夏目美紀香

人として女として問いたいことがある! それは世の中に対しても、自分に対しても。 心の言…

夏目美紀香

人として女として問いたいことがある! それは世の中に対しても、自分に対しても。 心の言語化、ときに誰かの代弁者として。 もし気になる記事がありましたら、コメントや各種SNSでのシェアはご自由にどうぞ

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最近の記事

「幸せ」は環境の問題ではない

幸せはあなたの周りにはない 幸せは世界にはない 幸せになれる唯一の方法などない 幸せは心の中を探すしかない なぜなら 幸せとは心の感じ方のことだから 地獄のような世界にいても 心の中にある自由な空を見つけることができる 天国のような場所にいても 心の中に自分を縛り付ける地獄を創り出せる 生という制限のなかで 意識という自由な空間を旅することができる そこで愛する何かを感じるのだ そこには生も死も時間もない ただ愛する存在を思い出し、心で感じる そこに幸せはある 幸

    • 命は水の流れのように

      命は水の流れのように 消えては現れ 姿を変え何度もあなたのもとに廻りくる この血肉のひとつひとつの細胞が 自然からの借り物なのだから 命は溶けて散らばり そしてまたひとつの結晶となる ただ虚しくそれを繰り返すだけ そこに意味などない 私たち人間も自然の循環の中のひとかけらにすぎないのだから 所有しているものなど何も無い この肉体すらも自然からの借り物 あなたにも私にも名前などない 目印のためのただの記号でしかない かけがえのない「個」などない 意味もなく生まれ 使

      • 母の愛とは。尽くすことを強要されていると感じている母親たちへ

        見守る愛というのは愛にカウントされないのかな 形を尽くして 形として表れた愛しか愛と認められないのかな 『母親らしく』愛することを強要されるこの世間の風潮に吐き気を感じる 理想的な典型的な一般的な愛し方しか愛と数えられないのだろうか 四六時中そばにいること 手の込んだ料理をつくること 身の回りのことを何から何まで世話してあげること 失敗しないように先回りしてやってあげること、 注意してあげること そればかりを愛情と呼ぶのか 世間がいう常識的な方法で100%愛すること

        • 今、ひとりぼっちで泣いているあなたへ

          大丈夫なんだよ。 今、 一人ぼっちで、 何も持ってなくて 何も誇れる地位や 名誉や 人脈や お金や 場所、 恋人もいなくて 家族さえもいなくて 仕事さえもなくて もしかしたら家さえない、 そんな人もいるかもしれないね だけどね、 それでも大丈夫なんだよ 気休めや、綺麗事なんかじゃなくてね 強がりでもなくてね 自分が感じた その痛みや孤独を 誇りに思える時がくるから大丈夫だよ。 その痛みや孤独や惨めさ、 それこそが 本物の本当のプライドをもてるための 大事な大事な要素

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        • 生について語ってみる
          8本
        • 人間観察日記
          9本

        記事

          ぬぐわれない孤独をかかえたあなたへ

          愛はいつも自分の内側にあるのに どうして人は外の世界を必死で探すの? どうして奪おうとするの 盗もうとするの? なぜ愛を強制するの? 自分を愛することを誰かに強制したとして、それはもうすでに愛ではなくなってる だから、求めても、求めても、たりないんだよ だから、その孤独が拭われないんだよ 孤独が拭われるその瞬間は 自分の中に眠る愛に気づいたときに訪れる 愛したいと思える誰かに出会えたらいいね 愛することで満たされる だけど 人間なんだから 湧いてくる愛を見失

          ぬぐわれない孤独をかかえたあなたへ

          優しい人が舐められる本当の理由

          「優しさを他人にあげている」と本人は思っているが、その実態は「媚び」かもしれない。 嫌われる恐怖を避けたいがための「保身のための親切」かもしれない。 人間はそういう類の「ヤサシサ」を嗅ぎ分けることができる。その「つい媚びてしまう性格」がその人の弱みになるわけです。悪い人はその匂いを嗅ぎ分けてあなたに近づいてくる。あなたのその弱みを利用して際限なく搾取しようとしてくる。 ヤサシサという名の媚びを売っていたらそりゃ舐められますよね。舐められないためには嫌われる勇気を持って優し

          優しい人が舐められる本当の理由

          リア充でなくてもいい。死んでいない。それで十分なんじゃないの?

          「生きる」ということは、自分で選択したものではない。実は能動的なものではなくただ受け入れただけ。半ば強制的に与えられた義務に近いものなのではないかと思うことがある。(あくまでも日本で生きる私たちの話です。) あの裂け目から産み落とされた命は誰のもの? 一人で生きていけない幼いうちは、やはり親のものになるのか…? 生まれ落ちた後、半日でも放置されれば死んでしまう。 赤ちゃんのうちは、自らの意思で生きるという選択肢を与えられていなかった。同時に死ぬという選択肢も与えられてい

          リア充でなくてもいい。死んでいない。それで十分なんじゃないの?

          「自分はウ〇コ以上でも、ウン〇以下でもない。紛れもない〇ンコ」

          味噌汁をね、こぼしちゃったんですよ。机の上にビチャっと。 その味噌汁が器の元を離れ、机の上に移動した瞬間、その概念が「食べ物」から一瞬で「廃棄物」とか「生ごみ」になっちゃったんです。 お椀の中に少しだけ残ったスープ。「ごちそうさま」と言ってしばらくたったらもうそれは、汚い残り物になってしまう。ほんの数秒前まで、おいしく食べてたのに。 たしか養老孟司氏がおっしゃってたことだと思うんだけど、 唾液とかオシッコ、血液、垢、爪、もともと体内にある自分の物なのに、一瞬でも自分を

          「自分はウ〇コ以上でも、ウン〇以下でもない。紛れもない〇ンコ」

          欠けた命で生きる人々へ

          誰しも一度は、そのままの自分で愛され、無償の愛を受け取る経験が必要。 だけど、そんな愛を与えることのできる親は数少ない。 子を授かったからってその瞬間、完璧な親になれるわけではない。不完全な人間でも親としての日々はふいに始まってしまう。子を産んで初めて、自分の不完全さを知ってしまうこともある。 成長するのは子だけではない。子と共に親も学び、命の不完全さを愛しながら生きてくものなんだよ。 完璧な母親像をどうして人はこんなにも求めるのだろうか。完璧な愛を母に求めすぎる。

          欠けた命で生きる人々へ

          基本的に世の中はクソだ

          何が言いたいかというと 周りへの期待値を地面スレスレの超低いところに設置しろよ、という話である。 ■何を期待してんだよ クソ上司も、クソ男、クソ女、クソ親、クソ近隣住民もいて当たり前なのだ。 人間は素晴らしい? この世は美しい? バカ言ってんじゃないよ 本当はすべてがニュートラルなのだ。 だが、あえて「基本、この世はクソだ」とすることで 周りに対する期待がなくなり、いちいちイライラしなくなる。 死んだ目でハラスメント人間を見下すことができる。笑 酷い対応、誹謗

          基本的に世の中はクソだ

          すべての事象は色を持たない

          すべての事象は色を持たない 黒でも白でもない すべての人は正義をまとえない すべての人は悪人になれない すべての生き物は意味もなくただそこに生きているだけ この世に絶対的に正しい人も間違った人もいない ただ、ただ そこに うごめく生き物と 自然がたたずんでいるだけ 粘土細工のような人が生まれ、死んでゆく この命は永遠の循環の中で一時的に自然から材料を借りただけにすぎない この血肉と家と財産を、まるで自分の所有物かのように振る舞いながら生き、死んでゆく人間の喜劇を、自

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          賢いバカになろう

          「三浦春馬さん死亡。自宅で自殺か」というTwitterのNHKのニュースに 下記のリプライをしたところたくさんの方からのイイネをもらいました。 「死にたい衝動」の瞬間の心情をただ何となく言語化しただけだったので、たくさんのいいねがきたことに少し驚いています。 この「死にたい衝動」を経験した人、している人は少なくはないのだなぁとこの時思いました。 この衝動…なんなのでしょうね。 「○○発作」みたいな医学的な?名前が付いたらいいなぁと個人的に思うんです。この衝動の定義と説

          賢いバカになろう

          「所有」という幻想

          失ったように見えたものは 本当は失っていない 得られたように思えたものは 本当は得てなどいない 私たちは"所有"という幻想のなかで 滑稽な喜劇を繰り返す あの人やあの物やあの場所は どれだけの書類があったって、私のものではない あなたのものでもない 私は誰も所有しない 私は誰にも所有されない 今、手にした物は 自然から材料を少し借りただけにすぎない この場所は私の土地ではない 地球からほんの一瞬借りただけにすぎない やがて、物も土地も肉体でさえも大いなる

          「所有」という幻想

          人は生まれながらに不平等だ。人生は不平等を認めることから始まる

          いわゆる親ガチャ失敗とか、生まれ落ちた大地(環境)がたまたま劣悪だったとか… そこを認め受け入れることから人生は 始まる 人は平等だと主張できるのは生まれ落ちた後の「人権」の話だ 人間としての権利は平等だが、産声と同時に引く「くじ」には当たり外れがある その当たり前の事実をまだ認められない人がいる。 認められずに、嫉妬、誹謗中傷にエネルギーを注ぐ人がいる。 スタートラインは、みながゼロから始まるわけではない。 間違いない。あきらかにゼロではない。 残念だが、マ

          人は生まれながらに不平等だ。人生は不平等を認めることから始まる

          清貧とは生きること(稼ぐこと)に戦略を持たないことである

          清貧とは たし算しか使わず、かけ算を使わない稼ぎ方のことである 自分に学びが積みあがらない、自分にスキルが追加されていかない、ただ与えられた仕事をこなすだけ。そんな働き方に甘んじる。 ひたすら時給のたし算で生きる生き方のことでもある。 自分を汚さない、自分はいい人で在りたいがゆえ、社会的に「正義」と定義づけられることのみを実行して生きていくから豊かになれないのである。 したたかであざとい女を人は嫌うが、 したたかさと、あざとさに、「賢さ」を追加した女が実は最強である。

          清貧とは生きること(稼ぐこと)に戦略を持たないことである

          家畜化された人の遺伝子。

          人は昔、オオカミを家畜化した。 従順で優秀な犬にのみ餌を与え、生かし、繁殖させ、利用し、管理しながらともに生きてきた。 羊や馬や牛も、有益な体格と従順さを持った種を繁殖させて管理してきた。 ヒトも家畜と同じ。 と言ったら嫌な気持ちになるだろうか。 しかし、そうやって命が引き継がれてきた。 従順な種は、自我をもつボスによって生かされる。 逆もしかり、ボスは従順な種によって、利益を得る。 賢く、自分で考え、思考停止しない人間が社会(会社)という名の牧場をつくり

          家畜化された人の遺伝子。