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私とゆう運命について(いじめ編2)

6年生になり、仲の良かった友達がいなくなり絶望を感じていた時
Cさん率いるグループの女の子が声をかけてくれました。
「一緒に帰らない?」とかそんな事だったと思います。
その女の子は後で知るのですが、ボスのCさんに声を
掛けてくる様に命令されていました。
何も知らなかった私は、嬉しくてほいほいとそのグループに
入ることになったのですが、人間関係を観察してみると、
CさんとCさんの言いなり5人でできたグループでした。
5人にはそれそれ地位があって、Cさんと対等に喋れる子が3人と
パシリの子が2人でした。
シクった、、、変なグループに入ってしまった。。。
しかし他に友達がいなかった私はもはや後の祭り。
そこから悪質ないじめがはじまっていくのです。

まず修学旅行ですが、Cさんグループに入れてもらえたのはいいものの
存在を無視されすぎて楽しかったなんて記憶は1ミリもありません。
後で見返すと、グループから距離を置いて一人引きつり笑いで
ピースしている写真の私が何枚かありました。切ない(笑)

次に当時流行っていた交換日記です。
メンバーなのにいつまで待っても私には回って来ません。
目の前で交換日記が行き来しているのに私は無視です。
あ〜、これはリアルないじめだな。女の子性格悪いなー。
でも回ってこなければ仕方ない、別にいいや。
と思っていたら、やっと回ってきたノートの中身は
「うざい!」「きもい!」「泣け!」
などど私の悪口が書かれていました。。。

帰りの荷物持ちは日常茶飯事です。
Cさんのランドセルを持って、自分の家から2倍の距離はある
彼女の家までほぼ毎日行き、ありがとう。とも言われず
ランドセルを取り上げられ、家に帰るのが私の日課でした。
坂道が多い地域でしたので、体の小さかった私にとって
とてもしんどかったのを覚えています。
何でこんな事をさせられなければいけないんだろう?
成績がいいから?親が地位のある仕事をしてるから?
そんなのは関係ありません。
バチが当たってしょーもない人生を送れ。
毎日そう思っていました。

その他は、給食の時牛乳を飲んでいたら
後ろから頭を押されて牛乳を吐き出してしまう。
いきなり理不尽な事でほっぺたを叩かれる。
机に落書き。
嫌な掃除係をやらされる。
朝、教室に入ったらクラス全員総無視。などなど。

私は小学生ながら冷めていたのか、泣くことはありませんでした。
もともと仲が良かった子からいじめられたらショックですが
はなから私をいじめようと仲間に入れたのだし、何かされても
「めんどくさいなぁ」と思って過ごしていた様に思います。
ただ、理不尽な事に言い返せなかったのは今でも後悔
しています。しかし当時の私の性格はとても大人しく、
ただ一日が早く終わって家に帰りたい。それだけでした。

一番嫌な記憶として残っている出来事があります。
ある日の昼休み、外鍵の給食室に閉じ込められ、出られなくなりました。
くそぉ、誰かが開けてくれるまで待つしかないな。と思っていたら
悪ガキの男の子が大きめの蜘蛛の死骸を持ってきて
私のスカートのポケットに入れ、走ってまた鍵をかけました。
虫が苦手だった私はさすがに悔しくて、涙がでてきました。
いじめで泣いたのはこの時が初めてです。
その後、誰も開けに来てはくれず、授業が始まってしまったのですが、
私がいない事が問題になったのか、先生が開けに来てくれました。
そこから、なんでこんな事になったのか?
と、先生がみんなを問い詰めました。
すると男の子が
「◯◯さん(←私)が泣かないので泣かそうと思って」
と言いました。
すると女の子達が小さい声で「言ったらダメ!」と。
はっ?? 泣かないからってこんな事するんや。。。
で、まんまと泣いてしまった。また悔しくなりました。

他にも色んな陰湿ないじめがありましたが、
今思うとほんとによく耐えたなぁと思います。
両親にも一度も話さなかったです。
大人になってから母には話しました。
母はショックを受けていましたが親が解決できる問題でもないし。
と、当時は思っていたので話すとゆう選択肢はありませんでした。
これは私が打たれ強いとかでは決してありません。
何も悪い事をしていない。とゆう気持ちと、何と言っても
『1年間』だったから耐えられたのです。
面倒くさい事が嫌いだったし、耐えに耐えた1年でした。

そして3月、私立中学への進学が決まっていた私は
卒業式を満面の笑みで迎える事ができました。

頭の良かったCさんですが、有名な難関私立女子中学を
受験したのですが落ちてしまい、私よりも偏差値の低い
中学に行く事になりした。
あははははは、ざまぁーみろ!!!
とあの瞬間は最高の気分でした。


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