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世界で一番薄い長編小説

 友人が突然こんな事を言いだした。

「お前、世界で一番薄い長編小説って読んだことあるかい?」

 なんだいそりゃと僕は聞く。

「すっごい厚いんだけど、すっごい薄いんだ」

 僕はこの友人の答えを聞いて、どうせ同人誌的なものだと思って鼻で笑った。こいつは今更そんなものにハマったのだろうか。それとも単に僕をからかっているのだろうか。しかし友人はそんな僕を厳しい表情で見つめたのだ。

「お前俺を何だと思ってるんだ。お前もしかして薄い本って同人誌みたいなもんだと思ってないか?俺は真面目な話をしてるんだ。それどころかこれはノーベル文学賞なんか軽く超える大発見なんだぞ」

 友人はそれからその厚くて薄い本の話をしたがそれは確かに興味深い話であった。十九世紀後期のドイツフランスの国境地帯のアルザス地方にフランソワ・ベルゲンという男がいた。その男はフランスやロシアの小説の隆盛を後目に黙々と自らの文学を極めんとひたすら執筆活動に勤しんでいた。己の中に流れるフランスとドイツの血。情熱と論理を混ぜ合わせたその思考の赴くままに彼はある日一冊の本を書き上げた。そして彼は書き上げた事に満足したのかそれから程なくしてその短い生涯を閉じた。次に友人は僕にその本の内容について説明したが、それは非常に驚くべきものだった。その本は拡大鏡でないと分からない程小さな文字で文章が延々と書かれているらしい。その内容も時代を先取りしすぎた内容で、彼に言わせればベルゲンに比べればフローベールやドストエフスキーなど太古のブロントサウルスにか見えないらしい。ジョイスもプルーストもベルゲンには到底及ばない。彼こそ十九世紀最大の文豪であり、また二十世紀最大の文豪であるそうだ。

「特に前衛ってわけじゃないけど、トンデモなく新しいんだ」

 と友人は言った。僕はその小説が早速読みたくなった。だけどと彼はまた僕に言う。

「お前フランス語もドイツ語もダメだろ?ベルゲンはフランス語とドイツ五でこの本を書いたんだ。それを読むにはフランス語とドイツ語は必須なんだけどわからないならしょうがない。俺が翻訳したのをお前の家に送ってやるよ。えっ、ずいぶん手際がいいなって。当たり前だろ?俺がこの本の日本語訳するんだから。日本語は二冊セットで出すんだ。原文の薄い本とその日本語訳と俺の解説が入った本の二冊だ。そうすれば原文の薄さも十分に堪能できるし、日本語訳と解説で小説の内容と作者の情報も完璧に把握出来るんだ。まさに完璧だぜ。キッと発売される頃には話題沸騰しているだろうな」

 三日後、僕の家にそのフランソワ・ベルゲンの世界一薄い本『フランス人、ドイツっ娘にドビュッシーしてしまう!』が届いた。舞台は普仏戦争直後のアルザス地方。迷ったフランス軍将校は道に迷ってとある村にたどり着くがそこでドイツっ娘に襲われてドビュッシーしてしまうという内容であった。友人は本の解説だけでは飽き足らず、わざわざ僕のために手書きでここがアキバではどういう意味になっているかというどうでもいい説明を長々と書いていた。『凄いだろ?』と彼はシーンごとにいちいち説明をつけた。『これを十九世紀のドイツとフランスに挟まれた田舎で書いていたんだぜ。ヤバすぎて体がドビュッシーしてしまうだろ?今でも新しすぎるだろ?』と煽るように書いていた。僕は耐えきれずに萌え絵のイラスト付きの薄い本を叩きつけて叫んだ。

「やっぱり薄い本じゃねえかよ!」


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