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京都ラーメン

 もし日本一京都らしいラーメン屋を選ぶとしたらそれは洛中の中心にある京都ラーメンしかあるまい。聞けば店をはじめる時そのまま洛中ラーメンと名付けようとしたらしいが、地元の他の商店の反発もあり仕方なく京都ラーメンというありふれた名前にしたそうだ。しかしこの店のラーメンが特に秀でているわけではない。ラーメンはありふれた鶏ガラ醤油ラーメンがメインだし、値段も800円~1000円と他のラーメン屋とさほど変わってはいない。だったらなぜこのラーメン屋が京都らしいと言われるのか。それはこのラーメン屋のとんでもない敷居の高さである。かといってあくまでこの店はラーメン屋であるから、フレンチのレストランのように完全予約制をとっているわけではない。あるいは同じラーメン屋の一蘭のように衝立で客を分けているわけでもない。ではどのように敷居が高いのだろうか。それはもう京都を知る皆さんはおわかりだろう。この洛中にラーメン屋を開いているご夫婦は典型的な京都人だからなのである。

 先日私はしばらく京都に滞在したが、その時にラーメンを食べにこの『京都ラーメン』に行った。勿論私は人からこのラーメン屋の噂を聞きどんな敷居の高い店なのかと興味半分で店に入ったのだ。しかしいざ入ってみると店内は普通でとても敷居の高そうな店には見えなかった。店主も東京の有名店でたまにいるような客に対して高圧的な態度でなく笑顔で「どちらから来はったんと?」と聞いてきたので、私が東京だと答えると相変わらずの笑顔で「遠い所から来てはるなあ~!」と労ってくれた。そして私がどこの席に座っていいか迷っていると、「せっかく遠いとこから来たお客さんやから特等席に座らしたるわ」と私を気遣ってくれて箒が逆さに置いてある席に案内してくれた。すると客の一人が私に声をかけてきた。「ここは庶民的な店やからアンタみたいな遠くから来た人にはつまらへんかと思うけど、とりあえずぶぶ漬けでも食べてき」と言ってぶぶ漬けを奢ってくれた。私はその客の行為に感謝して礼を言ったが、客は「かまへん、かまへん、これはうちの気持ちや」と笑顔で答えた。そうして私は出されたぶぶ漬けを食べ終わって、さぁラーメンを食べようと注文しようと店主を呼ぼうとしたが、今度は店主が俺の奢りやとぶぶ漬けを差し出してきたのである。私はもういらないとは言えず出されたぶぶ漬けを大人しく受け取ったが、やはり食べたいのはラーメンである。それで私はぶぶ漬けに手をつけず他の客がラーメンを美味しそうに食べている見ていたのだが、客がそれに気づいたのか私に向かって、「アンタみたいな遠くからわざわざ上京してきた人にはこれは口に合わへんよ。やっぱり庶民的な食べ物やからな」と言った。すると店主が「そうや、そうや、遠くから上京してきた人にはうちの庶民的なラーメンは口に合わへんな。もっと離れたところにお客さん向けのラーメンありますわ」と言った。結局私はずっと店主やら客からの奢りでぶぶ漬けを食わされラーメンを食べることなく店を出たのである。

 私は京都から帰ると京都出身の同僚にそのことを話した。やっぱり京都は敷居が高いよと。すると京都出身の友人はそれは違う。お前が悪いんやと答えたのである。私は友人の返答に納得いかず少し腹が立って、なんで俺が悪いんだ。俺はラーメンを食べようとしたのにぶぶ漬けで返されたんだぞと友人を問い詰めたのである。友人は私の言うことを聞いてしばらく沈黙してから口を開いた。

「お前、そのラーメン屋に誰かに紹介されて入ったんちゃうやろ。勝手に入ったんやろ?やったらイケズな対応されて当たり前や。そんなん東京みたいな東夷の街では許されても洛中では許されへんで。あんなぁ、洛中ではな、店に入る時も挨拶が必要なんや。誰か知り合いにな。ちゃんと店紹介してもろてから店行くのが礼儀なんや。洛中にに知り合いがいなかったら作るまでどこにも行ったらあかんねん。それが分からないんやったらもう都に行くのはやめとき!」


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