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小説の叩き売り

 最近自分で出した本を手売りだけで100万冊売った人がいるという話を聞いた。

 なんでもその人は今でも毎週の日曜日の午後に秋葉原の駅前で実売会なるものをやっているらしい。

 彼と同じように小説を書いている私はそれを聞いてその実売会に興味が湧いてきた。

 どんなにすごい小説でも出版社の営業と宣伝なしに100万冊なんて売れるはずがない。個人がコミケなどで売ったってせいぜい50冊程度だろう。

 だがこの100万冊売った作者はコミケさえ行かないで毎週秋葉原の駅前でやっている実売会だけで100万冊売ったのだ。

 口コミですらない方法で小説がそんなにも売れるとは。一体どんな内容なのだろう。読み始めた瞬間に涙が止まらなくなる感動ストーリーなのか。はたまた驚天動地のどんでん返しのミステリーなのか。

 それと下世話な話だがやはり彼がどのぐらい稼いでいるのか気になった。自分で出した本だから本の売り上げはほとんど作者が貰っているはずだ。百万冊だといくらになるのか。

 これはやはり一回実売会に行って見なければならない。本の内容も、その売り方も。私はそれらを学ぶために日曜日にさっそく秋葉原の駅前へと向かった。


 秋葉原の駅前に着くといきなり『眠れない夜にはこんな事を…… 実売会!午後2時から開始!』とデカデカと朱色と黒の筆で書かれた横断幕が目についた。横断幕の下にはすでに人が集まっており、みんな作者の登場を今か今かと待ち侘びているようであった。

 客は女性がほとんどであった。若い人や多少お年を召した人たちだ。彼女たちはまだ来ないの?もう待ちきれないわとか話し合っている。私は彼女たちの会話を聞いてきっと作者はイケメンなのだろうと思った。私はもしかしたら彼女達は作者とのお付き合いがしたくて毎週の本を買っているんじゃないかと考えて落ち込んだ。

 作者がルックスで売ってるなら私にはまるで無理だ。やっぱり売れる人間にはルックスが必要なんだ。私は一瞬実売会など見るまでもないと思って帰ろうとしたが、だがここまで来たからにはとにかく見るかと思い直しそのまま女性たちと一緒に作者を待った。

 2時少し前に日によく焼けたオヤジが笑顔で大量の本がつまれたリヤカーを引っ張ってこちらまでやってきた。どうやら実売会用の本を運んできた運送業者らしい。周りの女性たちはリヤカーの本に向かって一斉に「夢見さ〜ん、夢見速雄さ〜ん」と作者の名前を熱っぽく呼びかけていた。

 私は運送業者が運んできた本に対するこの熱烈ぶりに作者が出てきたらどんなパニックになるのだろうと思ったが、その時いきなりオヤジがリヤカーの上に乗ってこう言ったのでビックリしてしまった。

「お待たせしたな!毎週恒例の夢見速雄さんの『眠れない夜にはこんな事を……』の実売会だ!おいババアども先週も本買ったのにまた買いにきてんのか?全く懲りないねぇ。では始めます。私夢見速雄がお送りする『眠れない夜にはこんな事を……』実売会只今よりスタート!」

 私はこの読書とはなんの縁もなさそうに見えるオヤジがこの手売りで100万冊売った本の作者であることに驚いた。オヤジは驚く私の前で丸めた原稿用紙らしきもので積んだ本を叩きながら次から次へとこんな事を捲し立てていた。

「この世の中何が必要かって睡眠だよ。最近バカ売れしてヤフオクやメルカリでプレミアがついてるヤクルト1000。お前らババアも飲んでるだろ?オラぁ、この間どっかの地下鉄の自販機で警備会社の制服着てた奴が大量に買い占めてるの見たぜ。あいつぁ、きっとプレミア価格でネットに出品するつもりだぜ。とにかくみんなそれだけ睡眠を求めている。今の世の中に足りないのはなんだ。そりゃ睡眠だよお姉さんたち。だけどヤクルト1000は自販機でなかなか買えない。かといって睡眠薬は危ない。そんなあなたにピッタリなのが私が書いたこの小説『眠れない夜にはこんな事を……』だよ。ヤクルト1000も睡眠薬も飲めば減る。だけどこれはいくら読んでも減らねえんだよ。読んだらいきなりグッスリさ。効果はてきめん、しかも何度でも使用できる。もう買うしかないでしょ!」

「ああ〜!欲しいわ!欲しいわ!今夜はグッスリ寝たいわ!」

 女性たちはそう叫んでリヤカーを取り囲んだ。私はその光景に呆気に取られていたが、オヤジはその私に突然声をかけてきた。

「お兄さん、お兄さん!アンタこんなとこに来るなんて珍しいねぇ!いつもはブサイクかババアしか来ないのに。お兄さんは特別に半額で売ってやるよ!いいからこっち来ない!」

「ええっ〜!ずる〜い!」

 私は躊躇ったがオヤジと女性たちの羨望の眼差しに飲まれてしまい結局本を買ってしまった。


 その帰りである。私は電車の席に座っていたがそこで実売会で買った本を見てみる事にした。どうやらこの本は小説自体の内容ではなく小説のもたらす睡眠効果で売れているらしい。現代の女性は様々なストレスを抱えている。このまま小説はそんな女性たちの癒しになっているのだろうか。だとしたらこの小説が手売りだけで100万冊売れるのも納得がいく。あの小説を求めて熱狂する女性たち。そんな彼女たちがひと時の救いを求めてこの小説を求めたのだとしたら。

 私は本が破れぬように注意して開いた。しかしその出だしの文章を読んだ瞬間急激に睡魔が襲ってきたのだ。何故かわからない。薬物の匂いなど全くなかった。


「うるせえんだよバカヤロウ!この酔っぱらいいい加減に目を覚ませ!」

 と誰かが私を怒鳴っていた。もしかして爆睡してイビキをかいていたのかと体を起こしたのだが、自分はなんと電車の地面に寝ていたのである。しかもなんか風が直接当たって寒いなと感じて胸元を見たらなんと裸であった。衣類とカバンは几帳面に畳まれて脇に置かれ、例の本はしっかり股の間に、粗末なものを隠すように、収まっていた。



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