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偽名

 二十世紀半ばにデビューし、二十一世紀を四半世紀超えた今もなお精力的に活動する現代文学作家でありノーベル文学賞をとるだろうと言われている小江珍太郎は、自宅の書斎のテーブルの向かいで拝謁するように畏っている出版社の幹部の前に文庫本を投げるように置いた。幹部はその文庫本のタイトルを見て驚きの目で小江を見た。

「小江先生、それはヘルマン・ヘッセの『デミアン』ですか?文豪ヘッセが偽名で発表してその名で賞までもらったという。いやぁびっくりしました。まさか先生がヘッセをお読みだとは。文学者の中にはいまだにヘッセなんて女学生向けの読み物と軽蔑する人もいて。とても先生のお気に召すものではないと思っていたのに。あ、あぁいきなり喋って申し訳ありません。実は私昔からヘッセの読者でありまして、確かヘッセは文学者たちが言うように少女趣味というか、少女漫画そのまんまのものさえありますが、しかし晩年の『ガラス玉演戯』などトーマス・マンやカフカに匹敵する名作だと思うんですよ。先生もやはりヘッセを並々ならぬ作家と評価されているのですか?」

「なんだね、藪から棒に。そんな説明口調でなんでもかんでもまとめて語ってもこちらの頭には何一つ入ってこないよ。長年君と付き合っているが、やはり君には文学の才能が何一つないね。いつまでも用件はさっさと済ませて的な感じで喋るのだから。君程度の人間がいまだに文学に関わっているのは全く不思議だよ。で?ヘッセだが、君はこんなものが好きなのか。(と言いながら小江は文庫本を指で弾いた。)私はただ暇つぶしにこいつを読んでいただけだ。大体私はドイツ物に関して昔から言っているだろう。ドイツに偉大な文学者は殆どいないゲーテ、シラー、ハイネ、ホフマン。その他郡小作家たち。それとさっき君が挙げたトーマス・マン、その兄のハインリッヒ・マン、カロッサとまぁゲルマン風のキッチュで埋め尽くされたような連中ばかりだ。もったいぶった重苦しさと白鳥の舞う湖のバカバカしい混合。芸術のいう名の金メッキで塗られた安物の展示物だ。ドイツ文学で私が認めるのはあの偉大なるカフカ、それとムジールにブロッホだけだ。キッチュの総見本市のドイツ文学の中で彼らだけがキッチュを逃れ、本物の文学を書いている。君の好きなヘッセなどキッチュもキッチュの大キッチュだ。どうしようもない少女趣味。子供向けの絵本以下の代物。全くどうしてこの私がヘッセ如きを認められるというのだ。君は私と何年付き合っているのかね?私から日々文学の薫陶を受けていながら、未だその程度の理解力とは」

 出版社の幹部はこの嫌味のふりかけ状態の言葉にひたすら耐えた。小江は担当編集者だった頃からの付き合いだが、今日ほどあからさまな罵倒を受けた事はなかった。だが彼はグッと堪えテーブルに置かれているヘッセの『デミアン』を見て作家に言った。

「では何故私にヘッセの文庫本など見せたのでしょうか?先生のおっしゃる通りまるで凡人の私にはまるでわかりません」

 小江は困り果てた幹部の顔を意地悪そうに笑って見た。

「君程度の人間には確かに私の言わんとしている事がわからないだろう。ならば教えてやろう。先日私は気まぐれでこのヘッセのダミアン?いやデミアンを読んだのだ。まぁ小説の内容は語るまでのない話だが、解説にさっき君が言ったようにこの小説が偽名で書かれた物だと書かれているのに興味を惹かれたのさ。その事が詳細に書かれた解説を読みながら私は意地悪くこう考えたのさ。私も偽名で小説を書いてなんかの賞を取ってやろうとね。とはいってもこのヘッセのように本名で書いたのと同じようなものではなくて、私の作品とまるで違う、そうこのヘッセのようなキッチュの塊みたいなくだらん小説をさ。例えば純愛ものとかね。偽名で書いた小説が賞を受賞し話題になれば文学知らずのキッチュなハリウッド映画しか観とらん一般人もこの感動的な小説を書いた方は誰と騒ぐだろう。私はその光景を高みから見下ろしたいのさ。筆の遊びで書いた小説でバカどもが大騒ぎする有様を見て大衆というものがいかに愚かしい存在かを確かめたいのだ。これは私のような文学を知り尽くした者のみができる最高級の芸等さ。君たち出版人も私が偽名で書く小説に大騒ぎするだろう。そして突如現れた新人作家を何者かと必死で詮索するだろう。まぁその時を楽しみにしたまえ。もしかしたら君の出版社のぶんがに応募するかもしれないからね」

 小江はこう述べると出版社の幹部は顔をパッと輝かせて超新星作家の登場期待していますとかなんとかお追徴の大盤振る舞いをした。出版界で生きるには己のヘルマン・ヘッセを捨てねばならない。こんな訳のわからない小説ばかり書いているインテリ騙しの作家にも媚び諂わねばならない。彼は最後に小江に向かって私なら先生が偽名どんな小説を書こうがすぐに見つけて見せると断言した。作家はそれを聞いて含み笑いをしてこう言った。

「私は文体の魔術師と呼ばれている作家だよ。その気になればカメレオンのように無限の文体を作る事ができるのだ。君になんぞ私を発見できる訳がないよ」


 幹部が深々と、まるで地に頭がつくが如くお辞儀をして変えると小江は早速偽名の小説に取り掛かった。キッチュを批判する最良の方法はキッチュのまがいものを拵える事だ。紛い物の紛い物は最良の批判となりうる。彼はキッチュよりもキッチュらしくいかにも世間ウケしそうだと考えた物語を綴っていった。書いていると後期高齢者と世間から呼ばれるほど年齢を積み重ねてきた今までの人生の出来事が走馬灯のように現れては消えてゆく。十代で文学への道に進もうと決めてからひたすら小説を書いていた日々。その若書きの小説のヒロインのモデルとなったクラスメイトの花子さん。何十年の時が流れたが今再び彼女をモデルにするとは。ああ!書くたびにあの剥いたみかんのように甘酸っぱい匂いの日々が甦ってくる。小江はいつの間にかキッチュのことなんぞ忘れて無我夢中で小説を書いだ。そしてあっという間に小説を書き上げてしまったのだ。

 小江は小説を書き上げると早速最初から原稿を読んだ。全くいつも自分が書いている小説に比べたら遥かに通俗的でこれぞまさにキッチュとしか言いようのないものだった。だがこの小説こそ本当に自分の書きたかったものかもしれないとも思った。世間はきっとこの青春純愛小説を絶賛するだろう。特に若者などは感動して大泣きするだろう。小江は時に涙を潤ませながら書き上げた原稿を読み、少し手を入れるとたまたま月刊誌で見たラノベの文学賞に応募したのであった。

 応募をしてから小江はひたすら結果を待ち侘びた。彼は大家である自分がたかがラノベの公募の結果をこれほど期待を不安を持って見守っている事に笑った。いくらラノベの文学知らずとはいえ、あのキッチュを超えて究極のピュアにまで行き着いた小説を無視できるはずがない。きっと今頃下読みの編集者たちは突如現れた無名作家の登場に驚愕しているだろう。

 喜ばしい事に小江の偽名の小説は第一次選考を通った。彼はメールでそれを受け取って思わず小躍りした。やはりあの小説はどんか文学知らずにも無視は出来ぬものなのだ。ひょっとしたら私の小説の中で一番売れるかもしれぬ。と喜びに浸っていた小江だったが、サイトで発表された第二次選考の文章を読んで頭が真っ白になった。そこには匿名の編集者の筆でこう書かれていたのだ。

神隠幻光『桃色トワイライト』。ハッキリ言って酷い。何でこんなのが一次選考通ったんだかわからない。多分作者さんすっごいお年を召した方なんだろうけど、その割にろくに小説の書き方わかってないから、もうめちゃくちゃ。女の子も魅力なし。やたらヒロインを可愛い可愛いって言ってるわりに可愛い描写全然かけてないじゃん。あと大事なこと書いとくけど、ペンネームと小説のタイトルだけは何とかした方がいいと思う。こんなセンスじゃどこも相手にしないよ。

 

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