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至極の一杯

 都内某所にあるラーメン屋『至極のラーメン』の店主はこだわりの男である。いつも朝一からスープを煮込み、何度も味を確かめて、理想の味に少しでも合わなかったらスープを丸ごと捨ててしまう。それを何度も繰り返し、ようやく完成した理想のスープでラーメンを作るのだが、そのラーメンスープを客が少しでも残そうものなら、店から飛び出して客を捕まえて何故スープを残したと小一時間にわたって容赦なく問い詰めていた。男は今日もカウンターに並んだ客を見渡して客がラーメンを残さないか監視していた。この客たちは彼がこの地に店を開業してからの常連客だ。彼は毎日朝一からこの客たちに電話をかけて夕方には必ず来いと説得して無理やり来させているのだ。客は店主の顔色を伺いながら恐々と麺を啜り、汗をかきながらスープを啜る。その間店主は延々とラーメンについて一席ぶっていた。
「全く最近の客ってのはラーメンの食い方も分からねえんだからな!ラーメンは麺だけ食ってりゃいいってもんじゃねえんだよ!スープが一番なんだ!お前らはわかるよなぁ!毎日こうしてきてるんだから!」

 その時男女の二人連れが入ってきた。彼らは店に入るなり「ここかぁ、あの有名な」と言いかけたが、周り常連客が一斉に厳しい目で自分たちを見たので慌てて口を噤んだ。店主は客の顔をまっすぐ見つめ「お二人さん?」とボソリと聞き、客が店主の凄むような視線に慌ててうなずくと指でカウンター席を指した。そして客が席に座るなりこう言った。
「うちは普通の中華ラーメンしかないんでね。中華ラーメン作らせてもらうよ。餃子もチャーハンもないからな。それが嫌だったらさっさと出て行ってくれよ」
 客はすっかり恐縮してしまい、うなずくことしか出来なかった。

 店主がラーメンを作っている時、客の女の方が男に向かって喋りかけようとしたが、その時また常連客の厳しい視線が飛んできた。女は男と顔を見合わせた。どうやらこの店にはおしゃべり厳禁という暗黙のルールがあるらしい。周りを見ると客たちは無言で麺を啜り、汗をかきながら必死にスープを飲み込んでいる。その沈黙の中で店主はネギを刻み、スープの味を何度も確かめている。やはりネットの情報通りだと男女は顔を見合わせて納得した。

「へい、お待ち」と店主が言ってどんぶりを出しできたので客はどんぶりを覗き込んでラーメンを見た。シンプルな中華麺である。具はネギとメンマとなるとだけだった。その麺はこしがありそうで、かなりの食べ応えがありそうだ。そしてこの店の自慢であるスープだが、煮込まれた鶏ガラ醤油のスープの上に油が金箔のように広がっていた。客の男女はまず麺よりも評判のスープを確認したかった。彼らはレンゲを持ちゆっくりとスープを啜った。スープの香りと味が彼らの口の中に広がっていく。やはり……。

「やっぱりマズイよこれ!今まで食べたラーメンの中で最狂のマズさじゃん!ヤバイヤバイ!お前これどう思う?」
「噂どおりじゃん!来てみてよかったわぁ〜!こんなマズイラーメンスープはじめて飲んだよ!」
 客の男女のあまりに無礼極まる暴言に激怒した店主は客に向かって叫んだ。
「なんだお前ら!いきなり人のラーメンにケチつけやがって!マズイたぁ?お前らなんかに俺のラーメンスープがわかるわけねえだろ!俺がこのスープを作るためにどれだけ苦労したと思ってるんだ!田舎の自然で育てた鶏を買い付けて、それを自分で捌いて、一日中煮込んで出汁を絞り出しているんだ!そんなスープがまずいわけねえだろ!」
「いや、俺ら食べログで見てここに来たんだよね。ここの店評判になってるんだよ。世界一クソまずいラーメン屋だって。『ラーメンは麺はともかくスープが最狂にクソまずい。まるで野生味を丸ごと煮込んだクソマズさは一見の価値あり。さらに食べながら汗かいて必死にスープを啜る客と何か勘違いしたような店主の最悪の客の応対を体験すると、そのスープのクソまずさが倍に楽しめます』ってレビューに書いてあったんだけどホントだったわ!」

 店主は客の言葉に呆然として店内を見回した。男女の客はニヤニヤして彼を眺め、常連客も恐々と彼を覗いている。店主は常連客を指差しながら男女の客に言い返した。
「そんなネットの情報間に受けてわざわざここに食いにきたのか!それでマズイなんて喚き出したのか!何が最狂のクソマズさだ!それはラーメンがマズいんじゃなくてお前らの舌がおかしいだけだろ!現にこのスープの味を味わいたくて毎日ここに来ている客もこうしているんだ!コイツらをみろよ!コイツらは仕事が終わるなり毎日このラーメン屋に駆け込んでくる!お前らとコイツらのどっちが正しいか一目瞭然だろ!」

 その時常連客の一人が立ち上がって言った。
「いや、そこのお連れさんの言ってること正しいよ。友達だから今まで気を使って言えなかったけど、あんたのラーメンクソまずいよ。マズイって形容詞じゃ足りないぐらいマズイんだ。シーラカンスの煮付けを無理やり食わされたぐらいマズイ。ウンコ味の豚骨ぐらいマズイ。くさやにウンコを入れたスープぐらいマズイ。それから……」



 

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