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vol.1 いくつになっても育て合い「おとなの子育て理論」~プロローグ~

こんにちは。あゆみです。

少し前から予告していた「おとなの子育て理論」シリーズが、いよいよスタートです!

具体的な内容に入る前に、今回は「そもそもどうして、この話をするのか?」という方向性について確認したいと思います。これまでの記事をお読みくださっているかたには繰り返しのお話も含まれますが、大切な部分なのでどうかお付き合いくださるとうれしいです。


▼こちらの記事の後半で、おとなの子育て理論のアイスブレイキングを行いました。準備体操もかねて、ぜひご覧になってくださいね。

▼はじめましてのかたはお読みくださいませ。

▼コンセプト紹介です。






おとなの子育て理論とは?




「子育ては、親から子に対して行うもの」


各々の事情があるので一概には言えませんが、普遍的なイメージとしての「子育て」はこちらに該当することが多いのではないでしょうか。それでは、これはどうでしょう。


「子育ては、親だけが行うものではない」


親子間に限らない様々な子育てのかたちがありますし、また、ちょっぴり昔の漫画のワンシーンにありそうな、いわゆる「ご近所さん」が、我が子を叱ってくれたり褒めてくれたりすることをイメージされるかたがいるかもしれません。実際に「そんなこともあったな・・・」と、タイムスリップするように記憶が蘇るかたもいることでしょう。(現代では、いろんな事情から滅多に見かけない光景になりましたが)

また、保育園や学校の先生方も、お子さんの見守りや教育をされていますから、関わりの深さや頻度の差はあれど「子育てをしている」と言えますよね。


さらに、こんなのはいかがでしょう。


「子育ては、大人になってからも継続しているもの」


「大人から子どもに対して行われるものが、子育てだ」と思うかたが大半かもしれませんが、今回のシリーズでは、その常識をひょいっと飛び越えることにしました。


つまり、私は「大人同士」でも子育てができるのではないかと思っていて、大人になってからも、子育てが継続しているという考えを持っています。


「大人なのに子ども・・・?子育て?はて?」


先のお話で、これらの疑問をスッキリさせたいと思います。



そもそも。どうして。大前提。



そもそも・・・私はまだ、普遍的なイメージとしてお伝えした「子育て」の経験がありません。そのため、この先のお話で「おや?」と思われる表現が含まれている可能性がありますが、どうか片眼をつむってお見逃しくださいね。

なぜなら、「おとなの子育て理論」を語る目的は、育児書のようなノウハウやハウツーをお伝えするものではないからです。

では一体、なんのために子育て論をお話しするのでしょうか。



結論から申し上げますと・・・

大人の子どもごころを癒すことが、生きやすい人を増やすことになる

このような目的があります。


加えて、その結果「大人同士が抱えるトラブルへの理解が深まったり、対応できる幅が拡がる」ことを目指していますから、子育て論というよりは「やさしい心を育む:建設的なコミュニケーション論」と捉えていただくほうが、しっくりくるかもしれません。


無論、やさしい気持ちで生きられる大人が増えるほど、安全なコミュニケーションを図れる大人が多いほどに、世の中の「心の余裕」が生まれますから、その影響を受ける子どもさんも安心して過ごしやすくなりますよね。

もっと言えば、ヒトだけではなく森林や海、生きものたちにやさしくなれる人も増えるはずですから、結局のところ「地球上で暮らすみんな」のためにも、ぜひ、おとなの子育て理論を「実践」に移したいと考えているのです。


つまり、ひとことで言うならば「やさしい世界をつくろう」ということですね!



これが本シリーズにおける、大前提のお話と目的の共有です。



ここで、前もってお伝えしたいことがあります。

私自身を含め、様々なモヤモヤ事情を抱えているかたが読んでくださっている場合、「なんだか、盛大な綺麗ごとだなぁ・・・」と感じるようなお話が含まれているかもしれません。しかし、だからこそ、安心して生きられる人を増やしたいという想いがあるのです。

綺麗ごととは、自分を含めた「みんな」でつくりあげるものだと個人的に思っていて、そのためにできることを積み上げていきたいと考えました。そのため、ご無理のない範囲で、ご自身のペースに合わせて、お話の内容を受け取ってくださるとうれしく思います。(もちろん、しんど~!っとなる場合は、そっとクローズしていただいて大丈夫です)


(関連記事:やさしさを育むために必要な4つのちから)



いくつになっても育て合い



現実に目を向けると、あちこちで大人同士が子どものようにケンカしていたり、「ほんと!大人げないよね・・・」と言いたくなったり言われたりするわけですが、実際のところ「大人らしい大人がどれだけいるのだろう?」「そもそも、大人らしいってなんだ?」と思わずにはいられません。

正直なところ、私自身も子どもの頃から「大人って、ぜんっぜん大人じゃないよね・・・」と、ガッカリすることがしばしばありました。しかし、実際に自分自身が大人になってみると「気持ちは子どものままだな」と思うことが多々あります。


このように、一定の年齢に達すると「大人になること」を求められることはありますが、今になって思うとむしろ、子どものような、まっさらで伸びやかな心を守り続けることは難しくもあるなと感じるのです。だからこそ「子どもらしさ」というのは、時にツンツンした大人社会を生きる私たちの心を健やかに保つためのヒントを与えてくれる、いわば「トリックスター的な希望の象徴」とすら、思えてくるのですね。

もちろん、子どもらしさにはいろいろありますから、なかには「ちょっと困ったぞ・・・」と問題視せざるを得ないケースもあると思います。そのうえで、事情を聞く余地もなく、大人らしく振舞えない自分や他者に「ダメでしょ!」とプンスカするだけになってしまえば、すなおに想いを表現しづらくなることも考えられますよね。

年齢や立場に関係なく、悲しくて泣きたい時もあれば、自分の気持ちをしっかりと受け止めて欲しいと思う時はあります。お腹が痛くなるほど大笑いしたい時もあります。

今回のお話に限らず、あらゆるシーンに該当しますが、こうすべきでしょと言われても「それができたら苦労してない」のですし、できない事情があるから、困っているのです。ここをすっ飛ばして、頭ごなしにモノを言うのは考えものじゃないかなと思うのです。


だから、いっそのこと「年齢関係なく、みんな子ども心を持ってるのが自然なこと」と捉えるほうが、現実的で地に足が着いている気がします。

そのうえでもし、「子どもらしさ」が何かしらのかたちで「困ったぞ」を生んでいるのならば「べきべき論」で正しさを主張するだけではなく、各々の事情にフォーカスする「にこにこ論」という名の「やさしい物の見方」をすることによって、具体的に解決策を探るほうが建設的だし、親切じゃないかな?と思っています。


年齢や立場をいったん横に置いて、ヒトとして生きるうえで大切にしたい「やさしさ」という中心軸に沿い、自分や他者の子どもごころに寄り添おうとする姿勢が、多くの人の安心感につながるはずです。


いくつになっても育て合い


どんな人でも、何歳からでも。様々な出会いのなかで、その時が来たら。たとえ大人同士であっても、頭と心をやわらかくして、お互いに、みんなで「育て合う」という視点を持ちたいものですね。


◇◇◇◇◇


今回は、「おとなの子育て理論」のプロローグを展開してまいりました。

大人の子ども心を癒しあうために、「やさしいものの見方」をして「具体的な解決策を探る」ことが大切ではないかとお伝えしたのですが、これらを踏まえて、次回は「大人の子どもごころと社会課題」について、あれこれお話したいと思っています。

好みが分かれる内容があるかもしれませんが、よろしければ続きもご覧になってくださいね。

(ちょっと肩が凝ってしまいそうな重量級の内容ですが・・・なるべくまろやかに、だけど真剣に、大切だと思うことをシェアしたいです😊)


お読みいただきありがとうございました!




【完結しました!お話の一覧はこちらです】


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