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《長編小説》小幡さんの初恋 第二話:小幡さんと鈴木 その1

 小幡さんの本日二度目の説教を浴びた社員たちは、夕方に小幡さんがセットしておいた入り口付近のトレイに各々の日報を提出し、入り口手前で立っている小幡さんに申し訳無さそうに一礼してから次々と帰っていった。その社員たちを「来週もよろしくな!」と声をかけて見送っていた社長と専務は社員が粗方捌けたのを見て小幡さんの所にやってきて、さっきは悪かったと二人して小幡さんに謝った。専務はそのまま無表情で社長に家に帰ると言って出ていったが、社長はそのまま残り、さっきのコロナの件について言い訳がましく自己弁明を始めた。

「いやあ、俺はちゃんとやってたし、アイツラにもちゃんとやるようには言っていたつもりなんだ。ハハハ!ところでさっき弟のやつが言ってたことホントなの?経理から見て弟の言う通りまずい状況なの?」

「えっと、たしかに業績は下がってますけど、徐々にって感じで心配するほど下がってはいませんよ。確かにこれ以上赤字が続くとちょっと心配になってきますけど、今の所は大丈夫だと思います。それに今日岡庭くんが久しぶりに大口の契約取ってきてくれたじゃないですか。その契約の進展具合によったら今年は黒字にすることも出来るかなって思います」

「やっぱりそうか!あの野郎赤字赤字って騒ぎやがって!あの野郎いつもそうだ!騒ぐだけ騒いで考えることが財布の紐を締めることなんだから!なあ、小幡さん、お願いだからアイツの代わりに専務になってくれねえか?あんな大学まで行って何勉強したんだかわからねえ無能よりあんたのほうが絶対優秀だよ!」

「からかわないで下さい!今言ったこと全部専務に言いますよ?」

「おっと、冗談だよ!冗談!大体そんな事したら弟と裁判沙汰になるわ!」

 と社長はここで話を切って急に真顔になり、再び小幡さんに話しかけた。

「そういえば小幡さん、うちに入って何年ぐらいになる?」

「今年で十二年目です」

「もうそんなに経つのか。小幡さんが面接に来た時ウチの家族みんなびっくりしたもんなぁ。おふくろなんか泣き出したりしてさぁ。昔学校の先生とよく一緒にウチに遊びに来てたあの子が面接に来たよっさ。俺もビックリしたよ。先生の腰ぐらいしかなかったあの子がこんなにデカくなるなんてさ」

「大きくなってすみませんねえ。別になりたくて大きくなったわけじゃありません!」

「おっと、俺は別に身長の事を言ったわけじゃねえぞ。誤解しないでくれ。時の流れって本当に早いっことを言いたかっただけだよ。とにかく小幡さんがウチの会社に入ってくれてよかった。あの馬鹿の弟と二人だけでやってたら今頃はホントに会社を畳んでるとこだわ。この谷崎商事は小幡さんあってのものだ!」

「そうやって私を持ち上げてくれるのはありがたいですけど、だからって何でもかんでも私の所に持ってくるのやめてくださいね。私の体はひとつしかないんだから」

「ハッハッハ!何いってんだよ。今は小幡さんだけじゃねえだろ。後からいろんな奴が入ってきたじゃねえか。サブリーダーの新堂だってそうだし、今日大口の契約とった岡庭だってそうだ。そして今年は久しぶりに新入社員の丸山が入ってきた。それに鈴木さんもいる」

 小幡さんは鈴木の名前を聞くとハッとして社長を見た。その小幡さんに向かって社長は聞いた。

「なぁ、鈴木さんはうまくやってんのかい?小幡さんから見てこれからもやっていけると思うかい?正直な評価を聞かせてくれ。あの人二年契約だからもうじき更新するかどうか決めなきゃいけない。それでさ。俺は小幡さんの評価次第によっちゃ正社員にすることも考えてるんだ」

「鈴木さんは全く問題ないと思いますよ。むしろこっちが助けてもらってるくらい」

「だろうな。よし、契約更新は勿論するとして正社員のことも考えとくか。だけどさ、あの時小幡さんが鈴木さん採用したいって言わなかったら俺あの人を採用しなかったよ。だって経歴見たらとんでもねえじゃねえか。あんな別世界の人がなんでうちみてえな郊外のちっぽけな会社に応募してくるのかと思ってさ、ホントに最初揶揄われてるのかと思ったぜ。俺も弟もどうせ採用しても半年もしないうちに辞めるだろうって思って落とそうとしたんだけど、小幡さんだけは採用を主張したよな?あの人は絶対やめないってさ。そして小幡さんの言う通り鈴木さんは今も会社にいるんだな。だけどなんで鈴木さんはやめねえって思ったんだ?やっぱり事務の勘かい?」

 小幡さんはうつむいてしばらく考えた後で言った。

「なんとなくかな。なんとなくです。なんか話してみて凄い誠実そうな人だって。この人だったら信用できるって、そんな感じがしたんです」

「そっか、確かに誠実で真面目なところはあるわな。ただ真面目すぎるところもあるけど。それは小幡さんも同じか。確かにお二人さんは気が合うよ。ハッハッハ!まあ、とにかく小幡さん鈴木さんがいればとりあえず会社は安泰だな!」

 社長はこう言って笑った後、誰もいなくなったはずの事務室を見回したのだが、彼は奥の経理が使っているテーブルのPCの後ろにまだ誰かが残っているのを見るとビックリして小幡さんの方を向いた。

「おい、小幡さん。鈴木さんまだいるぞ」

「えっ、とっくに帰ったと思ったのに!」

 二人はすぐに鈴木の所に行こうとしたのだが、しかし突然事務室のドアが荒々しく開いて小太りの中年女性が社長の元に駆け寄って手を掴んだのだ。

「アンタいつまで会社で油売ってるのよ!大変な事が起こったから早く家に帰るわよ!」

「馬鹿野郎!会社に来るなって何度も言ってるだろ!家が隣だからって気安く入ってくんな!」

「な〜にが気安く入って来んなよ!私さっきからずっとアンタに電話してたけど全く出なかったじゃない!いつまで経っても出ないから来てみたらま〜た小幡さんをちょっかい出して!迷惑だからやめなさいっていつも言ってるでしょ!」

「変な誤解させること言うな!で、なんだよその大変な事ってのは!」

「まさおがまた停学になったのよ!校舎でタバコ吸って!しかもそれを注意した教師を殴ったのよ!」

「そりゃホントに大変だ!あの野郎!今度という今度はぶん殴ってやる!おい、小幡さん後はよろしくな!」


 社長は小幡さんにこう伝えると奥さんに引っ張られて家に帰っていった。残された小幡さんは鈴木の席に向かい彼にすぐ業務を切り上げて帰るように伝えた。しかし鈴木業務を止めずモニターを指しながら小幡さんに言うのだった。

「さっき、今日まとめた先月分の交通費を確認してみたんだけど、楢崎さんの担当の入力データが丸々抜けているのを発見したんだ。多分楢崎さんがソフトをいじったりなんかして消えたのかなと思う。

「えっ、それはどういうことですか?で、今からまた作り直さなきゃいけないんですか。どうしよう今週で仕上げなきゃいけないのに。あの、鈴木さん見つけてくれて本当にありがとうございます。後は私が残って全部仕上げますので鈴木さんはもう終わりにしてご帰宅の準備をして下さい!」

「いや、大丈夫だよ。僕が代わりに殆ど入力しておいた。もうすこしで終わるから続けさせてもらっていいかい?」

「あっ、でも鈴木さんもうお疲れでしょ?私が引き継ぎますから鈴木さんは早くご帰宅の準備をしてください。元々は監督を怠った私の責任だから私がやるべきなんです。だから鈴木さんは家に帰ってゆっくりやすんでください。お願いします」

 責任感の強い小幡さんは本来自分が見つけるべきミスを見過ごしていた事に強い責任を感じた。データの抜けを見つけてくれただけでなく、代わりに入力までしてくれた鈴木には感謝の言葉もないが、やはり自分の責任は自分が取られねばならない、鈴木に自分のミスをかぶらせるわけにはいかないと思ってどうにか彼を帰らせようとしたのだ。しかし鈴木は決然とした表情で小幡さんに言った。

「いや、僕が最後までやる。僕はやりかけた仕事は放っておけない人間なんだ」

 小幡さんは鈴木の表情を見てこれはいくら説得しても無駄だと観念した。彼女は諦めて鈴木に言った。

「わかりました。じゃあ私そばで確認しますからどうぞ続けてください」





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