アダルト・チルドレンかもしれない2

女性性の否定のルーツ。

小さい頃から、母に、

「あなたが、お腹の中にいた頃、よく動き回って、お腹を蹴っていたから、絶対男の子だと思っていた。だから、生まれた赤ちゃんが女の子だと知って、びっくりしたわよ。」

「男の子が欲しいけど、もう一回産むのは、大変だから諦めたのよ。」

「上の子が女の子だったから、お父さんも、次は男の子が良かったみたいね。だから、あなたと、キャッチボールしてる時は楽しそうだった。」


私は、無意識に、

男の子として生まれなかったことに罪悪感を覚え、

女の子では愛されない、

と幼心に思っていたのだろう。


体育の成績は、5だった。

他の勉強も、それなりに出来たけど、

走るのは男の子より速かったし、

ドッチボールなどでは、一番最後まで生き残っていた。

そして、お父さんに、誕生日に野球のグローブを買ってもらったりした。


そして、ピンク色を嫌い、

フリルを嫌い、

中間色である、明るさの象徴であろう

黄色を自分のカラーとして、

いつも身につけいた。


私が、38歳の今でも、

性的なことに、積極的になれない事や、

外見を褒められることを、素直に受け取れない事や、

綺麗なものを自分に与えられない事は、


親から受け取った言葉や気持ち、つまり、

「男の子が良かった。」が、

次第に、

「私は、女の子じゃなきゃ良かったんだ。」という思いになり、

最終的に、

「私は女として生きては駄目なんだ。」

っていう思い込みが、形成された所以であると思う。


ここで自分に問う。

私は、何の目的があって、女性性を否定しているのか。

女性性の否定の原因は、分かった。


じゃあ、何のために、女として生きない事を選んでいたのか?

それは、親を喜ばせたいからである。


じゃあ、何のために、親を喜ばせたいのか?

それは、親が喜ぶ事が、私の幸せだからである。


でも、私は、幸せでないよ。親が幸せでも、私は生きづらいよ。

親が主語では、幸せにならないよ。


そう、反対なんだね。


私が幸せである事が、親の幸せである。

私が主語。

だからね、もうね、親のために、って考えなくていい。


私は、女として生きていいのです。

私が女性として、

美しく、愛いっぱいに、女性を生きる時が来たんだね。

私の人生が、新しく始まる。

そう、始めよう。











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