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私とゆう運命について(パニック障害編)

いまから14年前、30歳の私はかなりのストレスを抱えていました。
その大半が父親のことでしたが、当時、兄二人が既に家を出ていた為
父、母、私の3人暮らしでした。
父が苦手な私はその存在そのものがストレスで、更に不仲だった両親の
仲介役をするのが嫌で嫌でたまりませんでした。
母が仕事で不在の時は父と目も合わさず、会話もほぼありません。
多分父も嫌だったとは思いますが、お互い存在を消しての生活でした。
一番安らげる家がそんな状態ならそりゃストレスも溜まりますよね。
家がストレスならそれを発散するのは外しかないのですが、
友達と楽しく遊んだら、またあの家に帰らないと。と思うと
それもまたストレスでした。

そんな毎日を過ごしていましたが、ある日、友達と遊んでいたら
お腹の調子が悪くなり早めに帰宅する事にしまいた。
そして電車に乗って5分ほど経った頃、急に目の前が真っ白になり
血の気が引き気分が悪くなり立っていられなくなりました。
どうしよう、どうしようか。次の駅で降りようかと考えていたら、
たまたまその日が大きな花火大会の日で、次の駅でかなりの人が乗ってきて
降りれないまま満員電車に埋もれてしまいました。
しかも、最悪な事に乗っていたのは特急。次の駅まで20分ノンストップです。
やばいやばいと冷や汗が出てきて動悸もすごく、ほんとこのまま
気を失うんじゃないかと必死で、朦朧とする中何とか息をしていました。
そして20分耐え抜いて地元の駅に降りた瞬間、母に電話をし
迎えに来てもらったのですが、家に帰ってからもその恐怖が消えず
息ができなくなり、体が固まって動かなくなってしまい、母が救急車を呼んでくれました。

結局過呼吸とゆう事で点滴をして帰ってきましたが、この日がこれからの人生を共にする記念すべき「パニック障害」の始まりでした。

一度この様な死ぬほど怖い経験をすると、その時の記憶が脳に焼き付いて
またそうなったらどうしよう。怖い!となってしまい、私の場合は
狭いところ、逃げられない空間が完全にダメになってしまいました。
乗り物全般、エレベーター、歯医者、美容室、高速道路などなど。

そうは言っても電車に乗って通勤してましたので、何とか特急、人混みを避け早めに家を出て、ダメなら途中で降りて休憩して。
と自分なりに工夫して出勤していました。
しかし、電車が人身事故で線路上で止まる事が多々あり、そうなるともう逃げられません。
汗が出てきて手が震えてきて動悸もすごく、発狂しそうな程でした。
ご飯も食べれなくなり体重も30キロ台まで減り、これはもうダメだなと思い、休職する事になりました。
毎日病んでいく娘を見て、母も辛かったと思います。
整体や針など、調べてきては連れて行ってくれましたが、
電車に乗るのもあのカーテンで仕切られた一人分の個室ですら
怖くて怖くて、通う事がストレスになってしまいました。

そして、最終的に心療内科を受診することになるのですが、
深刻な私の話をさらっと聞き、医者は
「んー、ストレスによるパニック障害ですね。抗うつ剤と抗不安薬出しときますので飲んで下さい。で、2週間後にまた来てください。」と。

薬を飲むのがとても怖かったのですが、これを飲んだらこの地獄の日々から
抜け出せるのかな??
そう思うと、希望であるその薬を飲んだのですが、拒否反応からか
夜中に食べたもの全て吐いてしまいました。
地獄へ引きずり戻された瞬間でした。

もう一生私は笑うこともなく、見えない何かに怯えて生きていくんだな。
そう思いました。絶望でしかなかったです。

今ではパニック障害と言うと聞き慣れた病名になりましたが、
当時は聞いたこともなかったですし、調べてもあまりいい情報は出てきません。
誰かの体験談などもなかったので、どうしていいかさっぱりわかりませんでした。
ただ、どこも悪くないのでストレスからきている事は間違いなさそうで、
でも、そのストレスの根源(父親)が家にあるので、もうお手上げです。

今思うとよく生きていたなぁと思います。
毎日家にいてもそわそわして、お腹も減らない。夜は眠れない。
親には言えませんでしたが「死にたい」と思ったこともありました。
しかし、見守ってくれる母や彼氏(現旦那)がいたので
何とか前向きにと思い、体調のましな日は散歩したり、
スポーツジムに通ったり、お風呂に浸かったり、好きなTVを見て笑ったり
生きていることに感謝して毎日を過ごしいました。

抗うつ剤は飲めませんでしたが、抗不安薬は私の味方になってくれました。
ワイパックとゆうお薬です。
このお薬はそわそわしている気持ちを抑えてくれて、夜はよく眠れました。
飲むと15分程で効いてきます。舌下で水なしで飲むことができて、
やばいな。と思ったらすぐ飲むようにしました。
このお薬を飲めるようになってから、だいぶ、いや、かなり症状は
良くなったと思います。
ワイパックを飲む事で、パニック発作自体を起こさない様にして
怖い記憶を良い記憶に塗り替えていきます。
この場所はダメ。から、この場所でもワイパックを飲めば大丈夫。
そうした積み重ねが自信を取り戻していきます。

14年経った今でもやはり高速道路は苦手ですし、飛行機は一回も乗ってません。
大好きだったライブやプラネタリウムも苦手な場所になりました。
美容室は何度かチャレンジしましたが、シャワー台がどうもダメで
自分でカットする様になり腕が上がりました。
歯医者は行かないとどうにもならないので行ってますが、パニック障害です。と言うと、ダメなら休憩しますから言って下さいね。
と言って下さいます。
周りの理解が得られる様になった事はかなり大きいですね。

昔の様に何も考えずにどこにでも好きなところに行けたら
どんなに楽しくだろうな。と思います。
しかし、残念ながらパニック障害に完治はないと思ってます。
怖かった記憶を消すことはできないのです。
なので、苦手な事は苦手と自分なりに折り合いをつけて
共存できる様になれば何とかやっていけます。
私はパニック障害➕肺がんを患ってますが頑張って生きてます!

もし、周りにパニック障害の人がいたら、そっと見守ってあげて下さい。



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