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天然と天才

 最近アートづいている秋時間です。今度はピカソについて語りたいと思います。ピカソといえば一般的にはキングオブ変な絵の人でありまして、展覧会などで時たま笑いが漏れることがあります。そんな人たちはピカソが少年時代に描いた写実的な、一般的に観てすごくうまい絵を観るときっとびっくりしてこう言うでしょう。「ピカソって意外に絵がうまいんだね」と。しかしちょっとアートに詳しい人には彼がすごく絵が上手い事は常識なはずで、ピカソが絵の上手いのは当たり前だ。この一見子供の落書きにさえ見える絵だってちゃんとした方法論で描いているんだと怒るかもしれません。私個人はピカソが絵が上手かろうが下手だろうがどうでもいいのです。大体今のアートで絵が上手いなんて評価の基準になりますか?現代アートなんかであの人は絵が上手いから一流だなんて論じたら失笑ものでしょう。今のアートって感性が全てなわけです。ピカソだって感性で売っていたのですから。

 ではアートはいつからアイデア先行になったのでしょうか。多分それはきっとセザンヌあたりからだと思います。セザンヌは印象派の画家と言われますが、この印象派っていうのは技術よりも感性を重んずるっていう西洋美術史上最も画期的な運動でありまして、印象派前期のマネやモネはたしかに技術的にも凄い上手い画家でしたが、彼らに続く後期印象派と呼ばれる画家たちの中にはセザンヌやアンリ・ルソーのように感性は異常に優れているものの、技術が明らかになかったり、またゴッホのように成人してから本格的に絵を習った人たちがいて、印象派はそんなこれまで画家としてとても認められないような人たちに門戸を開いたわけです。

 ピカソはそんな印象派の中でも特にセザンヌやルソーに影響を受けました。幼き頃から父親に美術の英才教育を受け早くから才能を発揮していたピカソがなぜこのど下手くそともいえる二人に影響を受けたのでしょうか。それはこの二人が感性においてもう天然としかいえないぐらい本物であったからです。ピカソは幼い頃から父親に絵の教育をみっちり受けていて、また本人も酷く早熟で十代にしてくろうとはだしの絵を余裕で描けたのです。そんな彼がパリでセザンヌやルソーを絵を見てなんと思ったでしょうか。彼の感性が低ければ単に下手くそな絵と一瞥をくれて去ってしまったかもしれません。しかしピカソには幸運な事に感性が溢れるほどの感性がありました。ピカソは正しくこの二人の絵に新しき時代の絵を見たのです。彼はこの二人の絵を見て自分のこれまで描いた絵が全否定されるほどの衝撃を受けたでしょう。

 これからの芸術に技術よりも感性、いや技術など全く不要なのだとピカソは感じたに違いありません。彼はセザンヌやルソーに対抗して新しき絵画を作り上げんと切磋琢磨しますが、その過程で彼は自身もセザンヌやルソーに習って技術を捨て去って感性のみで絵を描くことを試みました。だけどピカソという人は先程も書いたように幼い頃から父親にみっちり絵画教育を受けていてしかもあまりに簡単に覚えてしまうから多分子供の落書きみたいな絵は殆ど描いていないと思うんですよ。そんな人が自分の持ってる画家としての技術を一旦ゼロにして思いついたままに描くっていうのはすごく大変だったと思います。大体子供のように絵を描くっていっても自分が子供の頃はそんな絵を殆ど描いた事がなかったのですから。でも彼はそれを成し得た。それどころかそれを自分のセールスポイントにまでする事ができた。私はそこにピカソの天才を見ます。

 冒頭で私はピカソが一般的に変な絵のキングだと言われていると書きましたが、そう我々に思わせるのもやはり天才だからというべきでしょう。我々はどんなに時が流れようが彼の絵を普通の絵とは見ないだろうし、見させはしないのだから。

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