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短編小説 『いもむし』


それはそれは霧深く、街灯のオレンジが柔らかな霧の白と混ざり合う夜のお話である。

私は待ち合わせのため、駅前のマクドナルドに入店した。人はあまりおらず、店員もこちらに気付くと少し目をキラッとさせてから 「いらっしゃいませ。」と言った。

私はとりあえずコーヒーを一杯購入すると、適当な席に腰かけた。最近のマクドナルドによくあるようなおしゃれな内装である。水をたっぷり吸った樹木のような濃い茶色の壁が美しい。

しばらくコーヒーで手を温めていると、一人の女性が私の目の前に座ってきた。まるで母親の胎内にいたときからの知り合いであるとでも言うように、彼女はごく自然に私の目の前に座るとチーズバーガーを頬張り始めた。私は、彼女のことを露ほども知らなかったが、余りにも彼女がその席に自然にフィットしていたのと、余りにもチーズバーガーを美味しそうに食べるので、放っておいた。

その女は特徴のない、平坦な顔をしていた。年齢は分からないが、自分より少し歳上のようにも見える。光沢のある白の、フード付きのコートに身を包んでいた。

ふと隣の席に目をやると、同じように平坦な顔をした男が、テーブルの中心を熱心に観察していた。穴があくほど見つめるとはこのことだろう。

なぜこんな平坦な顔をした人ばかりに囲まれるのだろう、と思いながらカウンターの方をぼんやりと眺めていると、一人の女性店員が目に入った。目の前の2人とは打って変わって一つひとつの顔のパーツが「さあ、私を見て!」と諸手を広げているかのように主張している。手足が長く、肩までて切り揃えられた黒髪は先端の方で少しカールしており、彼女の容貌は私に、豪邸で飼われているシャム猫を連想させた。彼女は優雅な足取りで店内を歩き回り、的確に他の店員へ指示を出している。きっと、リーダー格なのだろう。


目が合うと、彼女はニコッと営業スマイルを放ち、しっぽで鼻をくしゅっとした。


しばらくマクドナルドにてマクドナルドの客らしくしていると、突然、電気が消えた。ブレーカーが落ちたのか、それとも停電なのか、分からないがとりあえず暗闇が訪れた。目の前の女は相変わらずチーズバーガーを食べるのに夢中だったし、隣のテーブルの男は変わらずテーブルの中心を見つめるのに夢中であった。シャム猫は問題を点検するためだろうか、両手両脚をしならせながら、あくまでも華麗に階段を上って行った。


数分が経った頃だろうか。チーズバーガーを食べ終わったらしい平坦な女がおもむろに声を発した。
「二階に行ってみない?」
確かに、先ほどシャム猫が二階に上がってからしばらく経った。依然として電気はつかないままである。多少気になっていたこともあり、私は重い腰を上げた。
平坦女も一緒に立ち上がり、私の後に続いた。そしてなぜか、平坦男もテーブルの中心から視線を上げると、そのまま立ち上がり私たちに加わった。


暗さに目が慣れたのか、驚くほど不自由せずに二階に上がることができた。二階にはガラス張りの部屋が一つ、それ以外の空間が一つと言った具合で、極めてシンプルな構造をしていた。ガラス張りの部屋は恐らく喫煙ルームなのだろう。

シャム猫はどこへ行ったのだろう、ときょろきょろしながら歩いているとガラス張りの部屋の中に何かを見た気がして、恐る恐る、中に入っていった。


そこには何やら、よくは分からないがとてつもなく大きな何かが蠢いていた。昔胃袋のぜん動運動を何かのテレビ番組で見たことがあったが、それを想起させる、なんとも落ち着かない生物的な動きをしていた。

恐怖よりも好奇心が先に私の肉体の主導権を握り、私は一歩一歩着実にその「何か」に近づいていった。


あと2メートルほどで触れる、というところまで来たとき、不意に電気がついた。しかし、いつも通りの蛍光灯ではなく、白熱灯の薄明るいオレンジ色の光がガラス張りの部屋に満たされた。

その「何か」は、いもむしであった。高さは私の背丈ほどもあり、長さは5、6メートルはあるだろうか。色は白熱灯のオレンジに浸食されてよくわからないが、恐らくあまりきれいな色ではないだろうと予想した。

そのいもむしは顔を持っていた。ひどく大きく、私などひとのみに出来てしまうのではないかというほどに大きな口をしていた。くしゃっとしわの寄った顔は、私に齢百を超えた老婆と、同時に生まれたての赤子を連想させた。しゃべるのだろうか。

いもむしは何かを喋ろうと、口を開けようとした、ように見えた。しかし聞こえてくるのは呼吸の音だけであり、声にならない声は、白熱灯のオレンジにむなしく吸い込まれていくようであった。


その次の瞬間、いもむしの顔が取れた。まるで産まれたときからそうだったとでもいうようにごく自然にいもむしの顔が取れ、中に大きな空洞が見えた。と次の瞬間、その空洞から数多の何かが飛び出して来た。飛び出すというよりかは、いもむしが吐き出したと言った方が近いかもしれない。


一つひとつの「何か」はよく見ると、私と同じ人間であった。色々な顔、性別、特徴をもった色々な人間がいもむしから飛び出して来ていた。私が驚いていると、平坦男と平坦女がすっと前に歩みを進めた。


「遅れてごめんなさい。」


二人は声を揃えて言った。

吐き出された人間達の中に、シャム猫を見た。シャム猫はしっぽで顔を拭くと、私の方を向き、一言言い放った。

「これは私たちの本当のお仕事。そう、私たち、いもむしをやっているのよ。」

そして吐き出された人間達は列を成すと、再びいもむしの中に帰っていった。
平坦男と平坦女も中に入っていったようで、ガラス張りの部屋には私といもむしだけが残された。

私はこんなに途方に暮れたことは今まで一度もない、とぼそりと呟いてからガラス張りの部屋を後にした。


それはそれは霧深く、街灯のオレンジが柔らかな霧の白と混ざり合う夜のお話である。





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初出: 2011/1/20

前日の夜に見た夢をそのまま小説に。

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