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■#4 なずなにとっての日本語とは

健聴者のみなさんは、自分の生まれ育った国の言語を、そのまま母国語としか疑問を持たない、もしくは深く意識しないかと思います。

私にとって日本語はあくまでも「意識的に覚えた」もので、勉強して必死になって獲得した言語です。胸を張って母国語、と言えません。
親(養育者)がの言葉をって」自然に入ってきた言語こそが、母国語と、私に映ります。5歳近くまで無音の世界にいた私には、「母国語はない」です。その程度までに日本語に対して、遠いところにあります。寂しいけれど、距離感があります。

自分の声が補聴器を通してでも、聴こえない、が影響しているかもしれません。自分の声を確認しながら話すことが出来ない。

みなさんに届く私の声がどんなものであるか、知りません。優しい声なのか、高いのか、低いのか…分からないまま話しています。たぶんこの発音で話せば(喉に伝わる震えを記憶しています)健聴者に通じる、そう信じる強さだけでやってきました。

話を聞くときは唇の動きを読み取る、読唇が8割、相手の声を体で受けとめるのが2割という感じです。私の声は相手に向かって出ていくばかりで、自分の補聴器に私の声までは入りません。そんな形で会話をこなしています。

日本語は私から遠いところにあるものの、時間を重ねていくうちに。美しい日本語、大好きな言語と思えるようになりました。Second languageという位置づけで、なにかを思考するにも日本語で、自分のことを伝える言語として使いこなすことが出来るようになったと実感します。

周りにいる人と話したくて覚えた、「健聴者の言語」=音声言語=日本語と言えるかもしれません。

ヘレン・ケラーが語ったとして、有名な言葉があります。

「見えないことは人を物から離し、聞こえないことは人を人から離す」

情報をこちらから求めて生きていくしかない、常に知的好奇心を持ち、追いかけ続けた日本語。人と一緒に生きていきたいという思いがあったからです。

とはいえ、国語の力を身につけられたのは、多くの助けや支援によるものが大きいです。

私のつたない、幼い日本語に耳を傾け、聴いてくれた大人や同級生がいたから。本を多く読む子と仲良くなり、刺激を受けていました。父の書斎で片っぱしから本を読みました。小学生の私にとって、本は「健聴者の耳に入る音を知る」手段でした。

中学時代は書いた作文はすべて入賞(軽く賞金稼ぎでした、30、40万は稼いだ(笑)と思います)、学校一モテる男の子と幼なじみ関係にあった私は、ラブレターの返事代行業務もこなし、大学受験のセンター試験の国語は198/200点。(他の科目は聞かないことです(笑)数学は最悪でした)

それにしても、TwitterやLINEが普及しそれらを通じて、人の考えを知り知識を交換出来る時代が来るとは。

カフェなどでお隣の見知らぬ人のおしゃべりを、盗み聞きはできない。だけれど、Twitterなどで、人の考えを盗み見る(笑)が出来るようになりました。視野が広がったといえます。

SNSの普及によって、情報獲得が簡単になることは、10歳だった私に伝えたいことのひとつです。「未来はいい方向に変わる、と信じていいよ」と、あの頃の私に話したいです。日本語をしっかり勉強しておいて損はないよ、と。

TwitterなどのSNSでは、文体の隙間から見える人柄を感じ、ある程度相手の考えを把握した後に、実際に話をすると、相手の声は非常に聴きやすい。誤解のないように言っておきますが、SNSの出会いが好き、な訳ではありません。(笑)リアルで会うにも、文字でのやりとりがあるのとないのでは違います。

SNSが普及する前は交換日記や手紙交換でした、なずなちゃんを知りたいから交換日記をやろう、と声かけてくれた友人に感謝です。高校時代の友人は、留学していた時も手紙を送ってくれました。

多くの方から、経験に基づいた知識を教えていただきました。人との関わり合いの中で、大切なものを受け取りました。他者からのわたしへの優しさを思い出します。

ある小学校から、子どもたちの前で話してほしいと依頼を受けました。
『健常者の私が話すより、なずなさんが伝える方が子どもたちに分かると思うのです』と言っていただき、話しました。その日は、私にとって有意義で忘れられない時間となりました。
お子さんの知的好奇心に応えられたならうれしいし、これからのなにかに、役立てますように。

振り返れば「健聴者の耳に入る音の世界」を学び続けてきました。健聴者の耳に入る音を理解して初めて、「聴こえない世界」を伝えられる。聴こえない世界を言語化してみなさんに話す機会があるなら、話していきたいと思いました。20歳の私、30歳の私なら伝えることは出来なかった、そんな風に思います。

他者に「私は聴こえない」と伝えたときに、戸惑った優しい顔。私にどのように話したらよいのかな、と考えてくださった方の顔を思い出し感謝しながら、このnoteを書いています。

私がこのnoteで伝えたいのは、いくつかあるのですが、まず、「聴こえないことはそういうことなんだ、知らなかった」と悲観的に思わないでほしい。基本は「聴こえない世界を知ることは楽しい」それでいいのです。少なくともなずな、私の発信からはそのように受け取っていただけたらと思います。最初のプロローグにも書きました通り、気楽に異文化を知るような気持ちで読んでいただきたいです。

my lifeで出逢った素敵な人は、大抵、普段の会話に対しても思考しながら生きている人であり、話す内容と伝え方がとにかく素晴らしい。「どの言葉なら相手にもっと伝わるか」考えながら生きている人は、強い。その人の言葉の優しさに尊敬しています、私もいつかその人にたどり着きたいと願っています。

日本語を大切に、大事にしたいです。

あなたと、みなさんと、離れていたくないから。


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