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『ソメイヨシノの鳴き声』

おそらく初めての恋だった。

 昔の記憶の断片ををかき集めながら、ぼくは過去の「あの」出来ごとを、振り返っている。散らばった記憶の数かずをつなげる。

 それを言葉にし、話にする。それだけのことだ。なのに、思い出そうとすればするほど、心が苦しくなってゆく。

 飛行機で福島県に帰省している。機内で同じ音楽を、何回も何回も、聴いている。ビル・エヴァンスの「ビューティフル・ラヴ」--。

 なぜだか分からないが、この曲を繰り返し聴くと、遥か昔の「あの」出来ごとを、鮮明に思い出せる。

           ***
 
 あれは小学生のころの話。

 5年生の時のこと--ぼくは、吃音に悩まされていた、よし子さんと同じクラスだった。席が隣になることもあった。

 先生にあてられると、決まってどもってしまうよし子さん。1学期は、先生も事情を理解していないようで、「話し聞いているの?」と怒鳴ることもあった。

 その先生の圧が、ぼくにとってはこの上なく不快で仕方がなかった。かのじょはきっと、苦しんでいる。それでも頑張って、声を振り絞っているのに、叱るだなんて…

 思春期に正義感を抱くことはある。

 通過地点だ。ぼくの場合、先生の対応に正義がないと思えた。夏休み前の日に、先生に直接問いかけた。青い正義感に駆り立てられて。

 許せない気持ちから先生に問い詰めた。
 同時によし子さんに、好意をどこかで抱いていたのかもしれない。不確かな感情が胸の鼓動のリズムを狂わせていた。

 そう、なんとなく記憶している。先走りする正義感と好意に近い思いで、ぼくの感情は、旋回していたのだと思う--空回りになるか、先のことはどうでもよかった。


 放課後のワンシーンだ。

 「先生、よし子さんは頑張っているのに、なんで怒るんですか?」
 「上の空だから、あんな答え方をするのよ。ねえ、自分のことを考えてもっと勉強しないと」
 「いや違います。責めるのは違う気がするんです」とぼくが言い返したとたんに、よし子さんがやってきた。きっと話を聞いていたのだろう。何かをとりに、教室に入ってきた様子でありながらもの、本意は別と、見てとって分かる。

 「よし子さん!先生の扱いはおかしいでしょ?」

 かのじょに直接、問いかけた。何も言い返すことなく、教室を後にしていった。何のために教室に来たのか、全く見当がつかない。

 それからだった。夏休みの間によし子さんとかのじょの母親、先生との間で三者面談があったようだ。これは先生からのちに聞いた話で、先生はぼくに対して「実は三者面談をしたらよし子さんは『話すのが苦手』なんだって。気づけなかった私が悪かったわ。ごめんね」と。

 2学期に入り、段々と学習のテンポは早くなり、先生があてる回数も増えた。だが先生は気を利かせてよし子さんにはあてないようにしていた。それがかえって、かのじょがバカにされる理由になってしまったのだが。

 同級生からは、なんか言ってみろ!ドモリ!などと、からかわれていた。回顧すれば、子どもは残酷だ。見たもの、感じたものをそのまま吐き出す。純粋ではあるが、毒がある。

 よし子さんはきっと苦しい思いをしていた。ぼくはその気持ちがわかるつもりでいた。クラスメートが罵声を浴びせている、ある日のこと。ぼくは、かれ・かのじょらに、怒りを覚えた。

 「もういいかげんにしろよ!」

 ぼくの声は、怒りに満ちていた。唇も震えている。どうしたのだろうか?特別目立つタイプではないが、友人はそれなりにいた。

 皆が驚きの目でぼくに目を向ける。「どうした?」と目が語りかけている。誰もなにも言い返してこない。ここで感じたのは「正義」が間違えていなかった。この小さな悦(よろこ)びだった。

 単に自己陶酔しているだけとは、この時知るよしもなく。正義に溢れた自分の姿を誇らしく思えた。それが霧のように消えていくとは、知ることもなく。

 ぼくは異変に気がついた。

 よし子さんへのイジメともとれる、嫌がらせは悪質になっていった。だが、もう声を上げられない。擁護するとぼくもが被害者になるからだ。だから黙ることにした。

 席替えがあり、ぼくとよし子さんは隣の席に。それから、友人に無視をされ、自分が、自分の正義が、不当にけなされているのは、よし子さんのせいだ、と考えた。「いじめる側にまわればぼくは友人の輪にもう一度戻れる」ーー。その思いから、よし子さんへのいじめを、ぼく自身が始めていった。

 当然、先生はおかしなことが起きている、と感じていだろう。ある日、職員室に呼び出された。室内は忙しく動き回る、先生の姿が視界に入ってくる。どの生徒に、どの評価をするのか、生徒であるぼくがいるのもお構いなしに、大声で話していた。

 担任が個室へと連れてゆく。

 「ねえ、渡部くん。あれだけよし子さんを守ろうとしていたのに、どうして急に、いじめるの?」
 「別に・・・気分が変わっただけです」
 「夏休みの前日よね、渡部くんがわたしに反撥(はんぱつ)したのは。あの日、心底ビックリしたのよ。『わたしより断然若いのに、全てわかっている』って。自分がどれほど情けないのか気づいたの」

 今思えば、ここまで赤裸々(せきらら)に自分の非を認める大人は、滅多にいない。認められる教師といえば、この時の担任だけだった。大体は権威性を盾に、ぼくたちを縛り付けようとしていた、としか思えなかった。そんな先生に、歯向かった自分を、今となって恥じている。

 「先生の問題だと思います。キレイごとで話を進めたいだけでしょう」

 ぼくはそう言い残し、個室を抜け出した。

 次の日も同じだ。また次の日も。進級するまで。

 よし子さんをからかった。そんなことをしていると、友人の輪に再び溶け込めた。自分が守られたと、錯覚していることに気づかず。

 よし子さんの「イジメ問題」は6年生になっても、深刻だった。幸か不幸かわからないが、別のクラスになった。聞いたところだと、かのじょは、吃音がひどくなりイジメもエスカレートしていたようだ。

 「助けたい」。そう思う自分がいる半面、そうしたら居場所を失う恐怖も同時に感じていた。そんな2重性を感じながら、ぎこちなさを感じながら、小学校を卒業した。

 「イジメ」に遭わないためによし子さんは、私立中学校に進んだようだ。進学校で、地域では有名だった。ドモリが問題なだけで、よし子さんは勉強が得意なタイプだったのだ。

 ぼくは、といえば持て余したエネルギーを発散するあてがなく、中学時代は、くすぶった日々を送っていた。なんだったのだろうか。いまだに、よし子さんとぼくの距離、そして「正義」と「自己防衛」の矛盾が自分の中に、渦巻いていた、あのころの記憶が蘇る。

 中学を卒業してから、よし子さんについての話しは耳にしなくなった。ぼくはぼくで、猛勉強をし県内の進学校へと進むはずだった。しかし、うまくいかなかった。滑り止めの私立高校に入学した。

 ハッとした。まさかの出来ごとだ。よし子さんと同じ高校だったのだ。

 高校に入学すると、立場はすっかり変わっていた。

 よし子さんは高校で人気のあるタイプだった。たった3、4年経つだけで、大きな変化があるとは、思いもしなかった。

 惨めに思えた。あれだけ救う思いを抱き、あんなに追い込み、苦しめたよし子さんは華やかだ。かのじょは吃音を克服していた。小学生のころ、話すのに困っていた分、高校生になってからは陽気で、よく話すタイプに変わっていた。

 一方ぼくは、話さなくなっていった。高校の学習レベルに追いつくのがやっとだった。それなのに、内心では、同級生を見下していた。

 「どうせ中高一貫のエスカーレーターで安全な道を歩んできた連中」と内心でさげすみ、高校での友人は、いないに等しかった。

 進学校でのイジメはあるようでなかった。自分の置いた距離が原因で、話すことはあまりなかった。よし子さんといえば、過去にいじめたからなのか、何も声をかけてくれない。

 昔助けただろ?
 なぜ見捨てるんだ?
 都合のいい女め。


 「自分が有利に立てる側に回ったら、無視か」と、かのじょへのいら立ちは、日増しに募っていった。

 高校2年生になり、浮いたままのぼくに、よし子さんは、突然声をかけてくれた。なぜ1年ではなく今なのだ?理由を教えてくれ、と内心では、怒りが煮えたぎっていた。

 「かれは渡部くん。小学校の同級生なの」
 「よし子ちゃんの同級生だったなら、言ってくれればいいのに。勉強も教えてくれるさ、かのじょは」
 見ず知らずの、男子生徒が「よし子ちゃん」と馴れ馴れしくしていることに、憤りを感じた。自分にはイジメた過去があるにもかかわらず、だ。

 ある日、梅雨が明け夏が近づいてきている、とある日のことだ。
 「渡部くん、今日って時間ある?」と、廊下ですれ違った時に聞かれた。
 「うん」
 「じゃあ、一緒に帰ろうよ」
 「……」
 黙り込んでしまった。小学生のよし子さんとは、全然違っている。明るくはつらつとしている。それなのに、自分ときたらーー学校に溶け込むどころか、違和感と、言葉にならない、矛先のわからない、かんしゃくにさいなまれている。

 「こんなに変われるなんて。渡部くんのおかげって、感謝しているの。『ありがとう』の言葉を受けとってくれるとうれしいんだ」

 意気揚々と話す。「あの頃」のよし子さんではない。苦痛を耐え抜き、明るくなっている。クラスの中心人物だ。単純化すると、小学校の時の立ち位置と、高校時代のそれとが、百八十度変わったのだ。

 ぼくは返す言葉が見つからなかった。頭の中から、ありとあらゆる言葉を選ぼうとしても、どれもが、ぼんやりと消えてゆく。

 その代わりにうなずいた。断る理由はない。だが、誘う理由もない。なら、とりあえずは、話でもしよう。

 梅雨の終わりを告げ、夏の始まりを告げる、爽やかな風を受け、ぼくらは帰り道を歩んだ。
 「なんとも思っていないの、わたし
 「今、こうやって、自分が元気になれたのは、みんなのおかげーーこれまで関わってきたみんなのおかげなんだって。小学生の時はツラい気持ちも抱いたけど、一番残酷なイジメって、『無視』だと思うの。わたしは、あのドモっていたわたしは、無視はされなかった。わたしがみんなを無視していたのかしら。声をかける勇気が出なくて
 「中学に入ってからも、イジメはあったわ。でも、それでいいんだって。それが自分なんだ、て『モヤモヤ』をなくしたの。そうしたら、自然と、ね。言葉がスラスラ話せるようになって」

 といった具合に、じょう舌だった。反してぼくは、無視という「イジメ」を受けていた時期があったと、思い出した。胸が締めつけられる。今思えば、よし子さんが好きだから、守った。よし子さんが好きだから、いじめた。根幹には「好意」があったのだ。

 「良かったら、なんだけど」とぼくは切り出した。
 「うん」
 「仲良くしてくれないかな?」

 よし子さんは、大笑いしていた。

 「当たり前じゃん、渡部くん。だって『助けてくれた』んだもん。今さらかしこまってどうしたの?」

 バカにされてはいない。なのに見下された気分だった。複雑だ。近づこうとすればするほど、「なにかが違う」と異和を感じた。なぜ言ってしまったのか。しこりを抱えたまま、月日は過ぎていった。

 それから、ぼくとよし子さんは、高校で仲良くなれた。かのじょの友人とも、溶け込めた。束の間の安堵だったのだろう。

 高校2年生の「あの日」が訪れるまでは。すべてが狂うきっかけとなる、あの3月11日が訪れるまでは。

 よし子さんとの関係は良好だった。交際しているわけでもない。かといって、恋愛感情を抱いていないわけでもない――思春期特有の、友情と恋のはざまでの付き合いだった。

 あの日を反芻(はんすう)する。河津桜(かわづざくら)が咲き始め、春の始まりを告げる時期の、あの日のことを。

 突然やってきた。3月11日午後2時46分。

 いつも通りのはずだった。学校では4時間目が始まるちょうど前の時間だった。テストの返却期間だったので、授業はとてもルーズだった。点数を見せ合っては、笑い合っていた。揚々としていた瞬間、みなの高揚感が、クラスの温度を上昇させている瞬間に、訪れた。

 <バキ!>

 最初は動揺していた。たまにある、震度4台の地震と思って疑わなかった。またやってきた。まるで自然の怒りを受け止めるかのように、たった数秒のうちに、ぼくたちは、恐怖の犠牲者となった。

 「屋上に逃げて!!!」
と先生が叫ぶ。

 従うほかないのに、ぼくたち生徒は、想像を遥かに越えた災害に見舞われている、と気づく余地もなく、ただ揺れに合わせて動揺していた。勝手な行動をとる者。動けない者。混乱が渦巻いていた。現実だと徐々に認識し始めた頃に、一斉に屋上へと避難した。

 それからの日々――。ある友人は学校での恐怖体験から不登校になってしまった。元気を取り戻そうと、必死に空元気をふりまく学生もいた。

 よし子さんは?

 後から聞いた話だ。かのじょは「あの災害」によって、恋人を亡くしてしまった。ただ、家にこもったり、殻に閉じこもったりすると、より憂うつになる。そう思い、勇気を振り絞って3年に進級してからも、元気な姿のままだった。

 ぼくは、一部崩れていた学校に行くのが、苦痛で仕方がなかった。今度は先生からの「無言のイジメ」を受けた。というのも、父が大事故を引き起こした電力供給会社の社員だったからだ。

 耐えられない。すべての責任を背負っている罪悪感――ぼくをはじめ、父も今回の原発事故を引き起こした当事者でもないのに――にさいなまれる日々だった。両親はぼくを気遣い、神奈川県にいる叔母の家に住むよう手配をしてくれた。おそらくノイローゼ気味なのが、見てとって分かったのだろう。

 一家団らんの時間はなくなり、悲しみと不条理に、我が家は打ちひしがれていた。

 先生が煙たがっているのはすぐに察知した。転校が決まるや否や、先生たちは「かわいそうに」と声をかけながらも「いなくなって安心」と心でささやいているようだった。

結局のところ、見捨てる時の言葉は空虚だ。

 神奈川に移ってから、ぼくは大学受験のために勉強をしたが第一志望に届かず、一浪をした。1年経て、ようやく入学でき、新たな風に吹かれながら、新たな生活、新たな可能性を信じ、関東での生活を謳歌すると決めた。

 これも後に聞いた話だ。よし子さんは現役で、東北屈指の名門大学に合格した。そこで交際を始めた相手と、結婚するにいたったようだ。詳しくは知らなかった。ぼくは高校時代の同級生と連絡をとっていた。関東に就職先が決まった友人とは遊び、「あの日」を捨てた生活を送っていた。

 どういうわけか、よし子さんはぼくの住所を友人から聞き出したようだ。結婚式の招待状を手に、ぼくは福島の空港にもうすぐで着く。

 記憶が鮮明になってゆく。

 何度も再生されていた、ビル・エヴァンスの「ビューティフル・ラブ」の脳内再生は止まった。ここだ。ここで始まりここで終わったのだ。参加する気でここにきた。

 結婚式の式場に着いたぼくは、ご祝儀を渡した。「式に出て何の得になる?悲しみに覆われるだけだろう?」と心の声が聞こえた。

 ソメイヨシノが咲いている。

 踵(きびす)を返す格好で、ぼくは、式場を後にしたーー。初恋の想い出を背負って。

         (了)

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