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「ただ、生きていたくなかった。」

私は10代の頃、20歳でこの世を去ると本気で思っていた。


有り難いことに五体満足で健康を授かり、大した病気にかかったこともない。

だが、私は20歳であの世へ逝くんだと、限りなく確信に近く思っていた。



高校生から社会人にかけて、私はリストカッターだった。

“死にたい”とは少し違う。

ただ、生きていたくなかったのだ。



はじめは薄く線を引く程度だったが、次第に深く、線は多くなっていった。

皮膚の鈍い痛みが、精神を麻痺させてくれるような感覚だった。


手首程度の出血ではきっと命に危険は及ばないだろうけれど、水につければ流れ続ける。



常に「生」と「死」の間に立っている感覚が、とても心地よかったのかもしれない。






心は「生きたくない」と言っているのに、

身体は血を流しながら「生きたい」と言っているようだった。



こうして書いている間にも、頭にあるのは母のことだ。

もしもこのnoteが母の目に止まったらどうしよう、と思っている。


私が長年自殺願望を抱えていたことも、リストカットしていたことも、彼女は知らない。


約38年間生きてきて、ほんの数人、片手で数えられるほどの人にしか話していない。


元彼は涙を流して「お願いだからもうしないで」とハグしてくれたこともあった。


とてもとても、安心させてくれたのを思い出す。


この話をすることで、なんだか自分の一番中心にあるカプセルみたいなものが、弾けて、溶けて、なくなってしまうかもしれないような気持ちになる。

それは、「恥ずかしい」という感覚でもない。



ただ、ものすごく勇気が要る。

書いている今も、ゆっくり、ゆっくり、心に尋ねながら進めている。



それでも書きたいと思うのは、この部分が私の核になっているということを、インナーチャイルドであるLittle Natsumiに本気で伝えたいからだと思う。


明日で38歳になるこのタイミングが、大きな節目になりそうだ。


たくさん血を流した傷を、いつも隠していた。

当時はリストバンドが流行っていたのもあり、結構簡単に隠せていた気がする。


無性に切りたくなる衝動は、決まって秋風を感じはじめる秋〜冬頃だった。

長袖なら、誰もわからない。


あの、遠い昔の荒野みたいなところからタイムスリップして吹いているんじゃないかと思うような寂しい匂いと冷たい風。

あれがとても苦手だった。


実際に心療内科を受診し、「季節性うつ病」と診断された。



高校生の頃、心療内科を受診したのだ。

当時は今に比べて「うつ病」ですら偏見が多く、あまり声を大にして言えないような気がして自分で解決しようとした。


もちろん、母には言わなかった。

私と母は今でこそ仲が良いが、当時は絶賛反抗期だった上に、基本的に自分の心の中をそのまま打ち明けたことは、今になってもない。


残念ながらその医者は、とにかく投薬だけで処置する所謂”ヤブ医者”だった。

2階にあるその病院のベランダで、数人の女性スタッフがだるそうにタバコを吸っているのが丸見えだった。

薬がもらえればそれでいい、という患者にとっては最適だと思う。

だが、当時既に臨床心理学を独学していてわりと知識をつけていた私にとって、ここはいただけないと判断した。


心理の道には進まなかったものの、私は心理学にとても興味があった。

自分がこれだけ強く感じている症状には絶対に何か病名がついていると思ったし、それを確かめたかった。





後に訪れた別の心療内科には、とても落ち着いて理解のある女性の臨床心理士さんがいた。

心理検査をしたり、カウンセリングをいつも丁寧にしてくれたこの先生のおかげで、私は私と向き合うことができた。

精神科のドクターも薬にあまり頼る人ではなかったので、短期間の投薬だけで依存せずに済み感謝している。



自己診断では、「境界性パーソナリティ障害」だと踏んでいた。


アンジェリーナジョリーが助演女優賞に輝いた「17歳のカルテ」の主人公スザンナは、まるで私を見ているかのようだった。

当時の私は、境界性パーソナリティの症状すべてに当てはまっていた。

慢性的な空虚感、無価値感、何もしたくない倦怠感、繰り返す自傷行為、自分を紙切れのように扱ってしまう癖など。


中でも、かなりのレベルの「見捨てられ不安」を抱えていた。

自分は生きているだけでどうしようもなく邪魔者のような感覚があるにも関わらず、周りに見離されたくないと強く願う。

自分が自分を愛せないのに、みんなに愛してほしいと願う。


そんな感覚に支配されていた。



私はずっと、「みんなに嫌われること」が何より恐かった。


これは、幼稚園時代にいじめられていた経験がとても大きい。

幼少期の経験は、その後の人生に大きく影響することを肌で感じた。



それから学び、「嫌われない」立ち位置でいようと努めた。

好かれたら、嫌われる未来が待っているかもしれない。

でも、嫌われさえしなければ、ずっとその空気みたいな場所で留まっていられる。


いじめられていた頃、みんなにとって自分が邪魔な存在だと常に思っていた。

私だっていたくてここにいるんじゃない、仕方なく来ているんだ。

別に誰の邪魔にもなりたくないし、いたくない。


それでも私を避けたり嫌なことを言ってきたり、ほんとうに幼稚園というのは、つまらなくて悲しい世界だなと思っていた。



それになんとか適応しようとして望んだ、「嫌われない」位置。


人が思っていることを読むのが本当に上手な子どもだった。

その人が欲している言葉とか行動が、手にとるようにわかる。




先生が望んでいる理想像。

こう言ったり行動したら褒められるということも、よくわかる。



もしかしたら、長い間ずっと私は、偶像のような私を演じてきたのかもしれない。


そうすることによって、本当の自分が思っていることがよくわからなくなった。

”自分迷子”になった。


本当の私がどう思っているのかを、自分がわからない。

本当に、子どもらしくない子どもだったなと思う。



私なんていない方がいい。

私なんて、消えてなくなっちゃえばいい。

私なんて、生きていても何の価値もない。


そんな風に思っていても、人生は無情に続いていく。

無意識に呼吸しているこの身体は、生きようとしている。


「死にたい」んじゃなくて、きっと私は「消えたい」んだった。


はじめから、私という存在がなかったということにしたいと何度も思った。

そうすれば誰も悲しまないし、私も悲しいと感じない。


「もうなんでもいいよ」って、本気で思っていた。

だって、本当の自分の願いがまったくわからないから。



常に、慢性的にそんなグレーな想いを抱えていたので、学生生活は本気でしんどかった。

誰かに合わせないといけない、苦痛すぎる学生の社会生活。


昔から、一人で行動する方が楽だし好きだった。

でも、ひとりでいると周りが気を遣って一緒にいようとしてくれる。


周りから見れば、”ひとりぼっちでさみしそう”に見えるのかもしれないけれど、本当のほんとに真剣に正直に、一人が好きなのだ私は。



だから、

「あ、なっちゃんは一人が好きなんだな」

って思われるのをずっと望んでいたけれど、そうはいかないのだ。


グループで行動したり、何かで組まなきゃいけなかったり。

学校って本当に不自由な場所だなと思う。



人が嫌いなわけじゃないし、合わせることはできる。

合わせすぎて、ひとりになりたくなるのだ。



そんな私を大きく変えてくれるきっかけになったのが、自動車教習所で出会った2人だった。


私は、田舎にずっと住んでいるつもりがなかった。

いつかはこの小さく狭い場所を出ていくと決めていた。


そんなわけで運転免許は必要ないと言い続けていたのだが、母が「お金は出すから免許は取っておきな」と全く以て譲らずしつこいくらいに言ってきたので、仕方なく車学に通い始めた。

ちなみに「本気で必要ない」と強く思った私の直感は当たり、40歳目前でも未だに必要なく生活をしている。

今なんて特にロンドンに住んでいるので、必要性は皆無である。

逆に車通勤禁止の会社に長年勤めていたし、今までの人生で「免許を持っててよかった」と思うのは、個人情報を提出する時に顔写真付きで便利だな、と思った程度である。



何のやる気もなかったため、春に通い始めてすぐに半年近く行かなくなっていた。

いよいよこのまま行かなかったら期限を過ぎてしまうとなったタイミングで、渋々再開したその日に出会った、伊丹出身の2人。

彼らは夏休みを利用して合宿で来ていて、着いたタイミングで売店で出会って話をするようになった。


3人とも同い年で、何というかノリが合ったのだ。

私は昔から女友だちよりも男友だちの方が気が合う子が多かったのだが、この2人は別格だった。


何より、関西人の2人のシュールな面白さが大好きだった。

2人は中学からの同級生同士。

絶妙なノリとツッコミが素晴らしく、ああ関西の子って日常がコメディなんだなと思わせてくれた。

たくさん合宿生がいたが、何故か私たち3人は息がぴったりだったのだ。



時間割が終わった後や休みの日にカラオケに行ったり、うちに招いて家族と一緒に鍋をしたり、花火をしたり、阿波おどりに行って踊り狂ったりした(最高のタイミングで徳島に来てくれたと思う)。


1人がうちの母と誕生日が全く同じことが発覚した時は、いつの間に打ち合わせたんだと問いたくなるほどに息がぴったりのハイタッチを披露してくれた。



私より先に卒検を迎えた2人が去る時は、寂しくて寂しくて涙が止まらなかった。

人前で絶対と言っていいほど泣かない私があんなにぼろぼろ涙を流し、私自身が一番驚いた。

こんなに短期間しかいなかったのに、別れが辛すぎて泣けるくらい仲良くなったのだ。




彼らと話していると、「ありのままの私」に一番近く、とてもナチュラルで楽にいられた。



2人が去ってからも交流は続き、私が伊丹を訪れた時はご家族や幼馴染があたたかく迎えてくれて、人の輪も広がった。


2人は後にバイクの免許も取り、ツーリングで徳島へ来てくれた。

しばらくの間うちに泊まって、またの再会を楽しんだ。



3人で川の字になってずーっと話していた。

本当に心地よくて、いつの間にか自分の話もたくさんするようになっていた。


普段、私は人の話を聞くことの方が圧倒的に多い。

別に隠し事もないが、自ら自分のことをたくさん語ることはしない。

でも、この2人には頭で考えすぎたり読みすぎたりすることもなく、ポンポンと自分の気持ちが言葉になって伝えられている。

自分の新しい一面を出させてくれて、素の自分でいさせてくれる2人に感謝が溢れて止まらなかった。



恋愛関係は一切ない。

だから、最高に心地よくて幸せだった。



この2人に出会ってからというもの、慢性的な無価値感とか消えたい願望とか、そんなものがどんどんフェードアウトしていった。


「私は私でいい。

いや、私は私でいるのが一番いい。」


と、堂々と胸を張って言えるような自分に近付いた。


2人が、自然と私に自信をつけてくれたのだ。



私に足りなかったのは、自分に対する信頼と自信だったのかもしれない。

ありのままの自分に自信がなくて、ありのままの自分じゃ愛されないと思って、いい人に見られるように繕っていたんだと思う。

仮面をつけて、演じて。


それは、自分をなんとか守るための最大の防御だった。


その自分を否定はしたくない。

だって、あの過程がなければ今の私に辿り着いていないから。

そうするしかないと必死にもがいていた、あの私を思いっきり抱きしめてあげたい。






今の私はもう、「嫌われたくない」を卒業した。

今は「周りにどう思われているか」ではなく、「私がどう思うのか」という自分主観を大切にできるようになった。


自分が自分をちゃんと、まるっと自分を愛せていることが最高に嬉しい。



人からの評価、見え方をずーーーっと長い間気にして生きていたけれど、その視点は私が主人公の人生において何の意味も為さないと、骨の髄レベルで腑に落ちた。


SNSのコメント欄と同じく、みんなそれぞれ違った意見があり想いがあり、人生がある。

自分にも他人にも好みがある、至極当たり前のことである。

それを良いとか悪いとかジャッジすること自体が無意味なことなのだ。


それは、そこに存在するというだけ。


人の意見によって、私の価値が左右するわけがないのだ。



あの頃の私はこの世界の全員から愛されようとしていた。

どう考えても無謀な、そんなものを目指したところで何にもならない道だ。

人生でもう二度と会わないであろう人からの意見に、心がゆらゆらしていた。




確信に近く思っていた”20歳であの世にいく”ということ。

予想を大きく外し、寿命を迎えなかった21歳の誕生日からの人生は私にとって、「なかったはずの時間」を生かしていただいている。


どんな辛く悲しいことが起ころうと、とんでもなく大きな愛に包まれているような感覚だ。



ありがとう。

カミソリを握りしめて、生きるとか死ぬとかの狭間にいたあの時の私。


「もういいや」って、何度も深く切って、真っ赤な血を流して、それでもとりあえず生きてみてくれた私。



あの空虚でどうしようもなく色も味もないような日々を「とりあえず生きてみて」くれたからこそ、今の私がある。


明日で38歳を迎えるが、これからも引き続き”なかったはずの人生”を謳歌するつもりだ。



今、まさにあの頃の私のようにグレーな日々をなんとかこなしている人たちがきっとたくさんいると思う。

そんな方に向けて、声を大にして伝えたい。

とりあえず、今日と明日を生きてみてほしい。



人生は、出会いと別れの連続だ。

今、見えている世界だけがすべてじゃない。


歩き出す気力がないなら、無理に動かなくて全然いい。


でも、とりあえず、生きてみて。


これが一番大切なこと。



生きることを諦めない限り、絶対に大丈夫。


この世は変化の連続だから。

神様だかどなたかわからないけれど、私にあのひょんな出会いをくれたように。



ひょんなことが、人生が変わるきっかけになったりする。


その可能性がゼロになってしまう世界に行くには、まだ早すぎる。



ダラダラしている私も、

ちょっとのことでイラッとする私も、

病んでいる私も、


ぜんぶ私。



なにか完璧みたいなものを目指していたあの頃の自分より、今の自分の方がずっと人間らしくて好きだ。


比べていいのは、他人じゃなくて、昔の自分。

昔の自分を憎むんじゃなくて、全肯定。



今までのすべての瞬間を生きてくれた自分よ、諦めずに連れ添ってくれて本当にありがとう。

これからもどんなことがあっても、私の味方で在り続ける。



私はグレーな時間を経て、私をずっと愛していくと心に誓った。


いつかの未来に我が子を抱いて、リスカ跡のある手首を眺めながら「生まれてきてくれてありがとう」って言える日が来るのかもしれない。



生きててくれてサンキュー、わたし。

ラブユー、わたし。


2024.8.25

37歳最後の日に。Natsumi

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