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幽霊が消えるまで

 幽霊などというのは存在しない。超常現象などあるはずがない。もし実在しない誰があなたのそばに現れても、もしあなたの近くで異様な現象が頻繁しても、それはすべてあなたの精神の異常に過ぎない。これは僕がずっと思っていた事だし何度となく周りの連中に話した事である。先日亡くなった配偶者があなたの枕元に現れても、その配偶者の葬式でトラブルが続発してもそれはただの精神の異常に過ぎない。たとえそれがあなただけでなく周りの人間も同じように亡くなった人の姿を見、そしてトラブルに出くわしたとしてもやはり精神の異常に過ぎない。何故なら精神の異常というのは非常に伝播しやすいものだからである。昔とある人から出棺の時に突然豪雨が降ったという話を聞いた。その人の話によると棺桶の中に入っていた母親が火葬されるのを嫌がって雨を降らしたそうである。だがこんな話はまともに取り合うべきものでなく、哀れみの気持ちで話を聞いてあげるものだ。

 近しい人の死は周りの事象ではなく、死に立ち会った人たちの意識に影響を与える。冒頭に挙げたいくつかの例はこれらの現象は全て精神の一時的な、ある人たちにとっては永続的になるかもしれない異常状態の現れに過ぎない。それは足を失った人間がしばらくの間足を無くした事を実感できないのと同じ事だ。

 僕は今その異常状態に陥っている。妻を亡くして三ヶ月毎夜妻の幻影に出くわす。幻影の妻は時々僕に語りかけてくるが、彼女は所詮僕の意識の反映に過ぎないので、全てが既知のことばかり、そうでなくても僕が知っている妻が言いそうな事に過ぎない。だが僕はその妻にどうしようもなく実感を感じてしまう。彼女は時々僕に向かって寂しいと訴える。ある時などあなたは絶対に私を忘れるはずと言い放った。確かに人間の記憶などいい加減なもので決して忘れないなどと断言はできない。それが故に僕は妻の言葉が辛い。あなたっていつもそうなのよ。誰よりも自分が一番大事なんだわ。こんな生前の妻なら絶対に言わなかった事を幻影の彼女は言った。これはきっと僕が彼女に対して持っていた罪悪感の現れだろう。僕は生前の彼女に対して完全に心を開いているとは言えなかった。僕はそうするよう努力はしていた。だが、それが出来ないまま時は過ぎ、そして彼女は死んだ。その未練が今こうして幻影の形を取って僕を責めているのだ。ここにはもはや彼女はいない。そしていずれ記憶の中で彼女の記憶は編集され、都合よく改竄されるのだ。彼女の幽霊もまたいずれ消え去るだろう。何故なら散々言っているように彼女の幽霊は僕の精神の混乱から生まれた幻覚に過ぎないからだ。彼女と会話することが出来ない現実。そして彼女がこの世にいないのだと認識した時、幽霊は消え去っていくのだろう。その時彼女と暮らした現実は一冊の本にでもまとめられるのだろう。僕によって都合よく美化された記憶によって。だが今はもう少し目の前の幽霊となって現れた彼女と一緒にいたい。たとえそれが精神の一時的な混乱状態から生まれた幻影だとしても。

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