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全身女優モエコ 第四部 第二十一回:全裸の女優宣言!

 通路を慌ただしく歩き回っていたスタッフの連中はモエコを見るなり一斉にこちらを向いて挨拶してきた。その際彼らの若干顔を下に向いていたのはモエコのバスローブの下の豊満な胸の谷間が露わになっていたからだろう。彼らの好奇の視線を浴びてモエコは女王のようにゆっくりと進んだ。しかし今のモエコは女王ではなく、ギロチン台に向かう王妃マリー・アントワネットであった。

 ああ!私はこれからモエコを待つ運命を想像して頭が真っ暗になった。ベッドというギロチン台に乗せられて死刑執行人のバカアイドル南に体の至る所を陵辱されるモエコ。南狭一はモエコが前貼りをつけていないと知って喜んで自分の前貼りを剥ぎ取るだろう。いや、もしかしたら奴もモエコと同じようにつけていないかもしれない。その姿をロマンポルノ気取りのバカ監督がもっと激しく!とか本番よりも本番らしくとか煽りまくるのだ。だがモエコの決心は固く、もう止めようにも止められはしない。

 とうとう収録現場のスタジオの前に着いてしまった。スタジオの扉はまるで監獄のように固く閉じられている。しかし目の前にいたスタッフの奴が「皆さんお揃いですよ」と快活な声であまりにもあっさりと扉を開いてしまった。朝に見た真っ暗なスタジオは今は煌びやかな照明が当てられてその下に大勢の人々が待機していた。その人並みの中を小道具スタッフが忙しく歩き回っている。

 私とモエコがスタジオに入るなりスタッフが「火山モエコさん入りました!」と大きな声で呼び出しを行った。すると一斉にスタジオから拍手が鳴り出した。モエコは初めての歓迎に「ああ!なんて素晴らしいの!みんながモエコをこんなにも熱く迎え入れてくれるなんて!」と感激して恍惚となっていた。


 拍手が落ち着くとスタッフはにこやかな顔で私たちを席まで案内したが、その時に彼は今日の撮影にはドラマの主要キャストの殆どが見学に来ている事を教えてくれた。スタッフの話では先程までキャスト全員で第十話のクライマックスを撮っていたらしい。周りを見ると確かに役の衣装のままのキャストたちがそれぞれの場所で雑談したり、あるいは一人で腕を組んで立っていたりしていた。とはいえ妙な話だった。いくらさっきまで収録をやっていたからといってみんなして残ってベッドシーンの撮影など見学するものであろうか。しかしこれは幸運であった。ここまでキャストがいたらいくら南といえどモエコに手出しは出来ない。これでモエコは無事に救われる。モエコの奴がこんなものベッドシーンじゃない。もっと本気でやってとかバカな事を言い出しても皆笑ってモエコの勘違いを嗜めて撮影を続けるだろう。

 さてそのベッドシーンの相手役のバカアイドル南狭一は離れたところに座っていたが、どうやらずっとあのものすごい顔したマネージャーからお小言を受けているようだった。

「キョウちゃんいい?絶対にあの雌猫の胸なんか触っちゃダメよ!ああいうのは本気にさせたら一番危ないんだから!あなたはただでさえスキが多いんだから、もう狙われないように全身ガードして棒みたいに横になってなきゃダメよ!」

 そこに海老島権三郎がやってきて笑いながらでかい声で南に話しかけた。

「ハハハ!そんなんじゃベッドシーンにならねえだろうが!マグロ男じゃせっかくのファンも逃げちまうぜ。南、ちゃんと本気でやってこいよ。いっそ前貼りなんか外しちまえ。そうじゃなきゃテレビの前のお客さんに本気が伝わらないだろうが」

「海老島先生なんて事おっしゃるの!キョウちゃんはピュアなアイドルなのよ!まだ世間の事を知らない純真な子にそんないやらしいことおっしゃらないで!」

「相変わらずうるさいねえ、おばさんは。ちょっとは黙っててくれよ。ところで大丈夫かい?モエコの方は」

 それを聞いた南は例のイモリのような目でこちらをガン見してきた。そして再び海老島の方に向き直って言った。

「ボクも不安なんですよぉ~。昨日モエコちゃんちょっと撮影でショックを受けちゃったみたいだし。今日ちゃんと演技できればいいけどぉ~!」

 すると今度は海老島がこちらを向いた。さんざん女を食ってきただろうその蛇のような目がモエコを凝視する。

「大丈夫じゃねえか。全然落ち着いているぜ。しかしお前は羨ましいなあ!あんなツルツルした肌の若え女を抱けるんだから!」

「海老島先生またそんな事言って!うちの社長に言いつけますからね!」

「おい、まさかあのホモに俺のケツを差し出せとか言うんじゃねえだろうな!そんなのぁお断りだぜ!じゃあな南!俺は退散するぜ!」

 私は海老島が南から離れて歩きだしたのを見て彼の所に行って先程の差し入れの礼をした。すると海老島はいいってことよとニコリと笑い、私が続けてモエコを呼びましょうかと尋ねたら、急に厳しい顔になり、俺は初めての濡れ場を前に緊張している女優にノコノコ挨拶に行くほど無神経じゃねえんだよと言って、それからこう付け足した。「まあ、将来ある女優火山モエコの一世一代の大舞台を俺が邪魔しちゃいかんだろ」

 この海老島のモエコに対する言葉に私は我が事のように感激した。ああ!あの海老島がモエコに期待している。彼のまたモエコが女優として大輪の華を咲かせることを願っているのだ。しかし海老島が続けて言った言葉で私は一気に現実に返った。

「しかし、衣装で印象がここまで変わるとはなあ。昨日会った時はただの小生意気なガキだと思ったいたのに、バスローブつけたらまるで違うじゃねえか。妙に色香が出ていい感じだぜ。抱き心地がありそうだ」

 ああ!芸能界は百鬼夜行、魑魅魍魎の群れ。油断してはいけない。危険は南狭一だけにあるのではないのだ。私は海老島にお辞儀をして挨拶すると慌ててモエコの元へ向かった。するとモエコがある男と話こんでいるではないか。ああ知性派俳優の蟹谷新三だ!さっき私の挨拶を無視して通り過ぎたのにどういうことなのか。蟹谷は私が来たのを見て一礼して去って行った。私はモエコに蟹谷と何を話したのか聞いたが、モエコは能天気にあのおぢいちゃんモエコのファンなのと答えた。なんでも蟹谷は『情熱先生』のスケバン役を観てモエコに注目したらしい。モエコによると蟹谷は同じドラマで共演出来る事を体が震えるほど喜んでいたらしい。ああ!ここにも危険が!まったく芸能界は恐ろしい。いたるところが地雷だらけだ。


 それからしばらくしてあのロマンポルノ野郎がやって来た。彼は来るなり私とモエコに向かって今日はテレビの限界を遥かに超えるロマンポルノ顔負けの強烈なベッドシーンをやると下卑た声で捲し立てた。彼の話によるともう南狭一のファンを発狂させるぐらいの凄まじいものをやるそうだ。モエコはそれを聞いて引くどころか身を乗り出して監督の話を聞き入っていた。そのモエコの反応に流石の監督も驚いて思わず言葉をつまらせた。恐らく昨日の意気消沈ぶりと今日のこの覚醒ぶりのあまりの違いに動揺したからだろう。一通り撮影シーンの説明をした監督はモエコにいいのかと念を押したが、モエコはキッパリとやるわと答えた。

 撮影の準備は着々と進んでいた。暗かったセットにようやく照明が点いた。これからモエコと南が裸でくんずほつれつになるラブホテルのベッドが下品なピンクの照明で照らし出された。そのベッドを見て私は先程のロマンポルノ野郎の言葉を思い出して急に不安になった。あのロマンポルノ野郎はテレビの限界を遥かに超えるベッドシーンをやると言っていた。それはきっとあのプロデューサーも許可済みに違いない。だからプロデューサーは今夜に限って現場に現れないのだ。いざとなったら責任逃れするために。だがそうだとしてももはや撮影からは逃れられない。ああ!もしかしたら、もしかしたらモエコは南とそういう事になる!だがもう無理だ!


 だが時間は刻々と迫ってきた。現場に集まったキャストは出番を前にしたモエコを気遣ってか。そばによらずただ遠くで挨拶を送ってきた。三添薫も、他の役者たちも皆モエコの成功を祈っていた。そこに突然「こんばんわぁ〜。皆さんお疲れ様で〜す!」という場の空気をぶち壊すような異様に明るい女の声がスタジオに響いた。三日月エリカである。彼女はド派手な普段着で現れると早速モエコの元に近寄ってきた。

「ねぇ、モエコちゃん。エリカがあげたクリームパイ食べてくれた?スウェーデン直産の美味しいお菓子なのよ。特にクリームが美味しくで。ちゃんと頬張って食べてくれた?エリカモエコちゃんがちゃんとベッドシーン演じられるようにあのクリームパイ用意したの。ねぇ食べたの?モエコちゃん教えてよ」

 しかしモエコは三日月の問いに答えない。彫像のように黙ったままだ。三日月はそのモエコに向かってさらに続ける。

「食べていないんだったらベッドシーン終わってからでもいいから食べてね。クリームパイ、本当に美味しいんだから。だけどモエコちゃん本当に偉いわ。だって昨日醜くて陰惨ないぢめを受けたのにこうやってちゃんときてくれるんだもの。エリカそんなモエコちゃんを尊敬……」

 三日月がここまで言った瞬間突然モエコは立ち上がった。私はモエコがとうとうブチ切れたかと恐れたが、モエコは唖然とするほど冷静に笑みを浮かべて三日月に言った。

「エリカ、差し入れありがとう。モエコ、あとで美味しくいただくわ」

 そのモエコの微笑みを見て三日月の顔から一瞬にして笑顔が消えた。恐らくスタジオの雰囲気と死地に向かわんとするようなモエコの覚悟を見て自分が一瞬にして滑稽な存在になってしまったのを感じたからだ。モエコはその三日月を置き去りにして何故かセットの方へと向かった。スタジオ中の視線がそのモエコを無言で追う。一体彼女は何をしようとしているのか。私はモエコに戻るように呼びかけようとしたが声が出なかった。

「一体何を始めるつもりなんだ」誰かがこんな事を呟いた。その時である。セットの前の一番明るいところに立ったモエコが、いきなりバスローブの紐に手をかけて、そのままバスローブを脱ぎ捨てしまったのである。その途端にスタジオからは歓声とも悲鳴ともつかぬ叫び声が鳴り響いた。

 そこには一糸まとわぬ姿のモエコがいた。彼女は今スタジオの中の人間に向かって全てを晒していた。白い肌に豊満な乳房を抱えてこの昭和のミロのヴィーナスは立っていた。モエコの裸体から溢れる汗はまるでプラチナ色に輝くダイヤモンドだ。彼女の股の間に野蛮に仄めく草原は未だ誰にも刈り取られぬ未開の処女地だ。しかしこの田舎育ちのミロのヴィーナスはなんて野蛮なのだろうか。まったく無防備に裸体を晒しおってからに!モエコはそのまま彫像のように立っていたがしばらくするとたわわに胸を震わながら直立して腕を広げはじめた。そして深くお辞儀をして顔を上げてスタジオの人間に向かって声を張り上げて力強く言ったのである。

「モエコは火山モエコとして、本物の女優になるために、ここに来ました!今日はこの体で、全身全霊を込めて、杉本愛美ちゃんを演じ切りますのでよろしくお願いします!」

 スタジオから耳が破れそうなほどの拍手が鳴り響いた。監督以下撮影スタッフはモエコの裸の女優宣言に感激し、キャスト一同もまたモエコを褒め称えた。南狭一はアホみたいにえーっ!と喚き続けながら拍手をしまくり、海老島権三郎も大した度胸だ!とモエコに喝采を送り、蟹谷新三はウットリしてプルプル震えながらモエコを見つめ、女優の三添薫もまた静かに微笑んでモエコの大胆さを称えた。しかし三日月だけは違った。彼女はモエコに向けられた拍手の嵐の中、憮然とした表情で思いっきり舌打するとそのまま駆け足で去ってしまった。

 私はモエコがまだ裸でいるのに気づいて慌てて彼女の元に向かった。私は近くに落ちていたバスローブを拾い上げるとすぐモエコに渡した。モエコは下僕のようにかしずいた私に微笑みかけてバスローブを受け取るとそれを軽く広げてからゆっくり羽織った。 

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