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欠けた命で生きる人々へ

誰しも一度は、そのままの自分で愛され、無償の愛を受け取る経験が必要。


だけど、そんな愛を与えることのできる親は数少ない。

子を授かったからってその瞬間、完璧な親になれるわけではない。不完全な人間でも親としての日々はふいに始まってしまう。子を産んで初めて、自分の不完全さを知ってしまうこともある。

成長するのは子だけではない。子と共に親も学び、命の不完全さを愛しながら生きてくものなんだよ。

完璧な母親像をどうして人はこんなにも求めるのだろうか。完璧な愛を母に求めすぎる。

(これは私自身も、母として完璧にならなきゃと自分を責め続けてきたし、子としても親に完璧さを求めてしまっていた。人間というものは母なる愛に対する幻想と渇望を抱きすぎである)


だから、親も子も恋人も、そして何より自分自身に対して、その未熟さと不完全さを愛しさに変えて、満たし合い助け合って生きてく。そんな姿でいいのではないかと思う。

そんな不器用な人間の方が私は好きだ。

完璧なものに魅力はない。
完璧な命は静止画のようにつまらない。

家事も経済力もすべて完璧で、きれいに子供を愛せる素晴らしい親もいる。そんな中で育った人は、愛を惜しみなく周りに与えることができるだろう。でも、他人の絶望が理解できないかもしれない。他人の「死にたい願望」を否定するかもしれない。芸術的な作品は生み出せないかもしれない。


不完全さの中から生まれる芸術と力は美しい。

不完全な命の余白に  流動する宇宙を持てる。

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そこに漆黒の闇と、燐光の星を持つ。

その暗くて深い沼のような心の闇が、美しい宇宙の景色を産む

その宇宙を抱いて生きてくしかないんだよ

その心の闇は財産だ

だから

自分の中の孤独を愛して

その孤独はぬぐわなくてもいい

欠けた命のまま

生きて。

それでいい。



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