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画家を上手いと褒めるのは適切なんだろうか

 私は前々から画家を上手いと褒めるのに違和感を持っています。時たま行く展覧会などでそういう言葉を耳にするたびに頭45度に首を傾げようとして勢い余って首がもげそうになります。いや、画家が上手いの当たり前じゃんとつまらなくて盛り下げる、先年イギリスで流行ったらしいワイアットする的なつまらないツッコミをしてやりた口なります。これがピカソとかに言われていたら素朴な誤解だとその無邪気さがむしろ微笑ましく思えるのですが、どう見ても下手ではない、むしろパッと見て上手い事がわかる画家にさえこんな褒め言葉が語られているのです。私は人がこう言うのを聞くたびに、画家が面と向かってそれ言われたら嫌だろうなと思うわけです。想像してみてくださいよ。昔からそうですけど、画家の人って殆どの人は美大とかで芸術を勉強しているわけじゃないですか。美大には入っていない人だって自分の方法でとにかく絵の勉強はしているわけじゃないですか。そんな画家さんに向かってあなたの絵は上手いですねなんて口にできます?だって上手いのは当たり前なんですよ。画家さんはずっと絵の勉強をしてきたわけですから。

 これは絵だけじゃなくてなんでもそうだけど、結構今だになんでも上手い事が尊いみたいな風潮があってたとえばちょっと歌の上手い芸能人なんかをやたら褒め上げるみたいな事があったりします。でも今の世の中うまいだけじゃやってはいけないんですよ。現代でうまいなんて通用するのは天かす生姜醤油全部いりうどんとか料理ぐらいです。そうなると結局個性しかなくなるんです。多分それを一番最初に察知したのが印象派の画家たちじゃないかと思います。マネとモネから始まる印象派が世に提示したものは個性があれば技術は二の次でよいという事だったのではないか。勿論マネもモネが美術教育をちゃんと受けた人たちなのですが、彼らの登場がセザンヌやアンリ・ルソーのような個性は溢れるほどあるが技術がない画家、あるいは素人画家同然だったゴッホなどに道を開いたのではないかと思うわけです。

 試しに何人かの画家に同じ石膏のデッサンをもらったとして、それがみな見たままを精巧に描いていたとしたら、名前を確認しなければほぼ誰の作品かわからなくなるのではないでしょうか。同じ石膏を上手く描いても没個性的なものしか出来上がりません。画家たちが石膏のデッサンで自分の絵を他の画家たちのそれと差別化出来るものがしたらそれは個性しかありません。

 とはいえ勿論個性だけではダメで、自分の個性をアピール出来る方法が必要になってきます。つまりそれはセンスです。セザンヌもアンリ・ルソーもゴッホもこのセンスに長けていました。彼ら以降の絵画は上手さよりもよりも個性とセンスの方が重要になってきます。勿論個性とセンスはそのまま出してよいものではなく、徹底的に磨き抜かれたものでなくてはありません。それは上手さを身につけるより遥かに困難な事なのです。だからとさっさと締めに入りますが、私はやっぱり画家を上手いと褒めるのはあまり適切でないと考えるのです。まぁ、他のジャンルの音楽でいうとホロヴィッツやグレン・グールド、そしてイングウェイ・マルムスティーン伯爵閣下のような天才演奏家は素直に上手いと感嘆できるんですが。

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