きなこまる

人生を振り返りながらその時々に感じた事などを文章にしてみたいと思ます。 宗教、いじめ、…

きなこまる

人生を振り返りながらその時々に感じた事などを文章にしてみたいと思ます。 宗教、いじめ、父親との確執、夜逃げ、仕事、恋愛、結婚、パニック障害、肺がん、お金の事などなど。 色々と「なんでこーなるの?」な人生を乗り越えてきた自分だから書ける事があると思います。

最近の記事

私とゆう運命について(肺がん編2019,11)

気管支鏡検査が終わり、今度は遺伝子検査とゆうものを する事になりました。 次から次と未知の世界がやってきます。 肺の一部を切除し、自分がどんな遺伝子を持っているか。 それによって治療法が特定できるそうです。 入院は10日で(まぁまぁ長い!)肺の10分の1を切除しました。 内視鏡での手術でしたが4箇所ほど穴を開け肋骨を通って 肺にいくので術後かなり痛みました。 術後一番辛かったのは、ドレーンとゆう管が 体の中に入っていたのですが、それが動く度に痛くて痛くて。 先生に何度も

    • 私とゆう運命について(肺がん編2019,11)

      PET検査から1週間後、今度は気管支鏡検査をうけました。 気管支から肺にカメラを入れて検査する内視鏡検査です。 私は2泊3日の入院でした。 検査前は絶食。それだけでも嫌です。。 順番が来たら喉にジェル状の局所麻酔薬を口に含ませ それを飲み込む様に言われましたが、 気持ち悪くてオエッと吐いてしまいました。 検査の部屋に運ばれそこからの記憶はあまりありません。 意識を取り戻した時には主人と母がいてくれました。 検査が無事終わり、安堵していた私ですが、この日が 思いもよらない人生

      • 私とゆう運命について(肺がん編2019,11)

        2019年11月は忙しい毎日になりました。 まず転移を調べるためにPETーCTとゆうものを受けました。 はい、ここで問題発生です。 私はパニック障害で閉所恐怖症。 今までの人生で避けて通れても今回はそうはいきません。 もう覚悟を決めるしかありませんが、怖くて怖くて仕方ありません。 いつも飲んでいる抗不安薬を飲んで挑むしかありませんが それでもちゃんとじっとできるのか不安でした。 検査自体は25分程なんですが、検査前に造影剤をいれるので なんやかんやで所要時間は3時間程だっ

        • 私とゆう運命について(肺がん編2019,11)

          2019年の10月、健康診断で肺のX線検査で影がある とのことで再検査になりました。 影?なんだろう。 自覚症状は全くなかったので再検査面倒くさいな。 くらいに思っていました。 近くの病院を予約し、CTと血液検査をしました。 なんともない、大丈夫だろうと思っていましたが 検査結果を待ってる時は何だか胸騒ぎがして、 嫌な結果だったらどうしよう。と不安になりました。 もともと私は体を動かすのは好きで、学生時代はバスケ部。 就職してからもジムに通ったりスノボをしたり、 登山も好

        私とゆう運命について(肺がん編2019,11)

          私とゆう運命について(いじめ編2)

          6年生になり、仲の良かった友達がいなくなり絶望を感じていた時 Cさん率いるグループの女の子が声をかけてくれました。 「一緒に帰らない?」とかそんな事だったと思います。 その女の子は後で知るのですが、ボスのCさんに声を 掛けてくる様に命令されていました。 何も知らなかった私は、嬉しくてほいほいとそのグループに 入ることになったのですが、人間関係を観察してみると、 CさんとCさんの言いなり5人でできたグループでした。 5人にはそれそれ地位があって、Cさんと対等に喋れる子が3人と

          私とゆう運命について(いじめ編2)

          私とゆう運命について(いじめ編)

          小学5年生の時、私は引っ越しの為となり町に転校しました。 4年生まで過ごした小学校は自分にはとても合っていて 先生もみんなから人気があり私も活発に過ごしていました。 そんな学校を転校しなければならなくなりとても寂しい 気持ちでしたが、新しい学校に行くワクワクもありました。 5年生の1学期から新しい学校に通うのですが、 始業式で、校歌が分からなくて歌わずにいると となりの男の子が「あそこに歌詞があるよ」と教えてくれました。 初めての転校で不安だった私は、優しい子がいて良かっ

          私とゆう運命について(いじめ編)

          私とゆう運命について(パニック障害編)

          いまから14年前、30歳の私はかなりのストレスを抱えていました。 その大半が父親のことでしたが、当時、兄二人が既に家を出ていた為 父、母、私の3人暮らしでした。 父が苦手な私はその存在そのものがストレスで、更に不仲だった両親の 仲介役をするのが嫌で嫌でたまりませんでした。 母が仕事で不在の時は父と目も合わさず、会話もほぼありません。 多分父も嫌だったとは思いますが、お互い存在を消しての生活でした。 一番安らげる家がそんな状態ならそりゃストレスも溜まりますよね。 家がストレスな

          私とゆう運命について(パニック障害編)

          私とゆう運命について(宗教編)

          宗教ってなんだろう。 そんなことを考える間もなく当たり前に生活をしていました。 毎日感謝してお祈りをして一日を過ごす。 そうゆう家だったから。それが当たり前。 けど初めて疑問に思ったのは小学校の予防接種でした。 なんで私だけ受けないんだろう? なんでみんな毒の入った注射を打つのだろう? それがとても不思議でした。 クラスでお留守番をしていたのは私だけでしたし、 兄に聞いても同じでした。 宗教をしている事自体、隠していた訳ではなかったが、 多分『はい??』と言われるのは何と

          私とゆう運命について(宗教編)

          私とゆう運命について

          私は宗教一家に生まれました。 両親も祖父母も親戚も、関わる大人、ほとんどがある宗教の信者でした。 祖母においては高い位の人で周りからは「先生」と言われてました。 その為、私も「◯◯先生のお孫さん」と持ち上げられ、 少し鼻高々だった事を覚えています。 毎日の朝夕の礼拝や、月イチの参拝は当たり前。 聖地といわれる場所で年越しをするため、紅白は見たことがなかったし 当たり前に「薬は毒だ」と育てられました。 小学校の予防接種も受けたことがありませんし、 家にマキロンすら見た事があり

          私とゆう運命について