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今年で終わりよ

「今年で君と会うのも終わりなんだね。これっきりってことか。だけど最後に一つ聞かせて欲しい。君は実在しているのか?それとも僕の意識の反映に過ぎないのかい?答えてくれよ。君は天国から僕に空いに来てくれているんだろ?」

 レストランで男はこう向かいに座っている女に聞いた。どうやらかなり酔っぱらっているようだった。女は男の問いに答える代わりに笑みを見せた。

「君、もうはぐらかすのはやめてくれよ。幽霊でもいいんだよ。君は僕に会いに来てくれているんだろ?」

 女は笑うのをやめて男を憐れむような目で見た。それからしばらく黙っていたが、不意に男の手を取って言った。

「残念だけど、完全に実在するとは言えないわ。私は実在すると言えるし、あなたの妄想の産物とも言える。だって私はあなただけしか見えないし、そのあなたの意識自体が不安定に揺らいでいるんだもの。あなたは目の前にいる私を私だと思っている。だけどあなたは私が死んでから記憶の中で私という人間を都合よく変えてしまっているのよ。私は今そのあなた記憶の中にある私という人間を演じているのよ。思い出は美化されるってよくいうけど、されたものにとってはあまり気持ちのいいものじゃない。あなたはもうメイクした写真の私しか覚えていないし、私の生きている間あなたをうんざりさせた部分なんかすっかり忘れているんだもの。結局あなたは先へと進むのを恐れて私という幻想に甘えているだけなのよ」

 そんなはずないだろと男は叫んだ。すると女は笑った。

「今ね、私あなたが私に言って欲しいと思ってる事を言ったのよ。あなたはいつまでも私が死んだ事を認められずにいる。私はそんなあなたが耐えられないの。あなた私はもういないのよ。どこの世界にも、幽霊でもわたしは現れないわ。だから私の事は思い出に閉じ込めて先へと進んで欲しいの。さっき私はあなたが私をすっかり忘れていると言った。だけどね、それはしょうがないことなの。人間の記憶はVTRとは違う。全く当てにならない記録なの。あなたは知らず知らずに未来へと進んでいるの。もう過去には戻れないのよ。だから私今年限りであなたの元から消えるわ」

「待ってくれ、なんでそう慌てるんだよ!まだ一時間以上あるじゃないか!いやだよ!君と会えないなんていやだよ!」

「今まで楽しい思い出ありがとう。死ぬ前に言えなかったから今言っとくよ」

「消えないで……」


 誰かに肩を叩かれて男はハッと目を覚ました。目を開けるとそこに警官がいた。彼はゆっくりと周りを見渡してそこに女の影もない事を認めた。目覚めた場所はレストランではなく公園の東屋であり、手に持っていたのはワインではなく缶酎ハイであった。

「あの、大丈夫ですか?ここで寝ていたら風邪引きますよ。早くご自宅に帰ってくださいね」

 警官はそう言って自転車で去って行った。男は先程の女の言った事を思い出した。多分彼女はもう二度と俺の前に現れない。彼女が実在したのか妄想の産物であったのかもうどうでもよかった。とにかく重要なのは彼女がもう二度と自分の前に現れないという事実だった。明日から別に何かが変わるわけではない。ただもはや夢には生きられない。そんな無味乾燥な現実を生きなければならない事を見に沁みて感じるのであった。

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