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暗闇を照らす”光”をさがして

私の大好きな小説、辻村深月さんの『凍りのくじら』
この小説のプロローグにこんな文章がある。

『あなたの描く光はどうしてそんなに強く美しいんでしょう』
『暗い海の底や、遙か空の彼方の宇宙を照らす必要があるから。そう答えるようにしています』
 そして、その光を私は浴びたことがある。声に出さず、心の中で付け加える。

「凍りのくじら」辻村深月著 p.14-15

この光の正体は、是非とも自分で読んで確かめてほしい。

この小説が好きな理由として、
主人公の芦沢理帆子の他人に対する姿勢が自分と重なって見える点にある。

『どこでもドア』を持つ私は、屈託なくどこのグループの輪にも溶け込める。愛想よく馬鹿のふりをしながら。親身になって話を聞いて、いい人ぶりながら。どこでも行けるし、どんな場所や友達にも対応可。
 だけど私は、Sukoshi・Fuzai(少し・不在)だ。いつでも。
 場の当事者になることが絶対になく、どこにいてもそこを自分の居場所だと思えない。それは、とても息苦しい私の性質。

「凍りのくじら」辻村深月著 p.51

この場面を読んだ時、まさに自分のことだ、と感じた。
ここから一気に主人公に感情移入して、物語にのめり込んでいった。

物語はその後、一人の青年と出会うことで、少しずつ理帆子が少しずつ変わっていく様子を描く。
しかしその一方で、今まで甘やかし続けてきた元彼がある行動を起こし、クライマックスへと向かっていく。

終盤、理帆子が“光”を浴びる場面は、何度読んでも泣いてしまう。

私は以前働いていた会社で適応障害になったことがある。
突然、会社に行くことが出来なくなり、ひとりで部屋に引きこもっていた。

そんな時、一人の先輩社員が様子を見に来てくれ、「大丈夫、大丈夫」と優しく声をかけてくれた。

その時にドアの隙間から差し込んだ光が、私にとっての”光”だ。

いま再び、気持ち的にしんどい時期を迎えている。
以前と環境も違うから、あの”光”を浴びることはできないけど、光の存在を知っている。

だから、きっと大丈夫。

焦らずゆっくりと、暗闇を照らしてくれる光を探していく。


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