両手でカードサイズの大きさを作り、ポイントカードありますか?と分かるように尋ねてくれるようになりました。
スタッフ同士で「聴覚障害者が来た時のマニュアル」共有を始めたと分かるほど、どのスタッフにあたっても、手間取ったことがありません。
私一人で買い物をしても、それほどストレスを感じません。


医療現場でのうれしかったこと◆
子どもが小さい時と違って今は病気しないので、頻度は少ないですが、病院に行くことはあります。眼科や呼吸内科(喘息を持っているので)など。
医療関係者はマスクを当然、外せません。

昔から、私を聴覚障害者と分かった途端、健聴者と比べて最低限の話しかしてくれない、と感じていました。(丁寧に話す人は今までで1人ぐらい)
コロナ禍になってからますます、よけいに話を端折り伝えられている...苦笑するしかありませんでした。
お医者さまは忙しいんだろうなと諦めていたのです。
私が医学的なことをあらかじめ予習して確認する、要は医師が「イエス、ノー」で済むように私が質問していました。

それが2021年の夏ごろから、医療現場も私に対する対応は変わっていきました。聴覚障害者だけではないのでしょう、マスクで聴こえづらくて困ったのは。
医療関係者それぞれが、筆談アプリ(たくさんあるようですが、ひつだんくんがよく使われています)を携帯にダウンロードして、自分の声を入れて文字化させてから、私に見せてくれるようになりました。
看護師さんも自分のスマホに筆談アプリをダウンロードに入れて、私に聞きたいことを文字化してくれます。「冷やしている注射を解凍してきますね」など、細かいことを伝えてくれる安心感。

筆談アプリ


本当にありがたいと思いました。

そうそう、笑ってしまったことがあります。
……採血を人生で何十回もしているのに、「手が、しびれませんか?」と確認されたのはコロナ禍になってからです。看護師さんの声が文字化されたスマホを見て絶句、それって、結構大事なことですよね?(笑)コロナになる前にそんなこと聞かれたことがありませんが??あまりにも端折りすぎ!!
私に入る情報の少なさがはっきりと分かりました。(笑)(海外在住の日本人が現地の人に、端折って説明されることが多いということに似ているでしょうか)

とはいえ、本当にコロナだからこそ、聴こえない人や困っている人に意識を向けてくれる人が増えたことは感謝しています。コロナ禍の状況が思いのほか長くなり、私のような立場の生活のしづらさに気づいてくださった健聴者のみなさま、ありがたいです。


❤最後に、2021年最大のうれしかったこと❤

このnoteを書き始めてまだ2か月ですが、どんな人が見に来てくださるか想像できませんでした。
思いのほか、言語聴覚士さん、障害者支援に携わる方、臨床心理士などの心理系の専門家、難聴児を育てていらっしゃる親御さん、聴覚障害当事者、海外でご活躍されている方、日本語教育教師などをされていて言語獲得の観点で興味を持ってくださった方、いろんな意味でのマイノリティ、(古くからのリアル友達もですね)
本当にそれぞれの背景が透けて見える方が読んでくださってるようです。


私が小さいときに誓ったのは「たくさんの人と話すために日本語を覚える」でしたが、
SNSとリアルの両方で、多くの方と話すことを実現できました。

この世にさまざまな学問があり、そこから派生された仕事や生き方があります。
私が歩くことがなかった人生を、私が選ばなかった選択肢を、
みなさんが歩いていて、それを聞かせていただけることはうれしいです。
みなさんの経験から基づく知識の共有ができることを、私は幸せに感じています。

語彙力が多くあれば、優しい言い方ができる。
知識が多くあれば、謙虚な態度として現れる。

優しさとは強さですね、賢い人は優しく人を見つめる。
みなさまに出会えたことに感謝しています。ありがとうございました。

私はなにをしてきたか、と問われると、「聴覚障害者」として歩いている、広報の仕事をしていた、3児の母親をしている、です。それしかありません。聴覚障害者のなずなこそ、私の人生です。それを伝え続けます。

私の物語は続きます。よかったら、どうぞお付き合いくださいませ。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?