小説修業
小説家になりたい青年は小説家に尋ねた。どうしたら僕は小説家になれますか?
小説家は青年Aの質問を聞いて問い返した。何故に小説家になりたいのだ。
青年は答えた。それは小説が自分にとって自己表現に最も適しているからです。
小説家はふむふむと青年の話に頷き、そして首を振った。青年よ、小説とは自己表現でのみ書くものではないぞ。ただ自分の書きたいストーリーを思いつくままに書いだけの代物はとても小説とは呼べない。よいか小説とはまず人を書き、次にその人が生活している舞台を書き、そして最後にストーリーを書くものだ。それをわきまえなければ小説など書けぬ。しかし今言った事の通りに書けば小説が書けるものではない。
青年は小説家に問うた。では今の手順をどのように書けば小説を書けるのでしょうか。先生ご教示お願いします。
小説家は拳で自分の胸をポンと叩き胸を張ってこう言った。ならば教えて進ぜよう。まず小説にとってなによりも大事なのは描写である。それはさっきも言った通り登場人物の外面と内面を描写して人物を立体的に仕上げなければならぬ。小説の語りの形式は一人称と三人称と、それとあまり例はないが二人称がある。おぬしのような若い者向けにシューティングゲームに例えると一人称はFPSで三人称はTPSだ。現代ではどちらかといえば三人称形式のTSPの小説が一般的であるが、一人称形式のFPSの小説も多い。ちなみに現代西洋文学の基礎である十九世紀の長編小説は殆どが三人称であるが、何故か現在西洋で大流行りしているシューティングゲームは皆FPSである。対して日本文学は昔からの日記文学の伝統で、どちらかといえば一人称の文学が主流であったが、何故か現在の日本では一人称形式のFPS形式のシューティングゲームはあまり作られずTPSばかりが作られている。あの大人気のスプラトゥーンもTPSである。
青年は小説家の言葉を聞いてなる程と思った。西洋では三人称の小説が主流であるが、流行っているシューティングゲームゲームはFPSであるということ。対して日本文学は日記文学の伝統で一人称が主流であったが、日本で作られているシューティングゲームは殆どTPSであること。全くパラレルだ。小説とゲームが真逆だなんて!
小説家は無駄に深く考え込んでいる青年を見て余計な事を言過ぎたと反省した。彼は話を軌道修正しなければならぬと思い再び青年に話しかけた。いやゲームの話は忘れてくれ。私が言いたいのは現在主に使われている小説の形式が三人称と一人称であるという事だ。小説を書くにはこの三人称と一人称をマスターしなければならぬ。というわけでここであれこれ説明してもわからんだろうから早速実践だ。今回は初心者向けに三人称の書き方を教えよう。よいかおぬしは今からカメラとなれ。
青年はカメラと聞いて?マークが頭に浮かんだ。今からカメラのコスプレでもするのであろうか。彼はコスプレなど持ってないのでしょうがなく指でカメラのレンズを作って棒立ちになった。
小説家はその青年の滑稽な勘違いに微笑んで窘めた。バカ者カメラといってもカメラの真似をしろとは言っておらん。ただカメラのように人物を見ろといったのじゃ。よいかあそこにスーツを着た女が歩いているだろ。彼女をつけてカメラのように凝視するのだ。そうしたらお前はきっと三人称とはどういうものか一瞬にしてわかるであろう。
青年は小説家が指さした方を見た。確かにスーツを着たいい感じの女がヒップをフリフリさせて歩いているではないか。つまり彼女をつけて描写せよという事だな。青年は小説家の意図を一瞬にして察し目をガン開きにして女性の後をつけたのである。コツコツとなるハイヒールの音と同時に揺れるヒップ。もうパンツからこぼれ出しそうだ。キツイ香水の匂いの中からかすかに漂うシャンプーの香り。きっと朝シャワーを浴びてきたに違いない。そして大きく聞こえるため息。ああ!この女は今とんでもない悩みを抱えているのだろう。青年は今三人称を全て理解したような気がした。そうか三人称とはこういうものなのだ。この女のような見知らぬ人間たちをを眺めることで得られる想像。彼女たちのような人間をこうして見つめることで人間を把握し、その人間たちから醸し出された想像を余すところなく書き込んでやっと一人の人物が仕上がるのだ。これが三人称なのだろうか?いや、きっとそうに違いない!先生と小説家の方を振り向いて呼ぼうとした時、彼はそこに先生ではなくて警官の姿を見た。びっくりする彼の前で女が警官にこう言った。
「あの~、この人さっきからずっと私の事つけ回しているんですよ。早く捕まえてください」
警官は厳しい顔で青年を見て尋ねた。
「あの、なんでこの人つけたりしたの?」
青年は正直に小説家の人に三人称を学ぶためにその人をつけろと言われたと白状した。
「はぁ?何それ。その小説家さんってのはどこにいるのよ」
「ほらあそこに」と青年は小説家のいる方を指さしたが、そこにはもう小説家はいなかった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?